終演までは、どうかワルツを。 19話
一週間ほど幸の家にお世話になったあとの金曜日。すっかり慣れたもので二人分の夕食を用意していた一成に、幸が言った。「明日から出張になったから」と。
さすがに家人のいない家に居座るのはナシだろうと一成は判断したので、短い同居生活は終わりということだと理解した。それを察していたのかどうか、幸は出張を告げたのと同じ口調で続けた。
「そういうわけだから、次は九門のところ行って」
「え?」
「帰れないなら、行く場所ないでしょ。またホテル暮らしに戻りたいっていうなら別にいいけど」
「そういうわけじゃないけど!」
「じゃあいいでしょ。明日は九門休みだから迎えに来るって」
それだけ言うと、幸の興味は一成の用意したローストビーフの付け合わせに向いていた。
ピクルスの色が綺麗だと言う幸の言葉に答えている内に話題は流れて、気づけば九門のところへ行くことは決定事項になっていた。
◆
天馬の誕生日パーティー以来のMANKAI寮だった。
九門と三角は、今も変わらずMANKAI寮の203号室で共同生活を送っている。だから、九門のところへ行けというのは三角のところへ行けというのと同義語のはずだったのだけれど。
どうやら、ちょうど三角は地方公演期間中だったようで、本当に九門しかいないらしかった。
迎えの九門と共にMANKAI寮へ向かった一成は、こっそり心配していた。もしかしたら天馬が来るのではないか、と思ったからだ。
せっかくの幸と九門の好意だし、渡欧することを考えると顔を見たかったのも本当なので結局は誘いを受けたけれど、MANKAI寮にあまり長居をするのは危険だろうと思っていた。
しかし、天鵞絨駅に下り立って懐かしい道のりを歩いていると、九門はあっけらかんと言った。「天馬さんなら来ないよ!」と、一成の心配を見透かした顔で。
どういうことか、という意味と、そんなに自分の思考はわかりやすかっただろうか、という意味で、何とも言えない表情を浮かべていると、九門は簡単に説明してくれた。
曰く、一成の説明を聞いたあと、幸は椋や九門、三角の――要するに天馬と一成以外の夏組と連絡を取り、今後について話し合った。
そこで決めたのが、天馬に「一成の行方はこちらが把握しているから、むやみに追い回すな」と告げることだったらしい。
当初天馬は反発したけれど、最終的には納得してくれたという。何でも、幸の「あんまり追い回すと、一成のことだから海外に行って帰ってこないんじゃない」が効いたらしい。
それを聞いた一成は、さすがゆっきー、と内心でつぶやく。もしかしたら、あのタイミングで連絡を寄越したのも、一成が海外へ向かうのではと予想していたからなのかもしれない。
とりあえずそういうわけで、天馬は一成を捕まえることを一旦は止めにしたらしい。だからMANKAI寮には現れないと九門は言う。
九門のことだから嘘は吐いていないだろうと思ったし、天馬も一度約束すればそれを違えるようなことはしない。
そういえば、怒涛の連絡もだいぶ頻度が減っている。だから天馬が来ないというのは本当だろうと思う。
それなら逃げ回る必要もない。わざわざ泊めてもらうのも悪いので自分の家に帰ることにする、と一成は申し出たのだけれど。
九門は「幸だけお泊り会とかずるい!」と言ってきかなかったし、一度決めたら中々引かない性格を一成はよく知っていた。
それに、これは九門の単なるワガママではなく、恐らく一成の気持ちを明るくするための提案なのだということも察していた。
だから一成は、「それじゃ、久しぶりにMANKAI寮泊まろっかな!」と九門の言葉にうなずいた。
◆
一成の帰還を、MANKAI寮のメンバーは快く迎えてくれた。というか、今まで寮を空けていたという事実が錯覚なのではないか、と思わせるほど以前と変わらなかった。
なので、一成もすんなりと寮生活に馴染んだ。元々長く住んでいた場所なのでそれも当然だろう。現在は他の人が使用中だという202号室ではなく、203号室へ帰るという事実だけがちょっとした変化だった。
会社員でもある九門とは、朝と夜に顔を合わせる程度だ。
オフィスがなくても仕事ができる一成は、出かける九門を見送り、用意された朝食をありがたくいただき、必要があれば打ち合わせに赴き、夕食の時間までには帰宅しキッチンで手伝いを申し出る。
帰ってきたメンバーを出迎え、談話室で雑談に興じたり部屋に戻って仕事をしたりしている内に九門が帰ってくる。
一成は、おおむねそういう規則的な一日を送っていた。
「カズさん、買い出し一緒に行かない?」
18時になろうかという時間帯に、扉をノックして顔をのぞかせたのは九門だった。
九門は、平日朝晩しか顔を合わせられないことを気にしているのか、休日などはこうして一成との時間を作ろうとしてくれる。
ただ、一成は夜寝る前には「今日はどんな一日だったの?」と聞いてくれるだけで、充分すぎると思っていたのだけれど。
九門の気遣い自体は嬉しかったし、九門と一緒に出掛けるのも好きなので、誘われれば一も二もなくうなずいている。
「おけまる~! でも、夕飯の買い出しには遅くない?」
「明日の分! 今日いっぱい使っちゃったけど、特売今日までなんだって。えーとね、ニンジンとジャガイモと玉ネギいっぱい買ってきてって」
「絶対カレーじゃん」
「そう! カントクの“普通のカレー”!」
デザインの修正をしていたパソコンをシャットダウンし、一成はケラケラと笑いながら九門と連れだって寮を出る。
監督のカレーは、スパイスを駆使した本格的なものが多いけれど、いわゆる一般的なカレーもメニューにある。明日はその日らしい。
大量の野菜を、九門は難なく担いで帰路を辿る。一成も一応荷物持ちの役目は果たしているものの、九門ほどの戦力にはなっていない。
野球少年だった時代から習慣となった体力作りは、もはや九門にとって生活の一部だ。
実際、社会人として働くにも役者として舞台を動き回るにも体力は必須なので、無尽蔵ではと思われる九門の体力はその後の生活に大いに役に立っている。
現在、九門が出演しているスポ根もののWebドラマでも本格的な投球が評判になっているのは、ひとえに九門がトレーニングを欠かさなかったゆえだろう。
「カズさん大丈夫? オレ持とうか?」
「くもぴがオレの分まで持ったらオレのいる意味なくない?」
「んー、オレの付き添いとか!」
快活に言い放つ九門は本気でそう思っているだけだろう。一成は「大丈夫だよん」と首を振った。実際そこまで体力がないわけではないので、さすがにこれくらいの荷物なら持てる。
「でも、やっぱ前よりは体力落ちたかな~。くもぴはすごいよね」
「そうかな? オレは体動かすの好きだし――そうだ、今度みんなでバッセン行こ! 誰が一番遠くまで飛ばせるか勝負したい!」
キラキラとしたまなざしで言う「みんな」とは十中八九夏組のことだった。一成は素直に楽しそうだと思ったのでうなずこうとしたのだけれど。その前に、九門が「しまった」という表情を浮かべる。
「ごめん、カズさん。えっと、天馬さんとはまだ会えないんだよね……?」
恐る恐る、といった雰囲気だった。一成はそんな顔をさせてしまったことが申し訳なくて、同時に「大丈夫」と言えない自分が嫌になる。
何より、九門をはじめとした夏組は、いつか一成は天馬と会う日が来るのだと思っている事実に胸が痛む。
時間が経てば、一成はきっと再び天馬と顔を合わせる。だからそれまでの我慢なのだと、きっと思っている。
「オレのことはいいからさ、みんなで遊びに行ってきたらいいと思うよん!」
明るい笑みを浮かべて一成は言う。自分のせいで我慢させたくはなかったし、自分抜きで楽しんでほしいと心から思ったからだ。しかし、九門は難しい顔をしたあと首を振った。
「ううん。全員一緒には行けないかもしれないけどさ。でも、全員誘ったけど揃わなかったのと、最初から誰かがいなくて揃わなかったんじゃ意味が違うから!」
きっぱりと告げた九門は、固い決意をしているようだった。恐らくこれは九門なりのケジメなのだろうし、もしかしたら夏組の総意なのかもしれない。
思って、一成の胸がずきりと痛む。
だってそんな日は来ないのに。天馬と再び顔を合わせたら、またその手を取ってしまうかもしれない。手放すためには、天馬と会ってはいけないのに。
そう思うことが、すなわちみんなで会うのが当たり前だった日常を奪っているということにも、一成は気づいている。
それでも天馬と会うという選択もできないジレンマが一成を苦しめる。夏組のみんなは根気強く待ってくれると、わかっているから余計に。
「あ、でも、カズさんに無理してほしいわけじゃないからね!」
慌てたようにそう言うのは、自分の言葉が一成を責めているように聞こえるのではないか、と気づいたかららしい。早口で先を続ける。
「天馬さんもちゃんと待っててくれてるし! えっと、これはたぶんオレたちが、カズさんのこと教えてるからっていうのもあると思うけど……」
天馬は確かに、一成を無理に捕まえようとすることはしなくなった。それが、幸からの言葉(あんまり追い回すと海外に逃げる)があったからだとは聞いている。
だけれど、それ以外にも理由があることはほどなくして判明した。
夏組は天馬に対して、一成の動向をある程度は報告しているのだ。今はどこにいて、毎日どんな風に過ごしているのか。
そこまで詳細ではないけれど、一成がどう過ごしているのかがわかっているからこそ、天馬はとりあえず静観しているのだろう。
九門の言葉でそれが判明した時、九門は一成が驚くほど慌てていた。スパイのように情報を流しているのだから、怒られても仕方ないと思っていたらしい。
ただ、一成からすれば想定の範囲内だったので特に咎めることではないと思っていた。
夏組は一成の味方ではあるけれど、同時に天馬の味方でもある。どちらか一方だけに肩入れしているわけではないので、天馬に対しても何らかのプラスになる働きかけをしているだろうとは思っていた。
だからそう言ったのだけれど、九門としてはスパイみたいな真似をしていると思っているようで、何となく気が引けるらしい。
それはとても九門らしいな、と一成は思う。いつだって真っ直ぐで、明るい。野球少年だった九門は、その雰囲気をそのままに、青空がよく似合う気持ちのいい青年となっている。
二人は少しだけ無言を流して帰路を辿る。すると、突然九門が叫んだ。
「カズさん、ちょっと遠回りして帰ろ! この時間だと、夕日がすげぇきれいだから!」
言いながら示すのは、どうやら土手の方角らしい。確かに、土手を通って帰れば沈む夕日がよく見える。一成がうなずくと、九門は嬉しそうに笑った。