終演までは、どうかワルツを。 21話
都内のスタジオでドラマ収録を終えた一成は、スマートフォンを取り出す。よどみない指先でするするとメッセージを作成して、送信。MANKAI寮の夕飯係に帰宅時間を連絡する。
メッセージはすぐに既読になり、夕食は取っておくとの返答がある。
感謝の言葉とスタンプを連打してから、スマートフォンをポケットへ仕舞う。それから、さっき買ったレモネードの缶ジュースのプルタブを引いた。
スタジオの片隅に、ひっそりと設置された自動販売機のみの休憩コーナー。ここにしか置いていない缶ジュースは、密かに一成のお気に入りだった。
MANKAI寮にお土産で買っていこうかと思って、一成は小さく苦笑を浮かべた。あまり長居するのもどうか、と思ったものの、結局一成は今もMANKAI寮の世話になっている事実に思い至ったからだ。
三角がまだ帰らないからということもあったし、九門には引き留められているということもある。
昔に戻ったような生活が懐かしかったのも理由の一つだし、帰宅すると自分の分の夕食がある、というのも嬉しかった。
特に、テレビ収録などで帰宅が深夜になる時などは、「一成さん用」というメモ書きの残されたお皿の存在に何だか救われるような気持ちになるくらいだ。
(でも、そろそろ出ないとかなぁ。すみーが帰ってきたら話してみよ)
MANKAI寮は確かに居心地が良かったし、ずっといてもいいと言ってくれるかもしれないけれど。やはり、仕事をするには手狭だったのでそろそろ家に戻ろうか、と思い始めていた。
(んー、たぶんテンテンも大丈夫っぽいし)
九門や幸、椋や三角からの情報によれば、一応まだ天馬は静観の姿勢を取っている。時々送られるメッセージも確かに他愛ないものだし、近頃では一成もぽつぽつ返信している。
恐らく、いきなり家を訪れるということはないだろう、と思えたのも、家に帰ろうかと思い始めている理由だった。
(でも、すみーはちゃんとお迎えしないとねん)
地方公演中の三角は、そろそろ東京凱旋公演のために天鵞絨町へ戻ってくる。それまでは帰っちゃだめ! と九門には言われているし、三角からも「かず、待っててね」とメッセージをもらっているのだ。
一成も三角と会いたい気持ちは同じなので、盛大に三角を出迎えるつもりだった。
甘味の中に苦味のあるレモネードを飲みつつ、三角を出迎えるためのサンカクについて考えていると、自販機だけしかない休憩室に人影が現れる。
スタジオでもへんぴな場所にあるので、そうそう人と会うことはないのに珍しいな、と思っていた一成は、現れた人物に目をしばたたかせる。
現在、一成が出演している深夜ドラマで主人公を演じる若手女優だった。
彼女は精力的にドラマや舞台などに出演しており、その演技力は周囲から高い評価を得ている。
身につけるファッションやコスメは度々SNSで話題になるなど、若い女性を中心として人気があり、何かと注目度の高い女優だった。
もっとも、現場で実際に共演した彼女は気さくな人物で、人懐こい笑みを浮かべる様子は単なる二十代の女性のようだった。
女優のほうも一成がいることに驚いたような顔をしたものの、それも一瞬だ。一成同様、瞬時に笑顔を浮かべて労いの言葉を掛け合う。
一成は、いつもの笑みより若干テンションを高めにして「こんなところまでどしたの?」と尋ねる。
ビジネスの場ではもっとかしこまった言葉遣いを心がけている。ただ、テレビの現場は少し勝手が違っていて、求められるイメージに沿った言動のほうが好まれる。
特に、まだ大きな役を得ているわけではない自分のような場合は、一定したイメージを保ったほうが覚えられやすい、というのが一成の見解だった。
そういうわけで、失礼にはならない程度に気さくな言葉を口にする。少なくとも、目の前の女優はそういった言動に目くじらを立てるタイプではないと踏んでいたので。
「――そのレモネード缶、ここにしかないじゃないですか」
案の定、彼女は面白そうな笑みを浮かべて答える。示したのは、一成が手にしたレモネードの缶ジュース。この辺りでは、ここの自動販売機にしか置いていない。一成は、ぱっと笑みを咲かせて言う。
「そうそう! 他では全然見ないよね!」
「はい。なので、ちょっとマネージャーが車取りに行っている間に買いに行ってくる! ってダッシュしてきました」
はにかむように笑いながら自動販売機に近づいた彼女は、慣れた様子でボタンを操作する。ガコン、と缶ジュースが落ちる。身をかがめて取り出し口から拾った時、彼女のスマートフォンが震えた。
自然な動作で画面をタップして内容を確認すると、わずかに眉が寄ったようだ。
一成はその変化に気づいてはいたけれど、あまり立ち入ったことを聞くものではない、と判断する。何も言わず、半分ほどに減ったジュースに口をつけた。
しかし、そのまま去るかと思われた彼女が、なぜかその場で立ち尽くしたままなら、話は別だ。
ここで何も反応しないほうが不自然だろう、というわけで一成は口を開いた。重さを一切感じさせない、ただ軽やかな空気で。
「どしたの?」
世間話の一端のような口調は、不安や心配とはほど遠い。
真正面から心配を告げられるよりも、こんな風に大して気にしない素振りで声をかけられるほうが時として安心できることを、一成は知っている。特別親しい間柄ではないのだからなおさら。
彼女は少し考えたあと、「大したことじゃないんですけど」と言って笑った。無理をして浮かべられたものではなく、それが一番慣れた表情なんだろうな、と思わせるような滑らかな笑み。
「配信系の芸能リポーターが近くにいるみたいで、そのまま出て大丈夫かどうか確認するからちょっと待機してろって連絡でした」
車を取りに行ったマネージャーは、スタジオ付近にスキャンダル狙いのリポーターがいることに気づいたらしい。
その目的が、目の前の若手女優なのかそれとも不特定多数のものなのか。通用口をウロウロしているけれど、向かう場所はあるのかずっとこの場所にとどまるつもりか。
対策をするにも動向を把握する必要がある、というわけでしばしその場で待機しているよう告げられたらしい。下手に外へ行くよりは、スタジオ内のほうが安全という判断なのだろう。
一成は感嘆の相槌を打つ。
「なるほどね~。出入り口のとこ、結構そういう人多いもんね?」
「ゴシップ系の記事って、ネットで注目されると雑誌も売れるみたいなんですよね。だからちょっと無茶な突撃してネットにアップするとか多いし……特に弱小系は一発逆転狙いできわどいのも多いから」
スキャンダルを狙うリポーターは、ただでさえ炎上を狙う節がある。加えて、最近では簡単に動画配信ができるようになったので「決定的瞬間」を動画におさめるべく、無茶な突撃をしてくることが増えた。
それ以外にも、小さな雑誌の記者などは動画の威力の大きさをチャンスだととらえて、犯罪すらも辞さないと言わんばかりの「取材」を敢行することもあるのだ。
スタジオ周辺には、特にそういった人間がよく見かけられるので、注意喚起は常になされている。
目の前の若手女優は、恐らく何度もそういった突撃を受けているのだろう。だから、マネージャーも危険を感じれば放っておかず、動向を把握する。対策を決定するまでは待機させる、と判断した。
「ヒロカだったら、じっとしてないで飛び出していっちゃうんでしょうけど」
「それ、あとでケイスケが説教するパターン」
肩をすくめた彼女が告げたのは、つい今しがたまで撮影していたドラマの主人公の名前だった。
血気盛んで行動力あふれるキャラクターなので、スキャンダル狙いの記者など真っ先につかまえてボコボコにする。そのヒロカに情報を提供しつつ無茶をいさめるのが、一成演じるケイスケだった。
「ケイスケの説教、普段は物静かで口数多くないからこそ説得力ありますよね」
「そそ。まあ、ケイスケ役見た人からは『三好一成なのにうるさくない』とか『静かな三好』とか言われたけど!」
一成がテレビで演じるのは、明るくてノリの軽い役が多い。
失恋した友人を慰めるために合コンを開いたり、気のいい男友達(だと思ったら実は主人公に片思いをしている)だったり、基本的に笑顔でテンションが高いのだ。
しかし、今回の役は百八十度違うので、ギャップが評判だった。
「確かに今までの三好さんの役とは違いますけど――むしろ、三好さんって色んな役できる人だなって改めて思いましたよ」
そう言う彼女の目がわずかに鋭くなる。それは恐らく、女優としてのまなざしだ。
共に同じ世界を作り上げる者として、その実力を見定めるものの目。人懐っこく笑うただの若い女性の前に、彼女は間違いなく女優だった。
「そだね。舞台はわりと色んな役やらせてもらってるからかな」
一成は素直に答えた。同じく芝居で生きているものとして、誤魔化しは必要ないと思ったのだ。
MANKAIカンパニーの舞台で、一成は多くの役を演じた。当て書きの役も多々あれど、高校時代の後輩は時々とんでもない役を当ててくる。
三好一成とはまるで違う、正反対の、どこをどう取り出したらこうなるんだ、と思わせる役。
一成は演じた。自分とは似てもいない、だけれど間違いなく自分自身を、舞台の上で縦横無尽に演じ切ったのだ。
彼女は一成の言葉に、「ああ」と言葉を吐き出した。
「三好さん、MANKAIカンパニー所属でしたね。皇天馬さんと同じ組でしたっけ」
「そそ、夏組だよん!」
MANKAIカンパニーで一番有名なのは恐らく天馬なので、その名前が出るのは必然だった。むしろ一成がMANKAIカンパニーに所属していることをきちんと把握していることが意外だった。
「色々活躍しててすごいですよね。シリアスからコメディ、アクションまで何でもできるあの幅広さは尊敬しますし……。最近は演技以外、海外ファッションブランドの広告にも起用されてましたよね」
しみじみとした口調には、純粋な尊敬と燃え立つような闘志を宿していた。
目の前の彼女も、数多くのドラマや舞台に出演し、いくつもの雑誌で表紙を飾り、名前を知らないものを探すほうが難しいくらいの存在だ。
だけれど、皇天馬はそのどれも上回る。恐らく、彼女にとって天馬は尊敬と目標の対象でもあり、追い抜くべき存在なのだろう。
芸能界というのは、残酷なほどヒエラルキーがハッキリしている。その中での立ち位置を、彼女も一成も理解している。
一成は中盤にどうにか引っかかっていて、彼女はトップ集団。そして、皇天馬が頂点にほど近い存在であることは、誰にとっても明らかだった。
「――あ、そろそろ大丈夫みたいです。それじゃ、私行きますね。お疲れ様です」
彼女のスマートフォンが震えたかと思うと、画面を確認してそう言う。件の芸能リポーターは彼女が目当てではなかったのか、それとも何らかの対処が完了したのだろう。
ぺこり、とお辞儀をして去っていく彼女に「お疲れ様~」と答えてから、一成は手に持ったままのレモネードを思い出す。すっかりぬるくなったそれを飲み干してから、自身も帰途につくことにした。
◆
スタジオから天鵞絨駅へ帰る途中のターミナル駅。コンコースの一面広告が天馬であることは知っていた。さっき彼女が言っていた、海外ファッションブランドのものだ。
真正面からこちらを見据える天馬の目が力強い。パープルの瞳は凛として、だけれど同じくらいにどこかに妖しい色をたたえている。見る者の目をとらえて離さない、まなざしが印象的なポスターだった。
(カッコイイなぁ、テンテンは)
ハットと眼鏡を装備した一成は、広告の前を歩きながらしみじみ思う。
両手を広げたよりも大きな広告に映る天馬は、まさしく芸能人皇天馬だ。
普段、自分や夏組と接する時の顔とはまるで違っていて、作り上げられた芸術品のような趣がある。綺麗で完璧。慌てる姿も困っている顔もまるで想像できないくらいに整っている。
「ねね、天馬くんの写真撮っていい!?」
近くを歩いていた女子高生が、興奮した面持ちでスマートフォンを取り出した。広告の天馬に向かってカメラを構えるので、一成は進路を変えて自分が映らない位置へ移動する。
彼女の友達だろうか。他の女子高生も「天馬くんカッコイイ~!」「やばい、この写真部屋に飾りたい」「天馬くんの写真あったら絶対部屋綺麗にする」と口々に言っていた。
嬉しそうに写真に収めるその姿に、一成は内心でうなずく。
(そうだよね。みんなファンになっちゃうよね)
惚れた欲目もあるかもしれない。それでも、今客観的に広告として天馬を見た一成は、改めて思ったのだ。なんて魅力的な男なのだろう、と。
あざやかなオレンジ色の髪、揺らめくパープルの瞳。すっと通った鼻筋、意志の強そうな眉、しなやかな筋肉のついた肢体。形作る全てが美しく、あふれるほどの生命力に満ちている。
(――みんな好きになっちゃうよね)
芸能界という特殊な世界で、常に第一線を走り続ける皇天馬。活躍の場所をさらに広げて世界へ羽ばたき、高い評価を得ている。誰もがその名前を知る、日本芸能界を牽引する存在。
天馬はいつでも夏組を気にかけてくれていたし、MANKAIカンパニーを大事にしていることを疑ったこともない。だから普段、その立ち位置をことさら意識することはなかった。
だけれど、こうして広告越しに天馬を見ると、一成はつくづく思い知る。オレと付き合ってるなんて、そっちのほうがよっぽど嘘みたいだ。
目の前のこの人が自分の恋人だと言ったところで、一体誰が信じると言うのか。
一成とて、ただの一般人というわけではなく、名前を出して活動している。
しかし、テレビに出ているとか日本画家として作品を残しているだとか、デザインコンペで受賞したことがあるだとか、そんなことに大した意味はないのだと、天馬を前にすれば思い知るしかない。
一成はこうして普通に公共交通機関を使うことができるけれど、天馬ではそうもいかない。
ここに天馬がいたなら、すぐ人だかりに囲まれて身動きが取れなくなってしまうだろう。どんな人混みの中にいても失われることのない圧倒的なオーラを持つ人間だ。
他の誰とも違う、特別な存在。普通に電車に乗る――それが難しいくらい。
昔からその傾向はあったけれど、活躍目覚ましい近年はいっそう拍車がかかっている。
きっと、普通に街中を歩いているだけでも遠くから噂をされて、誰か一人でも勇気を持って声を掛ける人間がいれば、あっという間に人が押し寄せるのだろう。
皇天馬はそういう存在だとわかっていた。しかし、こうして広告を前にすると、まざまざとその現実を思い知る。
一面広告の天馬と、それを見ているだけの自分。天と地ほども離れた距離。一緒にいることのほうが不自然なくらい。
自分を卑下する意味は一つもなく、ただ事実のように一成は思うのだ。テンテンに相応しいのは、もっと別の人だろうな、と。
たとえば天馬が隣に立つ人を選ぶとしたら。友人としてではなく、この先の人生を共に歩むのはこの人だとその手を取る人がいるなら。
特別な皇天馬の隣にいるべきは、同じくらいに特別な人間だ。
天馬と同じくらいに魅力的な、名前を知れば誰もがうなずくような。お似合いの二人だと、誰もが思わずうなずいて祝福の拍手を送るような。
たとえば、と一成はさっきまで話していた若手女優を思い浮かべる。
ナチュラルな雰囲気に美しさを内包し、人懐こい笑みは愛らしい。高い演技力で見る者を魅了し、抜群のファッションセンスで時代の先端を行く。
いくつものドラマや雑誌で名前が躍り、目覚ましい活躍を遂げている女性だ。
あの二人が並んでいたらとても絵になるに違いない、と一成は思う。
もしも二人が結ばれたなら、ビッグカップルとして話題になることは間違いないし、多くの人間が祝福する。幸せなニュースとして全国を駆け巡り、笑顔で口にする話題になる。
それは自分にはできないことだと、一成は知っている。
だってオレとの話が世間に出たら、それは単なるスキャンダルで、何だか悪いことみたいにひそひそと口にする話にしかならない。
祝いの言葉よりも拒否や嫌悪のほうが大きくて、異質なものを見る目を向ける。決して幸せな話にはならない。オレの存在はテンテンの傷になる。
わかっているから、一成はただ静かに思うのだ。
天馬の気持ちを疑ったことはない。自分の気持ちも――手放すことのできない恋心は確かにここにあると知っている。だけれど、ただ思う。皇天馬に相応しいのは、決して三好一成じゃないのだと。