終演までは、どうかワルツを。 25話




 椋の家は、一般的な1Kの賃貸だ。就職が決まってから借りた部屋は職場に近く、MANKAI寮からは少し距離がある。

「いらっしゃい、カズくん!」

 昔と何一つ変わらないふんわりとした笑顔を浮かべて、椋は一成を部屋へと招き入れる。
 ナチュラルカラーを基調とした部屋には、大きな本棚が一つ。全てが漫画で埋まっている。
 ラグマットの上にはメルヘンな雰囲気が漂うローテーブルが一つ。テレビには生成りの布がかけられて目隠しになっている。
 ヘッドボードつきのベッドは淡いベージュで、星を抱くユニコーンの置物が置かれていた。
 むっくんの部屋だなぁ、と一成はしみじみと思う。

「カズくん、ごめんね、ソファとかないから……ベッドに座ってて!」
「大丈夫だよん。ね、床座ってもいい? この漫画見ても平気?」

 示すのは、ローテーブルに積まれた漫画である。椋のコレクションであろうことは予想できたし、隣にはBlu-rayディスクも置かれている。
 椋は一成の言葉にぱっと顔を輝かせた。

「これは最近のボクのおススメの漫画なんだ……! 『アイボリーナイト』っていうんだけど、3巻114ページの図書室のシーンが本当胸キュンで……!」

 キラキラとした輝きを溜めた瞳で、頬を上気させて一息にまくし立てる様子に、一成は思わず笑みを浮かべる。
 自分の好きなものを語る椋は、いつだってこんな風に情熱的だったし、それが今も変わらないことを嬉しく思ったからだ。

「あ、ごめんねカズくん……ボク一人だけ盛り上がっちゃって……」
「ううん、そんなことないよん! オレが読んだらまた感想聞かせて!」

 そう言って、ローテーブルに積まれた本を手に取った。椋がおススメする少女漫画は大体外れがないので、一成も読むのが楽しみだった。椋が嬉しそうにうなずく。

「あ、こっちは実写映画のBlu-rayなんだ。あとで一緒に見よう?」
「おけまる~。あ、待って、でもこれ内容どこまで? 全部読んでから見たほうがいい感じ?」
「えーとね、8巻までの内容かな。今出てるの12巻までだから、そこまで読んでからでもいいと思うけど……」
「んー、じゃ、8巻まで読んだら映画見よっか」

 ひとまずそう提案すると椋がうなずく。そのやり取りに、一成は何だか懐かしい気持ちになる。
 MANKAI寮で過ごしていたころ、一成は椋とこんな風に少女漫画を一緒に読んでいたし、実写映画があれば共に鑑賞していた。まるであの頃みたいだ、と思ったのは一成だけではなかった。

「ふふ。何だか懐かしいよね」
「ね。てか、これフルーチェさん呼んで来なくちゃ!? みたいな気になる~」

 少女漫画同好会として、何だかんだで律儀に参加しては感想を言い合っていた左京のことを思い出す。椋も同様だったようで「そうだよね」とふんわり相槌を打った。
 また三人で、少女漫画を持ち寄って昔みたいに話をしようか、と計画するのは楽しい話だった。

「でも、今日はボクがカズくんのことをちゃんとエスコートするからね!」

 ぐっと拳を握りしめた椋は確固とした決意をしているらしかった。曰く、食べ物も飲み物も全部ちゃんと用意しているから、一成は何も気にせずこの部屋でくつろいでほしい、ということだった。

「めっちゃ至れり尽くせり~。ありがたいけど、そんな頑張らなくて大丈夫だからね?」

 心から言うと、椋は視線を伏せてつぶやく。

「幸くんがカズくんを家に泊めてるって聞いた時、もっと早くボクが気づいたら……って思ったんだ。さすがは幸くんだよね。カズくんが困ってることに中々気づかないボクなんて全然だめで成長してないし図体だけ大きくなったのに中身は変わらなくてボクなんてスカスカのピーマンみたいな」
「ストップストーップ! ピーマン美味しいし、見た目もキレイだよ! それに、むっくんは忙しかったから仕方ないって!」

 久しぶりにネガティブをさく裂させる椋に慌てて言えば、はっとした顔で椋が一成を見る。「ありがとう」と照れたように笑うと、深呼吸をする。
 それから、真っ直ぐと一成へ視線を向けて言う。

「でも、カズくんにくつろいでほしいっていうのは本当なんだ。自分の部屋みたいにのんびりしてね」

 そう言った椋は、「それじゃ飲み物用意するね」と言ってキッチンへ消えていく。その背を見送った一成は、口元に笑みを浮かべる。
 純粋で真っ直ぐな椋のやさしさは、昔と何一つ変わらず、一成の気持ちを和らげるのだと、改めて思い知ったのだ。

 椋おススメの少女漫画をじっくりと読み、感想を言葉にしていく。一成の細かな感想を椋はことのほか喜んでくれるので、一成も気合いが入るというものだ。
 8巻を読み切るころにはいい時間になったので食事をして、その間にも話題は尽きない。
 少女漫画のことだけではなく、椋の職場での出来事や一成の仕事の話、はたまた最近の兵頭兄弟の話に、MANKAIカンパニーの公演の話など、いくらでも話したいことは出てきた。
 MANKAI寮の202号室で過ごした時と同じように、二人は和気あいあいと話をしていた。
 それから実写映画を見ることになり、パッケージを手にした椋は「あれ」とつぶやいた。
 主演女優を示して「カズくんとドラマ一緒に出てる女優さんだよね?」と言うので、見てみれば確かに現在深夜ドラマで共演中の女優だった。

「綺麗で明るくて、主人公にぴったりだな~って思ってたんだ! ドラマのほうは、すごく勝気な感じで全然雰囲気違うけど……」
「うんうん。すぐ飛び出して行っちゃうし、一話に一回は格闘シーンがあるもんね」
「カズくんのケイスケもすごくカッコイイよね! ボク、カズくんに宿題教えてもらってる時のこと思い出してたよ」

 そういえばそんなこともあったなぁ、と一成がのんびり思い返している間に椋はテキパキとBlu-rayをセットしていた。
 ベッドを背にして、椋と一成は並んで床に座っている。椋がリモコンを操作して、再生が始まった。







「すっごく良かった……!」

 すっかり泣きはらした目をした椋が、心からといった調子で言葉を落とす。一成も大きくうなずいた。

「めっちゃ良かったね! 体育祭のシーン全然出てこないからどうしたのかと思ったら、最後に持ってくるアレンジとかしびれる!」
「原作と順番変えるとどうなるのか心配だったけど、夏祭りのシーンがちゃんとつながってて!」
「そうそう! あのラムネのとこな! そこで持ってくるか~!って感じだった!」

 興奮しきりに言い合う通り、映画は期待以上の出来だった。
 漫画原作の映画は、得てして原作ファンには評判が良くないことが多い。
 しかし、今回の実写映画は原作の意図を上手く読み取ったうえでのアレンジが効いており、原作ファンも満足させる仕上がりになっていた。

「図書室のシーンもよかったねん。めちゃくちゃ静かで台詞ほとんどなかったけど、心臓の音聞こえそうだったもん」
「本棚越しに目が合うシーンだよね! 本棚の背表紙に指をかけて、でも目が姿を追ってしまう……ってあの場面、二人ともすごくよかったな……」
「目だけで魅せるって感じだったよね~!」

 二人はあの場面が良かっただの、このシーンの仕草が素敵だっただの、あれこれと演技についての感想を言い合う。途中からは、どうすれば舞台に生かせるかという点で白熱し始めるくらいだ。

「あ、ごめんね、カズくん。まだ続き読むよね……?」
「んー、ちょっと休憩しよっかな!」

 8巻から先を読むだろうか、と椋に尋ねられるけれど、一成はゆるやかに笑って首を振った。
 今はどちらかといえば頭が演技モードになっていたし、映画の余韻を引きずっている。漫画は漫画として読みたいと思ったので、一旦クールダウンしようと思ったのだ。
 椋は「そうだね」とうなずいたあと、ゆっくりと立ち上がった。空になった一成と自分のコップを手に取り、キッチンへ向かったようだ。
 ほどなくして戻ってきた椋は、オレンジジュースをコップに注いで戻ってくる。礼を言って受け取ると、隣に座った椋が「どういたしまして」とふんわり笑った。
 一成は手の中のコップをぼんやり見つめる。深い意味はなかった。ただ、何となく視線が向かっただけだった。
 しかし、そのあざやかなオレンジ色に思い浮かぶものなんて一つしかない。それを無視できるほど、椋は鈍感ではなかった。

「か、カズくん……! あの、ボクこのオレンジジュースが美味しくて好きなんだ! だから何か意味があるとかそういうわけじゃなくて……!」
「あははは、わかってるよ、むっくん。――ほんとだ、このオレンジジュースめっちゃ美味しい」

 一口飲んでそう告げれば、椋はほっとしたように肩の力を抜く。それを見つめる一成は、小さな声でつぶやいた。

「――ごめんね、むっくん」

 気を遣わせていることはよくわかっている。あざやかなオレンジ色。連想するのがたった一人。だから椋は慌てた様子で、意味があるわけじゃないと一成に言った。

「オレが全然ハッキリしないから、むっくんだけじゃなくてみんなにも迷惑かけちゃってさ。だめだよね、こんなんじゃ」

 照れくさそうな笑顔を浮かべて告げれば、椋は何とも言えない表情を浮かべた。言いたいことはたくさんある。だけれど、それを口にしていいのかわからないから、どうにか飲み込んだような。
 その表情に、オレの言い方はずるいな、と一成は思う。
 あんな風に言われたら、椋は余計に何も言えなくなってしまう。だから、「忘れて忘れて」と冗談にしてしまおうと思ったのだけれど。
 それよりはやく、椋が口を開いた。
 その表情。一瞬の間に、覚悟を決めてしまったような。さっきのものとはまるで違う、強い目をした椋が言った。

「あのね、カズくん。ボク、幸くんや三角さん、九ちゃんから大体の話を聞いてるんだ。だから、カズくんがどんな気持ちでここにいるかも、何となく知ってるんだ」

 一成と天馬を除いた夏組グループが、一成について情報を共有していることは知っていた。だから、一成がここへ来るまでの――幸や九門、三角とのやり取りを把握しているのは想定内だ。
 一成とて、誰にも彼にも心の内を開示する趣味はない。だけれど夏組ならば話は別だった。心の内を明かしても大丈夫だと、とっくの昔から信用している。
 だから、椋がどうしてそんなに思いつめた顔をしているのかわからなかった。

「みんな、カズくんと天馬くんが一緒にいるのが好きだって話をしたって聞いたんだ」

 特別示し合わせたわけではなかったと言う。
 ただ、共にはいられないと逃げ出した一成を前にして出てきたのは、二人が一緒にいることがどれだけ自分の心を動かしたのかという言葉だった。
 伝えなくては、と思ったのだ。一緒にはいられないと言う一成に、天馬と一成が共にあることはこんなにも心を震わせたのだと。
 一成は、椋の言葉に思い出す。
 幸が、一成の見せた独占欲を綺麗だと言って二人のイメージでドレスを作ったこと。
 九門が、二人一緒に帰る光景がとても幸せそうだと言ったこと。
 三角が、お互いの名前を呼ぶ時特別な声をしていると教えてくれたこと。
 どれもが全て、同じことを指していた。

「ボクも――、カズくんと天馬くんが一緒にいるところが大好きだよ」

 泣き出しそうな顔で椋が言う。
 そうか、と一成は思う。椋がこんな風に思いつめた顔をしているのは、一人になろうとするオレに反対のことを言おうとしているからだ。二人一緒にいることの意味を伝えようとしているからだ。
 そんなこと気にしなくたっていいのに、むっくんはやさしいなぁ。
 そう思う一成は、椋が語る声を聞いている。