終演までは、どうかワルツを。 26話




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 元々椋は少女漫画が好きだったので、恋に夢見がちなところがある。
 加えて、夏組として身近にいる天馬は存在自体が少女漫画に出てくる王子様のようだし(と言うと、幸には眼科行ったら?と言われる)、椋の少女漫画的な妄想を暴走させるスイッチを入れやすかった。
 だから、椋は天馬と一成の関係について「もしかして」と思ったことは何度かあったけれど、自分の妄想によるものだと結論づけていた。
 二人とも素敵だから、つい恋に結びつけてしまうのだと思っていたのだ。
 だけれど、それが妄想でも何でもないのかもしれない、と気づいた日のことを椋はよく覚えていた。

 それは、椋がまだ大学生のころ。一成が寮を出たばかりで、一人きりで過ごす部屋に何とか慣れてきたかかという辺りだった。
 一成はウルトラマルチクリエイターとして忙しく働いていた。色々な所に作品を持ち込んだりオーディションを受けたり、ちゃんと休んでいるのか不安になるくらいだった。
 椋をはじめとしてMANKAIカンパニーのメンバーは一成を気にしてはいたけれど、いかんせん本人がやる気なので、休ませるのも簡単ではない。
 体を壊さないようそれだけは注意しておかないと、なんて寮内でも話題になっていたくらいだ。
 その心配を理解していたのか、それとも寮に来ればとりあえず何かが食べられると思ってのことなのか。一成は時々寮に現れては食事をして帰っていくので、ひとまずその時は椋もほっとしていた。
 良かった、カズくん。ちゃんとご飯食べられてるみたい。
 保護者のような心配をしている椋同様、夏組のメンバーはみんな一成を心配していた。
 もちろん、リーダーである天馬だって。口では、舞台に穴を空けられたら困るからな、なんて言っているけれど、一成のことを特に気にしていることは椋もよく知っていた。
 一成のスケジュールについてやたらと詳しいし、さすがリーダーの天馬くんだなぁ、と思っていたくらいだ。
 あとになって、恐らくそれは一成と個人的なやり取りを重ねていたからだと気づくことにはなるのだけれど。

 その日、椋が大学から帰ってくると玄関に見慣れた靴があった。一成が来ているのだと察して、椋は思わず顔をほころばせる。
 まだ夕方という時間帯に一成がやってくることも珍しかった。談話室に顔を出せば本人はいなかったけれど、一成が帰ってきている旨を告げられて、椋は嬉しそうにうなずいた。
 今日はゆっくりできるのかな、話ができたらいいな、と思いながら部屋に帰るけれど、そこに一成の姿はなかった。
 一成が戻ってきた時、作業をする場合は202号室を使っている。元々二人の部屋だったし、現在椋は一人部屋として使用しているだけなので、一成の作業スペースは充分にあるのだ。
 時たま、202号室で作業をしていた一成が椋を出迎えてくれることもあったし、きっと今日もそうだろうと思っていたけれどどうやら違ったらしい。
 椋は内心ガッカリするけれど、一成にも都合がある。寮内のどこかにはいるだろうし、その内戻ってくるかもしれないし、食事の時間になれば顔を合わせることはできるだろう。
 気を取り直した椋は、大学の課題に手をつけるべく鞄を開いた。

 資料を読み込んでアウトラインを作成する。おおよその目星がついたところで、椋は大きく伸びをする。
 それから、一冊の本を持って立ち上がった。資料として目を通していた本の中に、幸から借りたままになっていたものを発見したからだ。
 いつ必要になるかわからないし、気づいた今返しておこう。思った椋は、201号室の扉をノックした。
 中々返事がなかったので、もしかしたら誰もいないのかな、と思う。
 それならあとでまた来よう、と部屋に戻ろうとしたところで、中から小さな声が響いた。小さくても、よく通る。

――入っていいぞ。

 天馬の声に、椋はぱちりと一つ瞬きをした。天馬がいるとは思っていなかったし、どうやら幸は部屋にいないようだと察したからだ。
 ただ、誰もいないわけではなく同室の天馬がいるなら、本は机の上に置いておけばいい。椋は声をかけながら扉を開いた。
 中にいたのは、天馬だけではなかった。部屋の中央にあるソファには天馬が座っていて、どうやら台本を読んでいたらしい。その隣――天馬にもたれかかるようにして眠っているのは一成だった。

――中々返事できなくて悪い。
――ううん、大丈夫。……カズくん、疲れてるのかな?

 椋が部屋に入ってもまるで気づいていないようで、一成は眠ったままだ。すうすう、とおだやかな寝息を立てている。

――みたいだな。オレには無理するなって言うくせに、自分は無理するんだよな……。

 ぼやくような言葉に、椋はくすりと笑う。
 確かに一成は、周りに対しては「無理しないで」「頼ってね」と言うけれど、自分は後回しにしがちだ。
 それも、最近ではだいぶ改善されてきているのだけれど、忙しい状況ではそうもいかないのかもしれない。

――幸くんに本を返しに来たんだけど……まだ帰ってないのかな?

 当初の目的を思い出した椋はそう声をかけるけれど、部屋に幸の姿はない。談話室でも見かけなかったし、もしかしたら寮にいないのかもしれない。

――今日は遅くなるって言ってたぞ。オレが返しておいてやろうか。
――えっと、ううん、いいや。机に置いておくから、幸くんにもそう連絡しておくね。

 天馬が身じろぎをして手を伸ばそうとするので、椋は首を振った。
 安心したように眠っている一成を起こすことはしたくなかったのだ。一つだってここには自分を脅かすものなど何もないと、確信しきっているような一成を。
 天馬は「そうか」とだけ言って姿勢を元に戻す。さっきから台本は一枚もめくられていないし、どうやら一成の枕の役目を果たすつもりらしい。
 微笑ましい気持ちになりながら、椋はロフトベッドの下にある机に向かう。ミシンが置かれた机の、空いたスペース。いつも綺麗に整頓されている机の上に本を置く。
 それから、何かメモでも残しておいたほうがいいかな、と思い至った。
 しかし、あいにくメモ帳の類は持ってきていない。これくらい予想して行動できない自分に椋は落胆するけれど、いつまでもそうしているわけにもいかない。
 とりあえずこの部屋の主はもう一人いるのだし、天馬にメモ帳かふせんをもらえないか、聞いてみようと椋は振り返った。そのまま固まった。

 ほとんど天馬によりかるようにして眠っている一成。その頭を、天馬がやさしく撫でている。
 丁寧に、髪の毛一本ずつを慈しむように。何かとても大切な宝物に触れるように。愛おしさを伝える手段をこれしか知らないみたいに。指先にありったけの想いを込めて、天馬が一成の頭を撫でている。
 思わず椋が固まってしまったのは、それが意外な光景だったからではなかった。
 なんて綺麗なのだろう、と思ったのだ。
 天馬の触れる指先は、美しい調べを奏でるように一成に触れている。
 星空をなぞるように。指先一つずつに花が咲くように。まばゆい光を紡ぐように。
 ありったけの愛おしさを込めて、あふれだす心を指先に宿して、何よりも大切なひとに触れている。
 身を預ける一成は、ただおだやかに眠っている。何一つ自分を脅かすものなどないと、信じきった表情で。
 天馬のそばこそが安寧の場所なのだと知っているみたいに。安心しきって、美しい指先を受け入れている。
 その光景に、椋は思ったのだ。
 なんて綺麗なんだろう。やさしく触れる指先も、おだやかな寝顔も。大事な人はこの人だと、声もなく伝わる。愛おしさを形にしたら、きっとこんな景色になるのだ。
 胸がいっぱいになって何だか泣きたくて、椋はしばし呆然としていたけれど。
 はっと我に返って、慌てて後ろを向いた。見られていたことに気づかせてはいけない、ととっさに思った。だから、幸の机のほうを向いたままで声をかけた。

――天馬くん。

 椋はすぐに振り返らない。机の上に置いた本の中身を確認するような素振りをして、たっぷり数十秒待ったあとで、ゆっくりと天馬へ向き直った。

――幸くんにメモを残したいから、ふせんか何かもらえないかな?

 天馬は至っていつも通りの顔をしていた。さっきまで、あんなに愛おしそうに一成に触れていたなんて気配は微塵もなく、椋へ答える。

――引き出しに入ってるから、勝手に使っていいぞ。
――うん、ありがとう。

 お礼を言った椋は、手早くメモを作成して本の上に置いた。それから、天馬に向けて声を掛けた。

――カズくんのこと、よろしくね。

 このまま寝かせてあげてねとか、ちゃんと休ませてあげてねとか。そういう類の言葉だと天馬は受け取っただろうし、椋も概ねそのつもりだ。だけれどひっそりと潜ませたものがある。
 たった今目前で知った天馬の想いは、今までの日々で「もしかして」と思った椋の想像を確信へと変えるには充分すぎた。
 天馬と一成。二人の間に育まれている、二人だけの特別な感情。交わる視線や触れる手、名前を呼ぶ声、二人がまとう空気。そういうものから椋が感じ取ったものは、きっと間違いなんかじゃなかったのだ。
 お互いに向けられた心。言葉にして言われたわけではない。それでも確かに、互いの間に生まれて育まれたものがあるのだと椋は知った。だから椋は言ったのだ。
 一緒に同じ時間を過ごしたルームメイトを、明るくてやさしくていつだって椋のことを大事にしてくれる一成を、どうかよろしくね、という意味を込めて。

――当然だろ。

 どこか誇らしげに言う天馬の唇には、ほのかに愛おしさがこぼれているように思えた。


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