終演までは、どうかワルツを。 28話







「それで、その時カズくんはどう思ったの?」
「それはまあ、テンテンかっこいいな~って。めちゃくちゃかっこいいし、本当この人オレの彼氏なのかな夢じゃない?って」
「夢じゃないよ、カズくんの彼氏は天馬くんだよ。はー、やっぱり天馬くんは王子様みたいだねぇ」

 うっとりとした調子で言う椋は、一成の言葉を聞く度に一成の心情を問いかけた。
 その時、カズくんはどう思ったの?どんな風に嬉しかったの?カズくんはどうしたいって思ったの?
 最初の内、一成はそんなことを聞いても楽しくないだろう、と答えを渋っていたのだけれど。
 椋は首を振って言ったのだ。カズくんの気持ちを教えてもらえると、ボクも胸がいっぱいになってすごく嬉しいんだ、と。
 その言葉に嘘がないことは、椋の表情を見れば一目瞭然だった。
 好奇心から来る質問ではあっただろうし、少女漫画や恋バナが好きだという椋の興味に端を発しているのは事実だろう。
 しかし、一成の言葉を聞く椋の表情はどこまでもやさしかった。まるで慈しむように、心をまるごと全部抱きしめようとするみたいに。
 一成の心に触れることはとても大切で尊いことなのだと告げるような表情で、一成の言葉を聞いていた。

 それに、椋へと言葉を返す内に一成も思い出していた。
 天馬と付き合うようになってから今日までの日々。全てが順調ではなかったし時には喧嘩もした。だけれど、共に過ごした毎日はこの上もなく楽しかった。幸せだった。喜びであふれていた。
 改めて思い知ったことで、最初は重かった一成の口も次第になめらかになっていったのだ。
 それから、椋の言葉に答える形で一成はいくつものエピソードを話した。自分でもよく出てくるな、と思うほどに話題は尽きない。
 二人のおススメのデートスポット。天馬を可愛いと思った時。されて嬉しかったこと。バレンタインの思い出。好きだなって思った時。クリスマスの過ごし方。一番遠くまで出かけたのはどこ。一緒にやりたかったことは何か。
 一つ一つのエピソードを語るたび、一成は自分の心を見つめ直した。
 あの時自分は何を思っていたっけ。どんな風に心を動かしていたっけ。何を望んで、どんな風に感じていただろう。
 最初はもやがかかったように判然としなかったけれど、椋が助言をしてくれることで、曖昧だったものには形が与えられていく。
 あの頃の自分が感じていたこと、望んだことを口にすることで、一成は自分の心の輪郭を自覚していった。

「だから、カズくんが天馬くんの大学に行ってたんだね」

 天馬の忘れ物が発覚した時、一成が「それならオレが届けにいこっか?」と手を挙げた時の話だ。
 本来なら荷物を届けて終わりだけれど、忍び込んでもバレなさそうな講義に出席して聴講した。
 授業を聞く天馬を見るのは新鮮で、講義の間ずっと横顔を見つめていたらあとで「見すぎだ」と怒られた。それすらも一成は嬉しかった。

「ちょっとこう、一緒のキャンパスライフ的なものを体験してみたかったんだよねん。高校はさすがに無理だし」

 そもそも二人が出会った時点で高校生と大学生だったし、天馬が高校生のころはただの友人だった。
 なので、高校時代を恋人と過ごすのは絶対に無理だった。
 だからせめて大学ならば、と一成がわざわざ葉大まで赴いたのだ。椋は感心したようにうなずく。

「そうだよね……。高校時代を恋人と過ごすって貴重なことなんだよね……! だから少女漫画ってこんなにキュンキュンするのかな……」

 ちらり、と椋が視線を向けるのはローテーブルに積まれたままの『アイボリーナイト』だった。
 そういえば、あれから結局続きを読んでいないな、と一成は思うけれど、明日も椋の家に世話になる予定なのでまだ時間はあるだろう。

「人生の内の三年間だもんね~。たったそれだけの時間を、恋人と過ごせるってすごいことだなって今のオレなら余計に思うかも」

 天馬の高校時代は知っているし、それも僥倖の一部だとは思う。だけれど、恋人として過ごしていたわけではない。

「でも、テンテンと同じ高校に通って、恋人として付き合ってたならどんな感じなんだろって思ったこともあるけど。きっと、テンテンと高校で出会っても、恋人にはならなかったんじゃないかな~」

 落ち着いた口調で紡がれた言葉に、椋が驚いたような顔をする。一成は苦笑して続けた。

「きっとオレたち、MANKAIカンパニーで出会わなかったから恋人にはなってないと思うよん。同じ高校でも、テンテンはオレのこと認識しなさそうだし。きっと可愛い彼女とか作っちゃうよ」

 天馬にはお似合いの、とびきり可愛い彼女が隣にいる風景が簡単に想像できる。たとえば、そう、この映画の彼女みたいな。
 さっきまで見ていた実写映画のBlu-rayディスクには、一成と現在共演している若手女優が制服姿で写っている。溌剌とした笑顔を浮かべていて、高校の制服がよく似合っている。
 簡単に彼女の高校生活が想像できるし、その隣に立つ天馬の姿だって息をするように自然と頭に浮かんだ。二人が並んで立てば、それだけできっと「恋人同士」だと思われるだろう。
 一成が、たとえ同じ制服を着て天馬の隣に立ってもただの友人としか思われなくても。
 ずきん、と胸が痛んだ。
 その事実に、一成は不思議そうな顔をする。だって散々思ってきたじゃないか。天馬に似合うのは自分じゃないと、このパッケージの彼女みたいな存在だと。どうして今さら胸が痛むなんて。
 思うけれど、確かに一成の胸は痛みを訴える。
 一体どうして、と思いながら他のことを考えようとするけれど。こびりついたように頭から離れないのは、制服姿の女優と天馬のツーショットだった。
 自分で勝手に想像した姿に、勝手にダメージを受けるなんて馬鹿みたいな話だ。わかっているのに頭から消えてくれない。

「――カズくん?」

 様子がおかしいことを察した椋が、心配そうに名前を呼ぶ。一成は慌てて「ちょっとほら、この映画のこと考えてて!」と誤魔化すためにBlu-rayディスクを手にした。

「高校時代から付き合ってたカップル、オリジナルでも出て来てたし、やっぱり高校生カップルって特別なのかな~って」

 実写映画では、原作にはないオリジナルキャラクターとして高校時代に付き合いを始めたカップルが出ていた。
 もっともそれは、大人になってからは別れてしまい、それぞれ別の人と結婚するという道を辿っている。主人公たちに対する「子どもの恋は大人になるまで続かない」という問いかけをする存在だった。
 一成の胸の痛みが、鋭さを増した。
 映画を見ている時も思っていたのだ。子どもの恋。そうだ、一成も思っていた。天馬との関係は子どもの恋。だから大人になるまで続かない。終わりにしなくてはいけない。
 そう思っている自分を見透かされるような居心地の悪さと、それでも今この時の想いを信じない理由にはならないと言い切る主人公に、憧れのような気持ちを持って映画を見ていた。
 だけれど、今この痛みは。この鋭い痛みの正体は。子どもの恋だと言って、天馬との別れを選んだいつかの未来に訪れるのは、天馬が別の誰かと結婚する将来だ。

 わかっていたはずだった。だって、自分が選びたいのはその道だ。
 いつか、天馬に相応しい人が現れる。天馬は自分ではなくその人を選ぶ。それこそが天馬にとって輝かしい未来へ続く道で、どんな影も差すことがない。
 何の憂いもなくその道を邁進できる。そして、天馬にずっと笑っていてほしい。それが一成の願いだったはずなのに。
 パッケージの若手女優を見つめた。一成の頭は、勝手にいつかの未来を描いていた。
 高校の制服姿の二人から、ウェディングドレスとタキシード姿で並ぶ姿へ。それは驚くくらいに簡単に想像できて泣きたくなるほど自然だった。
 胸が痛かった。これが望んだ未来のはずだった。それなのに、今になって痛くて痛くてたまらない。どうしてなのかわからなくて、だけれどどこかで理解もしていた。
 心を、気持ちを、感情を言葉にして声にした。天馬への望みではなく、一成自身が感じることを、心の奥底に眠っていたものを、取り出して見つめてしまった。
 だから今まで、蓋をして押さえつけて見なかったことにしてきたものが、あふれだしてしまったのだ。
 一成はとっさに自分の口をふさいだ。そうしなければ、声にしてしまう気がした。

「カズくん、どうしたの? 気持ち悪い……? どうしよう、ボクが無理をさせちゃったから……カズくん、横になれる?」

 慌てたように椋が言い、一成の背中をさする。その手があんまりやさしくて、思わずすがりついてしまいそうになる。

「カズくん、無理しないで。苦しいなら吐き出したほうがいいからね」

 一成をいたわる言葉。それは体調不良を心配するもので、一成の心情を言い当てたものではない。だけれど、あまりにも的確に一成の心を射抜いた。
 何よりも、今まで一成の心を丁寧に拾い上げて、全てを受け止めてくれていた椋の言葉だったから。一成は、ぼやけた頭で手のひらをはずした。ほとんど無意識で言葉がこぼれおちる。

「――オレ、テンテンが結婚したら絶対泣く」

 椋がびっくりしたような顔で固まる。当然だろう。完全に予想外の言葉なのだから。一成はそれに気づいていたけれど、言葉は止まらなかった。

「テンテンが結婚するって言ったら、絶対オレたち招待されるよね。夏組だから絶対。そしたらオレちゃんとお祝い言える自信がない。無理だ。だって、テンテンがオレ以外の誰かと結婚するところなんて、絶対見たくない。無理だよ。オレ絶対嫉妬するし泣く自信がある」

 そこまで一息で吐き出した一成は、自分の言葉を反すうした。
 望んだ未来では、天馬は一成ではない誰かと結婚する。それが望みだ。それこそが天馬の幸せだ。心から一成は信じたし、実際正しい選択だと今も思う。
 だけれど、同時に理解もしてしまった。天馬が自分以外と結婚することを、絶対に受け入れたくない自分自身を。

「オレきっと、みっともなく泣く。オレ以外と結婚するなんていやだって泣くんだよ」

 今さらだ、と一成は思う。今まで散々、天馬のために手を放さなくてはと言っていたのに。
 結局一成は天馬を他の誰にも渡したくなかったし、天馬のことが好きなままで、手放したくなくて、特別なままなのだ。何一つ変わらないことを、一成は思い知る。
 今まで散々騒いできて、その結論がこんなものだなんて。
 なんて馬鹿な人間だろう。愚かでみっともなくて、どうしようもない。自分自身に対する憤りのまま、一成が自分を罵倒する言葉を口にしかけたところで。

 思い出すのは、幸や九門、三角の顔だった。

 勝手に逃げ出した自分のことを心配して、居場所を作ってくれた。話を聞いて、自分の心を震わせた瞬間を教えてくれた。祈ってくれた。願ってくれた。言葉をくれた。夏組の、一成の大切な彼らは何と言った?
 幸は、「好き」を否定するなと言った。
 九門は、手放せなかったことを誇れと言った。
 三角は、一成の特別は天馬なのだと言った。
 天馬のことが好きで、ずっと手放すことができなくて、特別で仕方ない。
 それを彼らは、自分たちの精一杯で肯定してくれた。それでいいと、世界中の人間全部よりも、よっぽど強く肯定してくれた。
 今自分が、自分自身を否定するのは、そんな彼らの想いも全部否定する。彼らのくれた肯定もなかったことにするのと同じだ。
 そんなことはしたくなかった。だから、一成は一度唇を噛んで、それから口を開いた。
 椋に向かって告げる。観念したように、困ったような表情で。

「――オレ、テンテンのこと大好きなんだ」

 遠回りをして、自分の心を煙に巻いて、蓋をして見なかったことにしてきたけれど。一成の心はいつだって、この一点にだけ向かっているのだ。
 びっくりしたような顔で固まっていた椋は、一成の言葉に我に返ったようだ。一成が発した言葉の意味を理解すると、じわじわと笑みを広げた。ゆっくりとうなずく。

「――うん」

 こぼれだしそうに笑う椋の表情は、限りなくやさしい。慈しむようなまなざしで、一成の心を全部受け取ろうとするようだ。椋は浮かべた笑顔をそのまま形にしたような声で言った。

「それで――カズくんは、どうしたいって思うの?」

 今まで一成の話を聞き届けてくれたのと同じ表情で、椋は尋ねた。
 今までのように、一成の意志を、一成の心を問いかける。天馬のことが大好きだと告げた一成。その一成の望むことは何か。
 一成はその言葉に考える。自分の心が望むもの、したいこと。椋の言葉にそうしてきたように、自分の心に問いかけてみれば答えは簡単に出てしまう。

「テンテンに会いたいな」

 するりと口からこぼれた言葉は、声になった瞬間驚くほど馴染んだ。ずっと前から知っていたものに、今ようやく声という形が現れたみたいに。一成は自分の心がこぼす声を、そのまま唇に乗せる。

「テンテンに会って、話がしたいな」

 天馬の顔が見たかった。天馬の声が聞きたかった。呆れた顔をされても、怒っていてもいいから。その顔を見て声を聞きたいと一成は思う。
 今までだって、天馬に会えないことはたくさんあった。むしろ、今よりもっと長期間顔を合わせなかったことだってある。
 渡欧時代もそうだし、日本にいても天馬の長期ロケや一成の活動が忙しくて全く顔が見られないことは何度でもあった。
 その度、一成は自分に言い聞かせていた。
 自分で決めたことだから仕方ない。仕事だから、駄々をこねるわけにはいかないから。理屈をつけて我慢するのが当然だったから、自分が何を望んでいたのかなんて意識することさえしなくなった。
 だけれど、いつだって一成は思っていたのだ。
 天馬に会いたい。声を聞きたい。天馬と話がしたい。何を思ってどんな風に日々を過ごしたのか、天馬の話をたくさん聞きたかった。同じくらいに、自分の話を聞いてほしかった。
 会って話がしたいのだと、自分の望みを理解した一成の心は動き出してしまった。
 どんな答えを返すのか決心がついたわけじゃない。自分勝手に逃げ出して、一方的に関係を断ち切ろうとした自分にはもう愛想が尽きたかもしれない。
 それでも、会いたかった。話したかった。天馬に会いたいという気持ちだけが、今の一成の心を占めている。
 勝手なことを言っているとわかっていた。散々逃げ回って今さら都合のいいことを言っているとも思う。本当は怖い気持ちだってまだある。
 だけど、一番の気持ちを知ってしまった。心を見つめて声にして形にして取り出して、知ってしまったら。
 話がしたい。何を思って何を感じていたのか、言葉にして声にして聞かせて、聞いてほしい。
 逃げ回るだけでは叶えられない望みを知ってしまったから。そしたらもう、自分がやるべきことは一つだけなのだと、一成はわかっている。

「――テンテンと話をするよ」

 気まずさも手伝って、ちょっとばかりぎこちない笑みになりながら、一成は言う。今までずっと見守ってくれていた、いつだって一成に安らぎをくれる、愛すべき元ルームメイトへ向けて。
 椋は一成の言葉に、泣き出しそうな顔で「うん」とうなずいた。