終演までは、どうかワルツを。 33話
「この二人の交際――いいえ、結婚を認めてください!」
三角と椋の口喧嘩が一段落したところを見計らって、幸が四人の前に走り出てきた。顔の前で両手を組んで、拝むような祈るような仕草で言う。
「この二人が結婚してくれないと困るんです!」
幸は一体どういう役なのか。どんな設定でこの台詞を口にしたのか。全員が自分の演技を続けながら、幸の言葉や仕草を読み解いていく。
すると、後ろから九門が走ってきて五人に合流する。手にはスマートフォンを持っていて、画面をのぞきこみながら叫んだ。
「大変だ! このままじゃ未来が崩壊してしまう! やっぱりここが分岐点なんだ……」
なるほど、そういう方向性。
九門の言葉に全員が自分の演技を組み立てる。
九門と幸は手短に、自分たちはタイムパトロールの一員であり、未来で異変が起こったことから原因を探った結果、ここが分岐だと突き止めたと説明した。
「いや絶対嘘だろ。見た目からしてその辺歩いてる若者だわ」
「関わっちゃいけない人だよ、兄さんあっち行こう」
天馬が突っ込み、椋も嫌そうな顔で一成の腕を引く。いきなり未来人の設定を信じるのは無理があるので、前段階として「信じない」場面が必要という判断だった。
しかし、あまりここに時間を取ってはいけないこともわかっていた。
だから、九門がいきなりスマートフォンを向けた時も、その意図はわかった。未来人という設定を信じさせる、不可思議なアイテムがそのスマートフォンだ。
「緊急措置だ、仕方ないよね!」
一声とともに、九門は一人ずつに向けてスマートフォンを向けてボタンを押した。実際はカメラを起動させただけなので、シャッター音が響いただけだったのだけれど。
最初にカメラを向けられた三角が行動を停止させ、天馬、椋、一成と続く。たっぷり五秒後、三角が突然動きを取り戻すとガクリと膝をついて息も絶え絶えに言う。
「な、なんだ今のは!? 突然ヒグマに襲われたぞ!?」
「と、父さんはヒグマか? オレはなんかトラだったぞ……!?」
「まっ、え、あれ!? ライオンは!?」
「え、オレ、さっきオオカミに食べられかけ……あれっ?」
三角の言葉をきっかけに、全員が意識を回復した演技で答える。何か知らないけど動物シリーズらしいと判断しての言葉だった。
「あ、大丈夫大丈夫。精神だけちょっと猛獣のところに送っただけだから~。全部食べられるとうっかり死ぬけどその前に戻したでしょ? 未来の不思議アイテムだよ」
ばちん、とウィンクをした九門がテンション高く言う。三角と天馬はその言葉に「何か今物騒なこと言ってなかったか?」「うっかり死ぬとか言ってた……」とぼそぼそと言い合っていた。
「もしかして、まだ信じられない? なら過去にも飛ばせるし次はティラノサウルスがいいかな!?」
「信じます」
大変いい笑顔で放たれる九門の言葉に、四人は正座して答えた。これ信じるまで続くやつだ。
ぴったりと息のそろった唱和に、観客からは笑い声が聞こえた。どういう心境なのか、リポーターたちは何も言わず配信に徹していたので、画面の向こうでも笑いを誘っているはずだ。
「――でも、分岐点って言ったってなんで? オレたちそんな、未来で偉大なこととかするの?」
それにしても、と言った顔で一成が話を本筋に戻した。答えたのは幸だった。
「いや別にそう言うわけじゃないですね」
「違うのかよ!」
至って事務的な返答に天馬が突っ込む。すると、三角が何だか懐かしそうな表情を浮かべて天馬の肩に手を置いた。
「そうだな……遼はヒーローになって未来を救いたいって言ってたからな……一瞬期待したんだろう」
「今それ思い出す場面か!?」
「ヒーローか……。兄さんと行ったヒーローショー楽しかったね」
「電車賃なくてチャリで行ったやつ? 帰り道パンクして大変だったけど、楽しかったな~」
「ほのぼのはあとでやれ!」
勝手にボケれば、案の定天馬が律儀に拾って返してくれる。それを信用しているからこそ、軽口はぽんぽんと飛び出してあっちこっちへと弾んでいく。
これが夏組の舞台だと、一成は思う。
全員の呼吸を知っている。打てば響いて、欲しいところに言葉が返る。かちりかちりと、パズルのピースがはまっていく。全員で作り上げる、夏組だけにしか作れない舞台だ。
一成は観客の笑い声を聞きながら、そろそろ頃合いかと、自分たちが分岐点とはどういうことか、と尋ねた。幸が答える。
「まあ、いわゆるバタフライエフェクトというものですね」
「なんでしたっけ、それ」
椋が首をかしげて尋ねたのは、観客への説明が必要という判断からだろう。幸が落ち着いた表情で口を開く。
「過去で起こった小さな変化が未来に大きな変化をもたらす、ということです。今回の件で言うと、お二人の結婚自体が直接何らかの変化を引き起こすわけではありませんが、結婚しないという事象が観測された場合、それが最終的に大きな変化となり、未来の崩壊を招きます」
一切よどみなく並べられる台詞に一成が内心で拍手を送っていると、九門が同意の声を上げる。
「そうそう! 風が吹けば猫を―――――助けろってやつ!」
妙に長い溜めのあと、九門が力強くいい笑顔で言い切った。しかし、観客は頭にハテナを浮かべているし、夏組は状況を察していた。
恐らく「風が吹けば桶屋が儲かる」と言いたかったはずが、違う感じに変換されている。
九門も何かがおかしいことに途中で気づいたものの、言葉に詰まるより言い切ってしまったほうがいいと判断したのだろう。
「え……未来だとそういう言い回しになってるんですか……?」
とっさに反応したのは椋だった。九門が妙な覚え方をしているのではなく、あくまでも未来ではことわざが変化している、という流れに持っていくつもりだと察する。
「あー、風が吹くと土埃で失明者が増えて、三味線で生計立てるために材料である猫が減り……ってところで止まってるのかも。猫が減ってネズミが増えて桶かじるってとこまで含めて、現在だと風が吹けば桶屋が儲かるって言ってるんだけど」
椋の言葉に補足を加えたのは一成だ。観客に向けて、なぜ猫を助けろになるのか、本来のことわざも含めて説明を行う。
意味がわからないまま進行しては、そちらのほうに気を取られて演劇に集中できない、と考えての対応だった。
「ああ、現在ではそう言われているんですね」
椋と一成の意図を汲み取って、幸が答える。九門も自然な調子で「へえ、昔は桶屋の話なんかしてたんだ!」とうなずいている。
「まあ、でも妥当な変化でしょう。桶屋の儲けはどうでもいいですが、猫の減少は目をつぶっていられませんから」
「同感」
きっぱりとした幸の言葉に椋が真顔で答えれば、二人は一瞬顔を見合わせる。それから、同志を見つけたようなまなざしで「ネコ派ですか?」と言い合っている。
「猫はいいですよね……私はシロネコ派です」
「僕はノラネコ派かな……」
何だかしみじみとこぼされた言葉に、一成は一つまばたきをした。それから、「オレはクロネコ派」と告げれば、椋と幸が笑顔を浮かべる。
一連の流れを見ていた天馬も、自分が言うべき台詞を察して口を開く。
「……オレはミケネコ派だな」
「私はタマ派かな」
「いやなんだよタマ派って!」
三角の言葉に天馬が突っ込んで笑いがはじけると、九門が勢いよく叫ぶ。
「オレは! 全てのネコ派だよ!」
力強い宣言に、五人が思わず拍手する。さて、これからクライマックスへどうやって持っていくか。全員が考えながらも、漫才めいた軽口はまだ続く。
最後のルートへの入り口は、幸だった。
テンポのいい掛け合いを収束させていき、最後につながる台詞が必要になるシーン。
誰がそれを口にするか。視線を交わす必要はなかった。この場面でもっともふさわしいのは誰か、どんな台詞を言うべきか。呼吸だけを読み合って渡されたボール。
受け取った幸が、切実な響きを込めて叫ぶ。
「――だから別れないでください! 結婚してください!」
元はと言えばそんな話だ。あれから、何でもない漫才と軽口は散々繰り広げたけれど、結局遼と蒼の関係性は修復されてはいない。
どちらも明確に互いの気持ちを確かめ合ったわけではないから、別れ話は宙ぶらりんのままなのだ。
天馬も一成もそれは念頭に置いているので、立ち位置にも気を遣っていた。決して傍には立たないし、突っ込みはしても気安い言葉は掛け合わない。それは最後に持ってくるシーンだからだ。
「それが無理なら駆け落ちしましょう! そうしましょう!」
「身内の前で失踪を勧めるな」
全力で駆け落ちをあおる幸に向かって、三角がもっともな突っ込みを入れる。そんなことを気にしない九門は、スマホを椋に見せて言った。
「あ、駆け落ち先ならこの辺りとかおススメ! 雰囲気重視ならこっちかな~」
「おススメとかあるんですか……」
若干引き気味な椋の言葉を聞きながら、一成は小さく深呼吸をする。
幸の言葉から始まったこのシーンはクライマックスへの道筋を辿っている。最後の結末に向けて、今オレが言うべきことは何か。
「そんなの意味ないよ。駆け落ちなんてしないんだから」
すさんだ雰囲気で、吐き捨てるように言った。
この場面での蒼は、遼との別れが変わらない結論だと思っている。遼への心はまだ残っているけれど、今までの経験から信じることができないのだ。だから、自分たちは終わりなのだと思っている。
「だって、遼はオレのことなんて遊びだったんだし……」
「違う!」
天馬が強い言葉で否定するけれど、一成は首を振る。遼の言葉一つで信じられる段階はすでにすぎてしまったのだ。その反応に、絶望的な声が幸から漏れた。
「ああ、心の距離が離れている……これでは……」
しん、とした空気が流れる。見守っていた観客も、配信画面の向こう側でも、クライマックスにさしかかったとわかるような、重い空気だった。
「さっきから信号が弱まっている……このままじゃ未来が崩壊する……!」
スマートフォンを見つめていた九門が、悲痛な声でそう言って崩れ落ちる。それまでの快活な雰囲気が一変したことで、場に緊張感がみなぎる。
一成はその様子を見つめながら、痛ましい表情を浮かべて言った。
「役に立てなくてごめん。でも、オレと遼は元々そんなんじゃなかったんだ。オレはずっと本気のつもりだったけど……遼にとってはただの遊び相手だったんだから……」
「違うって言ってるだろ!」
「いいんだよ、遼。もうそんな嘘吐かなくて」
無理に笑みを浮かべて、一成は告げる。
蒼にとって全ては終わったことなのだ。楽しい思い出も幸せな期間もあっただろう。だけれど、全てはもう過去なのだ。遼の言葉は、もう蒼には届かない。
諦めきったような澄んだ笑みは、遼にその事実を突きつけて、それを見守る観客にも有無を言わさず理解させる。遼がどれだけ否定しても、蒼にとって遼の言葉は何の意味も持たないのだと。
大事だった人に別れを告げる。その瞬間の笑みを浮かべながら、一成は天馬の出方をうかがっている。
遼の言葉にうなずけばハッピーエンドになるのはわかっている。だけれど、ここまで引っ張ってきて簡単に「はい」と言えるわけがない。
だから、一成は頑なに認めないし、遼の言葉を否定する。その意味を、意図を、天馬が理解しかないはずがない。
遼の言葉に意味がないなら。それでも蒼をうなずかせなければならないなら。できることはなんだ、やるべきことはなんだ。
それは言葉ではなく、もっと具体的な形を伴う必要がある。たとえば――この騒動のきっかけになった指輪だとか。
一成は最初から、指輪の存在を念頭に置いていた。
蒼と遼のいさかいの原因でもあるし、現実問題あのゴシップ記事の記者が嗅ぎつけたのがオーダーメイドの婚約指輪だったということもある。
どちらにせよ、きっかけになったのが指輪なら指輪でハッピーエンドに持っていくのが順当だと思ったのだ。
人生を共にする決意として、これほど相応しいものはないのだから、この際遼には公開プロポーズでもなんでもやってもらいたい、という気持ちだった。
天馬のことだから、それくらい当然考えているだろうと一成は思っている。
だから、苛立った調子で「くっそ」とつぶやいた天馬が、こちらへ一歩踏み出した時も、驚いた演技はしたものの内心では予定通りだと思っていた。
天馬が荒々しい足取りで一成のほうへ近づいてくる。目の前に立つ。
怒るような表情は、遼という人物の真剣さがそういう形をしているからだろう。天馬は少しばかり何かを考え込む素振りをしたあと、意を決したように一成へ手を伸ばした。
「言って分からないなら――」
その言葉ととも肩をつかまれて、一成は目を瞬かせた。え、なんで。指輪出すとしても、肩はつかまなくない?
素でそう思った次の瞬間、ゆるやかに後頭部を固定された。そのまま引き寄せられて、天馬の冗談みたいに整った顔が近づいてくる。
何をするつもりか悟った瞬間、小さな声が耳に届いた。恐らく誰にも聞こえない。たった一人にだけ届く声。
「一成」
呼ばれた名前に、一成は全身で理解する。ああ、これは遼じゃない。どんな役も演じてない。これは、テンテンだ。
思った瞬間、一成の唇に天馬の唇が重なった。
音が消える。
スマートフォンのカメラを切る音も、交わされていた話し声も、誰かが地面を踏む足音も、何もかもが消えて空間が停止する。誰もが、呼吸すら忘れて目の前の光景を見つめていた。
二人はやさしく唇を重ね合わせる。
愛おしさの全てを込めるような、あふれだす心を唇から伝えようとするような。
何よりも大切な、この世で一番大事なものは目の前のたった一人しかいないのだと、体中で訴えるような。目がくらむほどの口づけだった。
深く長いキスに、一成が小さく声を漏らす。恐らくそれが合図だった。
次の瞬間に訪れたのは、爆発するようなどよめき。
一斉にスマートフォンのカメラがシャッターを切る音が響く。人だかりからは甲高い叫び。あちこちから、「やばい」「え、うそ、なにこれ!?」「待って待って」「キス!?」「ちょっとうそ」「キス長くない!?」「今すぐ配信見て!」「やばい」「キスシーンすご」「ガチだこれ」という、悲鳴にも似た声が聞こえてくる。
それらの声をまったく気にすることなく、天馬はゆっくりと唇を離した。
周囲の興奮は冷めやらないものの、まだストリートACTが終わっていないことを察してか、悲鳴は少しずつ小さくなっていた。一成はといえば、完全に呆気に取られたまま、天馬の顔を見つめていたのだけれど。
「――オレが好きでもない相手にキスする人間じゃないってことはよくわかってるだろ」
照れくさそうに、それでいて強い口調で放たれた言葉に、はっと我に返る。
そうだ、今は最後のクライマックスシーンだ。ただ、この場面で蒼がすべき反応は、ほとんど素の一成と変わらなかった。顔を赤くしたまま天馬を見ているしかできない。
公開プロポーズでもなんでもやってもらいたいとは思ったけど、公開キスシーンは考えてないよ!?
ドキドキと鳴る心臓の音を聞きながら一成は思う。だって絶対、蒼だってこれは想定外だ。心臓爆発しそうになるのは仕方ない。
天馬は真剣なまなざしを浮かべたまま、一成の左手を取った。びくり、と反射的に肩を震わせたのは、その手があまりにも熱かったからだ。
「指輪だって、お前に贈るために買ったんだ」
言いながら、一成の薬指を撫でるので。一成は真っ赤な顔で思う。
これはまずい。完全にテンテンがオレを落とすモードに入っている。イケメン全開のテンテン、めちゃくちゃ心臓に悪い。
しかし、ここで顔を逸らすわけにはいかないことを、一成はよくわかっていた。最後までつなげないと、という意地だけで一成は立っている。
「お前になら――お前だけになら、指輪を送ってもいいって思ったから」
真剣なまなざしの奥に色気をゆらりとにじませて、ささやくようにそう告げる。まなざしが、指先が、声が、天馬を形作る何もかもが一成への愛おしさであふれている。
一成は熱に浮かされるように――蒼の気持ちなのか自分の気持ちなのかわからないまま、ぼうっと天馬を見つめる。
「なあ、蒼。オレの指輪を、受け取ってくれないか」
そう言って、天馬は一成の左手を恭しく掲げると薬指にキスを落とした。
思わず絶叫しそうになった一成は、あらゆる意志を総動員してどうにか悲鳴を飲み込む。今それはだめだ。ストリートACT中だからだめだ!
意志と理性で自分を立て直した一成は、真っ直ぐと天馬を見つめる。ああ、もう、テンテンめちゃくちゃカッコイイな!? と思いながら、感極まったような表情を浮かべる。
一成としては思いっ切り抱きつきたい場面だったけれど、蒼ならばそうしないとわかっていた。
深呼吸をした一成は、一瞬だけ目を閉じる。
蒼ならきっと、こうする。何もかもが終わりだと思って、言葉を信じられなくて。だけど、本当は信じさせてほしかった蒼なら。
「――うん」
一つうなずくと、はにかむように笑顔を広げる。それまで一度も見せることのなかった、心の底からの幸せを噛み締めるような、薔薇色のほほえみだった。
そのタイミングで、九門が叫ぶ。
「――信号が回復した!」
スマートフォンを頭上高く掲げて、感極まったような笑みを浮かべている。ぴょんぴょんと飛び跳ねて喜びを表現するのは幸だ。
「二人の心が通じ合ったからです! これなら――これなら未来の崩壊が防げます!」
幸と九門が大喜びしながら互いの手を取り合っている。二人はそのテンションのまま、三角と椋を取り囲んで跳ね回っていて、最終的には四人で手をつなぐダンスに発展していた。
それに気づいた一成が小さく笑みをこぼすと、天馬が一成の腕を引く。乱暴と思えるような力強さで一成を抱きしめる。決して離さないとするように、力の限りに。
一成は少しだけ考えたあと、背中に腕を回して天馬の体を同じように抱きしめ返す。
途端に、周囲から割れるような歓声が上がった。
地面が揺れる。収まるところに収まった、ハッピーエンドの瞬間だと観客が察したからだ。続いて雷のような拍手が周囲を包み込み、六人は理解する。
終わった。長いストリートACTの、これが終幕だ。
一成と天馬が密着していた体を離す。後ろのほうで踊っていた四人が、前へ進み出てくる。
六人は横並びで一直線に並ぶと手をつないだ。最後に六人で舞台へ立った時と同じように、公演の最後には必ずそうするように。
言うべき言葉はわかっていた。誰が言うかもわかっていた。一成は、大きく息を吸って叫んだ。
「以上、MANKAIカンパニー夏組でした!」