終演までは、どうかワルツを。 35話




「楽しかった~!」

 ミニバンに乗りこむなり、三角はそう言った。キラキラと目を輝かせて、頬を上気させている。

「ずっと頭使っててめっちゃくちゃ疲れたけど! すっげー楽しい! てか、敬語の幸って新鮮!」

 九門も興奮しきりに続く。
 先ほどまでのストリートACTは、台本が存在しないためにどこへどう話が転がるかわからない。そのため、あらゆる全てに注意を向けなければいけないが、だからこそやりがいがあった。

「椋の辛辣な感じも中々ないでしょ。ポンコツにあれだけ強く当たる役ってないんじゃない?」

 ちゃっかり助手席に座った幸が、最後列のメンバーへ声を投げる。
 幸は気が強くて物をハッキリ言う役が多い。しかし、今回は敬語でなおかつそこまで自己主張はしない役だったので珍しいほうだろう。ただ、椋の役も中々に新境地ではあった。

「あそこはやっぱり、カズくん側が必要かなって思って。そしたら、天馬くんとは敵対関係になるかなって……」
「いい演技だったぞ。本気でオレを許さないって感情がよく出てた」

 ミニバンに乗りこんできた天馬が、椋の言葉へ答える。
 実際、あの時の椋の演技は天馬に対して100%敵対していて、普段の椋とはまるで違っていた。現在、椋が「本当!? 嬉しいな」と顔をほころばせる様子からは想像できないのだから見事だろう。

「――天馬くん」

 天馬が乗ってきたことに気づいて、運転席の井川が振り返って声を掛ける。天馬はバツが悪そうな表情を浮かべる。

「悪い、井川。迎えに来てくれたことはありがたいし、感謝してる。ただ、詳しいことはあとで説明する」
「……わかりました。でも、行動にはくれぐれも気をつけてくださいね」

 言いたいことは色々あるだろう。ただ、井川はこの時点ではひとまず飲み込むことにしたらしい。一つだけ釘を刺してから、再び前を向く。

「みんなマジですごかったね!」

 ミニバンのドアが勢いよく開き、滑り込んできた一成がテンション高く声をかける。
 ドアが閉まり、全員を回収したことを確認した井川がエンジンをかけて、車はゆっくりと動き出した。

「カズくんもすごかったよ! 最初はどんな設定なのかなって思ってたけど……! すれ違う恋人同士なんて胸キュンな設定だよね!」
「ありがと、むっくん! でもやっぱ、未来人出てきたのはマジでびっくりしちゃったんだけど!?」
「ああ、あれは突飛でよかったよな。大体何でも力業で片がつけられる設定だから、芝居の幅が広がった。どっちのアイディアだ?」
「オレだと思う?」
「オレでーす!」

 天馬の言葉に幸が澄まして答え、笑いながら九門が手を挙げる。まあそうだろうな、とは正直全員思っていた。

「でも、何かオレの設定やばくない? 絶対やばいやつじゃない?」

 思い返しながら九門が言うのは、未来人だと信じさせるために精神を猛獣のところまで飛ばしたあたりのことだろう。確かに中々ぶっ飛んだ性格設定である。

「あれはそもそも、サンカク星人のせいでしょ。勝手にクマに襲われてるし」
「クマさんは、ツメとキバがサンカクだよ~」

 のんびりとした答えに、「だからクマにしたのかもしれない」と夏組メンバーは考える。
 恐らく三角は感覚的にクマを登場させたのだろうけれど、結果としては「生命の危機に陥る」という体験により未来人云々を信じやすい状況へと持って行っているのだから、それが三角のセンスのなせる業だった。

「てか、オレとちっちゃってごめん! 風が吹けば~ってやつ、何か猫が可哀想だったってのしか出てこなくて!」
「まあ、ああいうのがストリートACTの面白いところだよな」
「むくのアドリブよかったね~」

 九門の謝罪に天馬が答え、三角は椋の対応を褒める。椋はと言えば、ものすごい勢いで首を振って言う。

「ボクなんて全然! それより、カズくんがちゃんと説明してくれたのがすごいなって」
「確かに詳細はオレも覚えてない」
「たまたまだよん。オレは、そこからのネコつながりでにぼしになったのがテンアゲだった!」

 一成が言えば同意の声が上がって、それからも車中の夏組は、あれがよかっただのこれがすごかっただの、興奮冷めやらぬまま先ほどのストリートACTについて意見を交わしあう。
 久しぶりに夏組全員がそろっての芝居だったこともあり、熱は中々引かなかった。

「てか、テンテン、あそこは指輪でオチつけるシーンだと思ってたよ!?」

 クライマックス部分について、浮き立つ感情のまま一成が言う。
 最初から一成はそのつもりだったので、天馬の行動はまったくの予想外だった、と続ける。天馬はその言葉に片眉を上げて答える。

「まあ、指輪から始まってるしな。それも考えたけど、指輪のくだりでオチまでつけると冗長だしインパクトが薄い」

 やはり、天馬も指輪の存在は念頭に置いていたらしい。そもそも、発端が一成の指輪への言及だったのだからそれも当然だろう。
 ただ、指輪を送るだけではオチとして弱い、というのが天馬の見解だったらしい。
 だからってキスに持っていく発想はどういうことなんだ、と一成が思っていると、天馬が言葉を継いだ。

「それだけじゃないけどな」

 そう告げた天馬の顔は、今までのものと違っている。
 夏組の皇天馬でもなければ、俳優・皇天馬でもない。どんな肩書もないただの天馬が、一成だけに向ける笑顔を浮かべて言う。

「あの場所にはかなりの人数が集まってたし、配信もしてた。たぶん、相当数の人間がオレたちを見てただろ。だから、あそこでキスすることを選んだんだよ」

 きゅっと目を細めて、白い歯をこぼして。一成だけを真っ直ぐ見つめて天馬は言った。
 まばゆい光がこぼれだすような、どこまでも明るくて何だか泣きたくなるような。一成の心をどこまでもすくい上げていく笑顔で言った。

「なあ、一成。誰もオレたちを非難しなかっただろ」

 その言葉に、一成は理解する。これはきっと、いつかの一成の言葉に対する天馬の答えなのだと。
 天馬の誕生日パーティーの夜。バルコニーでプロポーズされた一成は、天馬に言った。
 男同士の自分たちの関係が世間に知られたら、気持ち悪いと言われて非難される。だからその手を取れないのだと告げた。その答え。
 天馬は、大人数が集まる前で、配信というたくさんの人の目がある前で、一成にキスをした。
 恐らくそれは、常ならばゴシップやスキャンダルの類で、天馬の評判を貶めるはずだった。
 しかし、キスの瞬間、周囲の人たちは驚きで固まったものの、嫌悪は見せなかった。その後に送られる言葉は混乱と悲鳴ではあっても、罵倒は一つもなかった。
 男同士で。冗談でもなければ悪ふざけでもない。愛おしい心を全て込めた、大事な人はこの人だけだと全身で叫ぶような。そんな二人の口づけを、集まった人たちは決して非難しなかった。
 でも、だけど、それはあの場所だけの話だけかもしれない。思った一成が口ごもっていると、声が響いた。泣きそうな、だけれど強い光を目に宿した椋だった。

「そうだよ、カズくん! 誰もカズくんと天馬くんのことを悪くなんか言ってないよ……!」

 最後列に座っている九門・椋・三角は、一つのスマートフォンを一緒にのぞきこんで、SNSをチェックしていた。
 元々突撃取材として配信の注目度が高かったことにくわえ、一成たちの「お願い」によって、ものすごい勢いで先ほどのストリートACTが拡散されていて、中でも最も言及が多いのは天馬と一成のキスシーンだった。

「アンタたちのキスシーン、やたらいっぱい投稿されてるし。評判いいみたい」
「かずとてんまが仲良しで、みんな嬉しい~」

 助手席の幸も自分のスマートフォンを確認していたらしく、椋の言葉に同意する。
 現地でストリートACTを見ていた人のうち、二人のキスシーンを写真に撮っていた人数は思いの外多かった。
 それが次々投稿され、さらに拡散されていく、という流れだ。
 三角はといえば、ニコニコと天馬と一成の写真がたくさん投稿されていることを喜んでいる。

「配信見てた人も、めっちゃ良かったって! キスシーンのところ一番盛り上がったみたいだし、みんないっぱい褒めてるよ!」

 九門がそう言って、一成と天馬にスマートフォンの画面を見せた。
#MANKAIカンパニーや#夏組のタグはもちろん、トレンドに踊る文字をタップすれば出てくるのは、たった今終えたばかりのストリートACTの感想だ。一成はそれを見つめる。

――あれ本当に台本ないの?息合いすぎでは?
――夏組全員集合って本当に!?夢じゃなくて!?ずっと待ってた!
――あれマジでキスしてるよね……?ときめきがやばい
――キスシーン!!!胸キュンの意味を理解した!!!
――キスするのか?って思ったら本当にキスしてめちゃくちゃびびったし何か感動してしまった
――最後のキスシーン、脳内で教会の鐘が鳴った
――夏組のラブコメだったサンキュー
――全力で二人の幸せを願う!!!
――キスシーン、何かめちゃくちゃ綺麗だったな……
――この絶対ハッピーエンド感、夏組だー!!って感じがすごい
――天馬くんのキスシーン完全に少女漫画だしだめこういうの大好き
――続編で二人の新婚生活が見たいです
――キスシーンの雰囲気がすごく良かった~~~好き
――もう一回キスシーンが見たい。繰り返し見たい。アーカイブあるかな……
――愛のあふれるキスシーン見せてくれてありがとう~~~!

 コメントはあとからあとから、いくつも流れてくる。観劇を終えたあとの興奮のままつづられる言葉たち。心からの声を形にしたそれらを、一成はじっと見ている。

――幸せなキスをしたエンド最高では
――完全に絵画だったわあのキスシーン
――ときめく~~~待って二人の馴れ初めから詳しく~~~
――夏組のラブコメで天馬と三好はびびったけど違和感ないことに一番びびる
――結婚式編見たい……
――本当に相手のこと好きなんだなぁってわかるキスっていいよね
――キスシーンで何かが浄化された気がする
――ご祝儀なら包むからもうちょっとラブシーン見せてくれませんか
――大好きでたまらないってキス最高じゃん
――ときめいたしめちゃくちゃ良かった
――映画一本見たみたいな満足感
――男同士とか全然関係なく、ただ純粋に綺麗だった
――おめでとう、幸せになって!

 一つ一つのコメントを、一成は食い入るように見つめた。
 膨大な数のコメントだ。目に入るのは狭い範囲でしかなくて、本当はもっと別のコメントだってたくさんあるに違いない。それでも、ほんの一握りだとしても、確かな事実があった。
 気持ち悪いと言われなかった。男同士であることを非難されなかった。眉をひそめられなかった。拒絶されなかった。何一つ否定されなかった。天馬と一成のキスシーンは、なかったことにされなかった。
 否定的な意見もきっとあるのだろう。全てが受け入れられたわけではないはずだ。
 だけれど、今目にできるコメントに、二人のキスシーンにマイナスの感情を向けるものはない。並ぶどれもが好意的であり、キスシーンを美しいと言ってくれて、二人が結ばれたことを喜んでいる。
 その事実が、一成の胸をひたひたと満たしていく。

「――なあ、一成」

 じっとコメントを見つめる一成に声をかけたのは、隣に座って同じようにスマートフォンを見ていた天馬だった。一成が、弾かれたように天馬へ視線を向ける。天馬は落ち着いた声で言う。

「この反応は、あくまで演技だと思われてるからだってのはわかってる。実際のオレたちとしてじゃないから、こんな風に反応してもらえてるんだろう。だけどな」

 一旦言葉を切った天馬は、一成を真っ直ぐ見て笑った。
 大人びた笑顔ではなかった。無邪気で純粋な、真夏の空の下で咲き誇るヒマワリのような。どこまでも力強い笑顔で言う。

「オレたちのキスが祝福されてるのは事実だろ?」

 勝ち誇ったように、天馬は言う。SNSの反応を示して、そこに並ぶのは嫌悪でもなければ罵倒でもない。ただ、愛し合った二人に送られる祝福だ、と言う。
 一成がうなずけば、天馬は笑みを深くして続ける。

「何一つ隠し事なんてしてない。皇天馬は正々堂々と三好一成にキスをしたんだ。それでも――オレたちはちゃんと祝福されてる」

 ストリートACTにはかなりの人数が集まっていた。さらに配信まで加えれば、膨大な人数が夏組を見ていたはずだ。
 そんな中で二人がキスをしたなら、醜聞になってもおかしくない。多くの人の目に触れれば触れるほど、悪意の確率は高くなるのだから。
 だけれど実際は、そうはならなかった。それどころか、二人のキスは祝福の対象になったのだ。
 想像もできないほど、たくさんの人が二人のキスを目にしたのに。知られたら終わりだと思っていたのに。
 一成が目にしたのは、綺麗だったという言葉で、おめでとうという祝福だった。非難でもなく、否定でもなく、肯定の言葉が降り注いだのだ。
 ああ、そうか、と一成は思う。
 だから天馬はあの瞬間にキスをした。誰もいない場所ではなく、たくさんの人が見ている前で。
 顔も名前もわからない。世間だとか、取り巻く全てだとか、世界だとか、そんな風に言われるものの前だからこそ、臆することなく正々堂々と口づけを送った。

 どうしてそんなことをしたのかだって、一成は理解している。
 きっと天馬は、臆病な一成に伝えたかったのだ。
 世界中に知られたって、罵倒なんかされない。後ろ指をさされることなんかじゃない。非難も悪意も嫌悪も拒絶もない。オレたちの関係は、一つだって間違いじゃない。
 伝えたくて、言いたくて、それを一成に見せたくて、あの時天馬はキスすることを選んだのだ。

「――テンテンは、ほんっとに……カッコイイなぁ……」

 心からの言葉が落ちる。だってきっと、確証があったわけじゃない。もしかしたら、もっとひどい結末を迎える可能性だってあった。
 それでも選んだ。それでも決意した。きっと、何もかもを自分が背負うつもりで踏み出した。
 その根底にあるものが何かを、一成は疑わない。
 大丈夫だと言いたかった。間違っていないと、許されていると、他でもない一成に言いたかったのだ。