エンドロールで待ってて
◆
晴れ渡った青空に、夏の太陽が燦然と輝いている。まだ朝の時間帯と言えど、気温は順調に上昇しており、空気はすでに熱をはらんでいた。
天馬と一成は、影のできる場所を選んで道を歩く。街路樹からはセミの鳴く声が聞こえてきて、夏の気配を色濃くしていた。歩く足取りは軽やかで、何てことのない雑談が二人の間を行き交っている。
昨晩、202号室を訪れた天馬は一成に「明日時間あるか」と尋ねた。昨日までは何かと忙しくて課題に追われたり他の用事が立て込んだりしていたけれど、幸い明日は予定がない。
素早く確認した一成が「一日フリーだよん」と答えると、天馬はほっとしたように息を吐き出して、「付き合ってほしい場所がある」と告げた。一成は数度目を瞬かせたあと「いいよん」と答えた。デートの誘いにしては何だか雰囲気が違うけれど、天馬の誘いを一成が断る理由はなかった。
そんな経緯で、二人は朝から連れ立ってMANKAI寮を出発した。
他の夏組に「テンテンとデートしてくるねん!」と明るく告げれば、快く送り出してくれたので、果たして事情を察しているのか、それとも純粋に遊びに行くだけと思われているのか、と多少考えることにはなったけれど。
「駅からの距離そんなないけど、坂道多くね?」
「確かにな。いつもは車で来るから気づかなかった」
「てか、こんなところにお寺とかあんだね!」
しみじみとした口調で言った一成の視線の先は、立派な山門に向けられている。
駅前の大通りから裏道に入って、少しばかり歩いた先。立ち並ぶ建物が、商店から住宅へと移り変わり始めたところに、突如として現れたような寺院が天馬の目的地だった。
天鵞絨駅まで歩きながら、天馬は都内の寺に行きたいのだと言った。まったく予想していなかったので「お寺?」と聞き返せば、天馬はこくりとうなずく。それから、神妙な雰囲気で「墓参りに行きたいんだよ」と答えた。
なるほど、と一成は納得したものの、同時に疑問が頭に浮かぶ。お墓参りがしたくてお寺に行きたいのはわかる。だけど、なんでオレも誘われてるんだろ。
内心で盛大にハテナマークを浮かべていたけれど、天馬が望むなら一緒に行くまでだ、というわけで一成は「そっか」とだけうなずいた。もっとも、天馬だけに任せてはいてはとうてい辿り着けそうになかったので、最終的には目的地を把握した一成がナビゲートする形になったけれど。
「お花とかマジで要らないの?」
「ああ。供えても枯れるだけだから要らないって言われてる」
山門をくぐった天馬は、慣れた調子で歩を進めた。石畳の敷かれた境内は一本道のようで、道に迷う心配はなさそうだった。
錦鯉の泳ぐ池や古色蒼然とした本堂を通り過ぎると、行く手に現れたのはいくつもの墓石だった。寺社の裏手にあたる場所が墓地になっているのだろう。周囲に植わった木々のおかげか、都内といった雰囲気はあまりない。
夕暮れや夜中であれば不気味な雰囲気も漂っていたかもしれない。しかし、夏の太陽が降り注ぐ今では、墓地すらも何だかからりとしている。照りつけるような光線は、死者の眠る場所でさえも生命力を感じさせるような雰囲気があった。
途中の水道で、備え付けの手桶に水を汲んで目的の場所を目指した。ただ、墓地はさすがに一本道ではない。標準的な墓石が整然と並んでいて、どれもが同じように見えてしまう。方向音痴ではなくても、向かうべき場所がわからなくなってしまいそうだ。だけれど、一成は特に心配していなかった。
「あのケヤキの木のとこ?」
「ああ。ちょうど影になってるな」
天馬が指さした先には、青々とした葉を茂らせるケヤキの木が一本ある。墓地でも一等目立つ、大きなケヤキの木のそばにあるのが目指す墓石だと聞いていたから、無事に辿り着けるだろうと一成は思っていた。天馬がルートを誤りそうになっても、それとなく修正することもできる。
ただの平日で、お盆の墓参りには早いということもあって、墓地にはほかに人影はない。二人は並んだ墓石の間を通り抜け、ケヤキの木を目指した。
辿り着いたケヤキは、空に向かって手を伸ばすように悠然と立っていた。頭上からは、セミの鳴き声が降ってきて、繁る緑はほんの少しだけ、夏の太陽をやわらげている。
葉の色を宿した光の下に、その墓石はあった。花の類はないけれど、雑草が生えることもなければ汚れが目立つこともない。手入れが行き届いていることがうかがえて、ここで眠る誰かへの想いが如実に表れているようだった。
ただ、墓石を見つめる一成は内心でハテナ、と首をかしげる。目の前の墓石に刻まれているのは、皇という家名ではなかったからだ。天馬が「墓参りに行きたい」と言っていたから、てっきり皇家の、という意味だと思っていたのだけれど。
まあでも、親戚でも名字違うとかお世話になった人とかもしれないし、と一成は内心で思い直す。天馬が何も話さないのなら、無理に尋ねることはしなくていいだろう、と思ったのだ。
「……前のマネージャーの墓なんだ」
真剣なまなざしを墓石に向けていた天馬が、ぽつりと言った。一成の疑問を察したというより、きちんと説明をする必要がある、と思っての言葉だった。一成は目を瞬かせてから、あくまでも落ち着いた声で「そうなんだ」と答えた。
前のマネージャー。現在のマネージャーである井川の前、子役時代から天馬のサポートをしていた人物だ。交代しているという事実は知っていた。
だけれど、別の人を担当しているとか、会社を辞めたのかな、なんてぼんやり考えていたくらいで、亡くなっているとは思っていなかった。だから内心で動揺したけれど、それを悟らせないほうがいいような気がして、一成はなるべく平淡な声で答えたのだ。
「それなりの年齢だったっていうのに加えて、病気が見つかって治療に専念するからって事務所を辞めることになった」
言いながら、天馬は水桶を手に取った。柄杓ですくい、丁寧に水をかけていく。それを見守っていると、途中で手を止めた天馬は淡々とした調子で言葉を落とす。
曰く、先代マネージャーは事務所を辞めてからしばらくは治療に臨んでいたものの、結果は思わしくなく、ほどなくして帰らぬ人となったらしい。身寄りがほとんどいなかったこと、事務所で長い間貢献してくれたことから、天馬の両親が中心となって弔いを行ったという。
「オレなんて孫みたいな年齢だったからな。プライベートだと甘やかしてくれることも結構あったけど、仕事にはめちゃくちゃ厳しかった。子どもだからって手を抜かない人だからありがたかったな」
幼いながらもプロ意識が高い天馬だったので、子どもといえど妥協を選ばない先代マネージャーとは相性が良かったのだろう。懐かしむまなざしを浮かべて、天馬は言葉を続ける。
「自分のプライベートな話はほとんどしなかったけど、オレの話はよく聞いてくれた。些細なことでも、楽しそうに聞いてくれるのが嬉しかったな。両親の話も色々してくれたし、少ない時間で家族の時間を過ごせるよう取り計らってくれた」
あくまでもマネージャーとしての立ち位置を崩さず、だけれど天馬の人生が豊かになるよう、仕事以外の面でも助力をしてくれた人だった。天馬は思い出したように柄杓を持つ手を動かし、墓石にたっぷりと水をかける。夏の暑さにも負けることのない、瑞々しい輝きが放たれていく。
「――オレの結婚式が楽しみだ、なんて小学校に入ったばっかりのオレに言ってて、気が早いなって思ってた」
真っ直ぐと墓石を見つめていた天馬は、そう言うと一成へ視線を向けた。いたずらを仕掛けるようで、何かをそっと抱きしめるような笑みを浮かべていた。
「恋人ができたら紹介してくださいねって言ってたんだよな。それを思い出したってのもあるし、最近墓参りもしてなかったからいい機会だろ」
当然のことを語る素振りの天馬に、一成は納得する。
一体どうして突然墓参りに行きたい、なんて言ったのかと思ったけれど、きっかけはこの前の一件だと察しがついた。二人で映画を見ていた時、先代マネージャーの話になった。天馬にとって思い出深い人だろう。そんな人物と交わした約束を思い出して、それを叶えようとしたのだ。
昔交わした言葉は、単なる思い出の一つにしてしまっても構わない。だけれど、天馬はそれを選びやしないのだ。たとえどれだけ年月を重ねようとも、遠い過去の言葉だとしても、相手はもう世界のどこにもいないとしても。天馬ならば、きちんと約束を叶えようとする。
「約束したからな。ちゃんと恋人連れてきたぞ。同じ劇団の――そもそも、劇団入ったって言ったら驚かれそうだけどな」
やわらかな微笑を唇に刻んだ天馬は、気恥ずかしそうな雰囲気を漂わせて墓石に向かって告げる。それを隣で聞いている一成の心臓は、どきりと跳ねた。恋人。天馬は照れくさそうにしながらも、きちんとそう言ってくれるのだ。思い出の中にいる大事な人に向けて、一成のことを恋人として紹介してくれる。その事実に、一成はきゅっと唇を噛んだ。しかし、それも一瞬だった。
「何かめっちゃ紹介してくれんじゃん、テンテン」
ぱっと明るい笑みを浮かべて、心底楽しくて仕方ないといった風情で言う。交際している相手をきちんと紹介する、なんていうのは非常に天馬らしい行動だ。だから、こうして墓石相手だろうとちゃんと言葉にすること自体は自然だと思えた。
だけれど、いざ言葉にされた時、一成の胸には影がよぎったのだ。それは天馬の行動が不快だとかそういうことではなく、あらためて思ってしまったのだ。
「オレ、テンテンにはふさわしくないとか言われそう~」
冗談めいた言葉だ。あくまでも軽い口調で、重大なことだと思っていない素振り。だけれど、それは紛れもない一成の本心だった。
天馬の手を取ったことを後悔はしていないし、自分なりに覚悟はした。だけれど、天馬の隣に立つのにふさわしい人間だと言えるのかと問われれば、一成は自信を持ってうなずけなかった。天馬のことをずっと大切に思ってきた人を前にしたら、きっとすくんでしまうだろう。
天馬を何より大事にしてくれる人相手だからこそ、自分自身が天馬にとってのマイナスになってしまうと判断されることが怖かった。
「何言ってるんだ、お前」
一成の言葉に、天馬は怪訝な顔をして答えた。心底理解できない、といった表情をしているから、一成はいっそう明るい笑顔を浮かべようとした。こんなのは全部冗談だよ、と。本心じゃないから流しちゃって問題ないんだよ、と。伝えようと思ったのに。
「オレが選んだ相手に文句つけるわけないだろ」
一成が何かを言うより早く、天馬はきっぱりと言った。冗談の雰囲気はかけらもなく、どこまでも真剣なまなざしを真っ直ぐ一成に向けて。誓いを懸けるような響きさえともなって、言葉を続ける。
「オレが本当に好きな相手なんだ。祝ってくれるに決まってる」
天馬が思うのと同じように、相手から心を返されたなら。一方通行ではなく、互いに心を分かち合って、新しい関係を結ぼうとしたなら。それは決して当たり前に訪れる結末ではないのだ。思いを告げて、同じ思いを返された。相手を特別にすることを、お互いに許し合った。その事実を、心から祝ってくれるのだと天馬は告げる。
何一つ疑いなく放たれた言葉に、一成は胸中でそっと嘆息した。天馬の力強さなら、きらきらとしたまばゆさなら知っていたけれど。今、この瞬間に告げられる言葉も、なんて輝きに満ちているのだろう。
思うのと同時に納得もしていた。テンテンならこう言う。何一つ疑う余地なんかないくらい、真っ直ぐと心を向けて、大事なのだと告げてくれる。言葉にすることが苦手だけど、大切なことはきちんと伝えてくれる人だ。だから、オレが恋人だってことをためらうことなく告げてくれる。
それは、思い出の中の人物への信頼であるのと同時に、一成への揺るぎない気持ちの表れでもある。一成のことが好きだと、大切な恋人であると、天馬自身が何よりも思っているからこそ、一成のことを恋人として紹介してくれたのだ。
それを事実として受け取った一成は、そっと笑みを浮かべた。さっきまでの、よくできた明るい笑顔ではなかった。心の奥底、一番やわらかい場所から思わずこぼれてしまったような、そういう笑みだった。
「そんじゃ、ちゃんと挨拶しなくちゃねん」
さきほどまでの軽やかさに似て、だけれどもっとやわらかな響きを宿した声で言うと、一成は真っ直ぐと墓石を見つめた。
天馬の話でしか聞いたことのない人だ。一体どんな顔をして、どんな声をしていたのか、どんな風に天馬と接していたのかはわからない。だけれど、確かに天馬と共に生きていてくれた人だ。
一成はしゃがみこむと、両手を合わせた。周囲に人がいないことを確認してから、そっと口を開く。
「初めまして。テンテンとお付き合いしてる三好一成です!」
明るい口調で告げる一成は、照れくさそうな表情を浮かべている。だけれど同時に、天馬の恋人であると言える事実に、くすぐったさと喜びも感じていた。それがにじみでるような声で、一成は言葉を続ける。
「テンテンのこと、めっちゃ大事にしてくれてありがとうございます」
詳細を知っているわけではないし、情報源は天馬からのいくつかの話だけだ。だけれど、そこから察することができるものはあるし、こうして墓参りに訪れている事実からも関係性は理解することができた。
墓石の下に眠る彼は、この上もなく天馬を大事にしてくれたのだ。そうでなければ、天馬はこんな風に一成をともなって墓参りには訪れないだろう。
「テンテンが今のテンテンでいてくれるの、たぶん色んな人との出会いがあったからだと思います。オレはテンテン大好きだから、テンテンを作ってくれた人にめちゃくちゃ感謝してます」
思い出すのは、二人で映画を見ていた時のことだった。202号室で、天馬は先代マネージャーの話をした。それまで聞いたことのない話は、天馬にとって特別な記憶のはずだ。他の人にも話してはいない類のものだろうし、それを一成にしてくれるのが嬉しかった。
何よりも、一成の知らない年月を生きた天馬に触れられた。幼い頃に交わした会話を、その時に感じたことを教えてくれた。それは、一成の知らない天馬の過去に、寄り添うことを許されたようで、一成の胸は言いようもない幸福で満ちていったのだ。
同じ過去を一成は天馬と過ごすことができない。だけれど、過去の話をしてその時に感じたことを告げてくれた。それは、一成と出会うまでの天馬ごと抱きしめていられるような、そんな体験だったのだ。
一成の知らない天馬の過去。そこには目の前で眠っている彼も確かにいたのだ。今はもうこの世界のどこにもいなくたって、天馬を大事にして、今の天馬を形作ってくれた人だと知っている。
だから一成は、心からの感謝を込めて墓石に手を合わせている。
墓参りを終えた二人は、来た時と同じ道を辿って駅へ向かった。このままどこかへ出掛けるにしろ、寮へ帰るにしろ、電車で移動しなくてはならないのだから、当然の選択だろう。
気温は順調に上昇している。一成はいつものハットをかぶっているし、天馬も変装用に帽子を着用しているとは言え、太陽の光は強い。アスファルトからの照り返しと周囲を覆う熱気にあてられて、足取りは自然と重くなる。駅へ着く頃にはすっかり汗だくになっていた。
「今日も暑いね~」
ホームに辿り着いた一成は、笑いながら空を見上げる。視線の先には、これでもかと存在を主張する太陽が輝いていた。ギラギラした光は、電車が出たばかりで人気のないホームへ突き刺すように降りそそぐ。
それを認めた一成はわずかに眉をしかめたものの、すぐに笑みを咲かせて口を開く。
「てか、これからどうする感じ? とりあえず、寮戻るんでおけまる? それともどっか行く? あ、ランチしてくのもいいよねん」
時間帯もちょうどいいし、と言う一成は取り出したスマートフォンを操作する。ただ、緩慢な調子で数秒ほど画面をタップしたかと思うと、すぐに顔を上げた。
「テンテン、何か希望とかある? さっぱりしたもの食べたいとか、あえての激辛がいいとか!」
ぴかぴかとした明るさで問いかける一成を、天馬は真っ直ぐ見つめた。向かいのホームに電車が来る旨のアナウンスが流れている。生ぬるい空気を動かすだけの風が、二人の間を通り過ぎていった。
一成はと言えば、あまりにも真剣な顔で天馬に見つめられるので、次第に笑顔がぎこちなく固まっていく。一体どうして天馬がこんな顔をしているのかわからなかったのだ。もしかして、知らないところで何かやらかしてしまったのだろうか、と内心で冷や冷やしていると、天馬が突然動いた。
一成の腕を掴むと、ホームをずんずん歩き出したのだ。一成は目を白黒させて「え、なに、どしたのテンテン?」と言うけれど、天馬は意に介さない。迷いのない足取りで進むと突然立ち止まる。ホームの片隅。自動販売機の隣に設置されたベンチに、問答無用で一成を座らせるときっぱり言った。
「少し休んだら寮に帰る。お前、無理してるだろ」
強い声だった。一つだって疑念を挟む余地のない、確信を持った響きをしていた。一成は、ぱちり、と目を瞬かせたあと口を開く。なるべく軽やかに、明るい空気で。
「そんなことないよん。確かに、今日はちょっと暑いけど!」
だから疲れて見えただけだよ、と言うけれど天馬は静かに首を振る。淡々とした調子で続けるのは、今この時までの一成の様子だった。
駅まで帰ってくるのに足取りが重かったこと、ホームで日差しに眉をしかめたこと、スマートフォンを操作する指先が緩慢だったこと、すぐに画面から目を離したこと。一つ一つは大したことではなくても、積み重なれば答えは自ずと導き出されるのだ。
「昨日も忙しかったって聞いてたし、最近いろいろ課題もやってたしな。それに、オレより体力ないんだ。この炎天下で動き回ったら、調子が悪くなってもおかしくない」
体力作りは行っているけれど、夏組の中でも一成は決して体力があるほうではない。何かと忙しい人間であることも事実だし、疲れもたまっていたのだろう。そんな状態で、夏の日差しが降りそそぐ中歩き回れば、具合が悪くなっても不思議ではないと思えた。
「今日はこのまま寮に戻る。ちゃんと休め」
「でも、テンテンせっかくのオフじゃん……」
「一成の体調のほうが大事に決まってるだろ」
何を言っているんだ、という顔で天馬は答えた。一成の具合が悪いのに、どこかへ行きたいなんて気持ちになるわけがないのだ。確かに一緒に出掛けることは楽しいけれど、一成に無理をさせてまで果たしたいわけではないのだから。
「無理はするな。倒れたりしたらって思うと、オレが心配なんだよ」
一成は自分の不調を隠すのが得意なほうだ。それは、他人に心配をかけることを嫌う性質で、誰かの負担になることを極度に恐れる性格だからだろう。わかっているから天馬は言った。きっと一成は、自分の体調のせいで天馬に我慢をさせている、と思ってしまう。だけれど、これは自分自身の望みなのだと伝えたかった。
他の誰でもなく、天馬が一成を大事にしたくてこうしているのだと、ちゃんとわかってほしかった。
「――とりあえず、水分補給しとけ」
それなりにストレートな物言いをしたことに気づいて、天馬は自動販売機に向き直った。なるべく気持ちを伝えようとは思っているけれど、恥ずかしさが消えるわけではない。照れ隠しも兼ねて、天馬はスポーツ飲料を一本購入する。
がこん、と落ちてきたペットボトルを取り出し、一成に向き直る。一成は、明るい笑顔を浮かべていなかった。戸惑いにも似た表情を浮かべて、天馬を見つめている。そのまなざしを正面から受け取った天馬は、ペットボトルを差し出した。
「今日は寮でゆっくりする日にすればいいだろ」
何も、どこかへ出掛けるだけが全てではないのだ、という意味を込めて告げる。寮に戻って二人で過ごすだけでも、充分特別な時間を過ごすことはできる。その意図を、一成が理解しないはずがなかった。差し出されたペットボトルを受け取ると、小さな声で言葉を落とす。
「ありがとねん、テンテン」
そう言って、一成は白い歯をこぼして笑った。薔薇色の頬で、きらきらとした光を宿したまなざしで、何だか心底嬉しそうに。それを見つめる天馬は、思わずぱちぱちと目を瞬かせた。夏の日差しにも負けないほど、あまりにも強い光が天馬の視界を、胸を射抜いたからだ。
「飲み物もだし、疲れてることとか気づいてくれて、ちゃんと休めって言ってくれるとことかさ。テンテン、めっちゃやさしーね」
ペットボトルを大事そうに両手で包んだ一成がそんなことを言うので、天馬はいささか上ずった声で「そんなの当たり前だろ」と答える。実際、天馬にとって自分の行動は、特別「やさしい」と言われるようなものではない。一成を大事にすることなんて、そんなのは当たり前のことでしかないのだから。
しかし、それを指して一成は「やさしい」と言って、心底嬉しそうに笑うのだ。とても特別な贈り物でももらったみたいに。世界中の宝物を集めて渡されたみたいに。天馬の行動一つで、あんなにもまぶしい笑顔を浮かべてくれる。
その事実に、天馬の心臓はドキドキと鼓動を速めた。胸を渦巻く感情が、暴れまわって落ち着かない。弾む心が全身を駆け巡って、無性に叫び出したくなる。
だって一成は、あんなふうに笑う。オレの言葉で、行動で、世界で一番幸せだって顔をしてくれる。
その事実に、辺りに光があふれだすような気がした。自分の行動が一成の笑顔になるのだと、彼の幸せにつながっているのだと理解した瞬間、ぶわりと世界中が光に包まれたのだ。同時に胸がいっぱいになり、ただすんなりと思った。
笑顔にしたい。幸せにしたい。あげられるものなら、何だってあげたい。オレの望みは、幸福は、きっとこんな形をしているのだ。
ベンチに座る一成は、ペットボトルを傾けて喉を潤している。すると、そろそろ電車が来るというアナウンスが流れて、一成は視線を天馬に向けた。
ペットボトルの蓋を締めると「そんじゃ、寮でゆっくり何する?」と尋ねるので。さっきまでのまばゆさに目がくらむような気持ちになりながら、天馬は「一成がやりたいことがあれば言え」と答えた。