終末エスケープ 前編
午後はお互い自由に過ごした。一成は先輩への聞き取りを行い、それが終わったあとはパソコンでの作業に専念していた。自分のものは持ってきていないから、先輩のパソコンを使う必要があったので、工房のある母屋での作業だ。
天馬は「ちょっと外見てくる」と言って出掛けていた。それとなく天馬の方向音痴を耳に入れていたせいか、先輩は道案内を買って出てくれたようで、内心で安堵しながらパソコンとネットショップのメンテナンスを行う。
一人で没頭していれば、あっという間に時間は過ぎる。気づけば辺りはすっかり暗くなっていて、部屋は真っ暗だった。ただ、それくらい集中していたおかげで、やるべき作業はおおむね完了していた。一成は帰ってきた先輩に必要なことを伝えてから、大急ぎで離れへ戻った。
「テンテン、めんご~! 遅くなっちった!」
「別にいい。仕事してたんだろ」
「そーだけど! 一緒に料理したいじゃん?」
台所に立つ天馬にそう言った一成は、流しで手を洗う。これから二人で夕食の準備をするのだ。炊飯器のスイッチはすでに入っていたので、あとは炊き上がるのを待つだけだ。一成は笑みを刻んで、しみじみとした口調で言う。
「テンテンも料理するようになったもんね~」
以前の天馬であれば、食事とは誰かが用意してくれるもの、という認識でしかなかっただろう。しかし、寮で生活する内に台所へ立つ機会も増えた。
料理上手に比べればまだまだだし、決して戦力になるとは言えない。それでも、簡単なことならできるようになったのだ。事前にご飯を炊いておく、なんてことだって当たり前のようにやってくれる。
「そんじゃ、野菜ばんばん切ってこっか! 野菜たっぷりのお鍋だよん」
嬉しそうに言った一成は、ダイニングテーブルに向き直った。目の前には、ハクサイやダイコンなどの野菜が並んでいる。
こぢんまりとした台所は、作業スペースも広くはない。二人で料理をするには狭いので、ダイニングテーブルも作業台として使うのだ。天馬は台所に立っているので、背中合わせのような位置関係だった。
「先輩からいっぱい差し入れしてもらったかんね。ハクサイと、ダイコンと、シイタケ、長ネギ、シュンギク、それからニンジン!」
こんもりと並んだ野菜の一つ一つを確認してから、振り返って声を掛ける。すると、苦々しげな声で「ああ」と天馬が答えた。野菜全般が好きではないので、今日の夕飯にこれが並ぶという現実に直面しているからだろう。一成はそんな天馬の様子に、面白そうに笑みを浮かべる。
「大丈夫だって! 自家製味噌、美味しかったっしょ? 味付けはばっちりだし、美味しくできるって!」
体ごと向き直り、天馬の顔が見える位置に立つと、明るい声で言った。
朝食でも使用した味噌汁は、先輩手作りの自家製味噌だ。大豆栽培から手掛けたということで、本格的な手作り味噌と言える。今日の鍋は、この味噌を使った味噌鍋の予定だ。甘味も強いので天馬も気に入るだろうと一成は思っていた。
「だしもちょっと入れるし。テンテン、野菜もちゃんと食べるんだよ」
「わかってるよ」
一成に視線を向けた天馬は、顔をしかめて答える。一成は軽やかに笑い声を立てて、さて野菜を切るか、と包丁を手にしようとしたのだけれど。そこで天馬が「あ」と小さく声を上げるので、「どしたの」と問いかける。
「いや。そういえば、今日の夕飯にって鶏肉もらった。冷蔵庫に入れてある」
「そーなん?」
ぱちり、と目を瞬かせた一成は答える。夕飯に食べてくれ、と言ってもらったのは野菜だけで、肉の類は特になかった。ここで肉はそれなりに貴重品だとわかっていたから、むしろなくて当然だと思っていたのだけれど、渡し忘れていたのだろうか、とぼんやり思う。
「何か、薪割りの手伝い賃だとか言われた」
「え、テンテン薪割りやってたの?」
「トレーニングにもなるだろ」
淡々と言う天馬曰く、道案内してくれた先輩と連れ立って歩いている内に、枝を切り落とした木材が整理されて並んだ場所に出た。薪の原木置き場で、これから適度なサイズにしなければならない。つまり、薪割りが必要になる。
薪は何かと重宝するので、大量にストックしておきたい、という言葉に天馬は手伝いを申し出た。先輩が天馬のために道案内という役を買って出てくれたことは察していたのだ。天馬がいなければ、薪割りの時間も取れたはずだ、と思えば当然の申し出だった。
先輩は何かを考えるような素振りを見せたあと、最終的にうなずいた。天馬はしっかり筋肉がついているので、足手まといになることはないと思ったのかもしれない。
「実際、途中から結構面白くなってきたんだよな。最初は要領がつかめなかったんだが、最後の方ではだいぶちゃんとできるようになった」
斧の使い方を教えてもらって、薪割りに臨んだ。当初こそ扱いに戸惑っていたものの、元来天馬は体を動かすことが嫌いではない。そもそも、自分の肉体を思い通りに動かすことには長けているし、体力なら充分あった。なので、数をこなす内きちんと目的を果たすことはできるようになったのだ。
「予定してたより多く薪が作れたからって、肉もらった」
「ってことは、テンテンが働いたから肉ゲットってこと? さっすがテンテン、頼りになる~!」
茶化した口調で言うけれど、心からの本音だった。天馬の働きに応えてのことというのは事実だし、それはとても天馬らしいことだと一成は思っている。何も仕事がない、と言っていたけれど、天馬はとても真面目な人間である。自分のやるべきことを考えて、必要とあらばきちんと動いて為すべきことを果たしてくれる。
出会った頃のオレサマと言われている時だって、真面目なところは見え隠れしていた。素直になるのが苦手だからわかりにくいだけで、本質的な部分は変わらない。
過ごした年月が積み重なって、そういうところをきちんと見せてくれるようになったのだ、と思うと一成の胸は落ち着かない。大事だと思う気持ちや、天馬の持つ大好きなところを抱きしめていたくて、心があふれだしてしまいそうになる。
ただ、それを感じさせないよう、一成は極めて明るく言葉を続けた。
「薪割りしてるテンテン、見たかったな~。めっちゃかっこいいんじゃね?」
「薪割りにかっこいいも何もないだろ」
一成の言葉に呆れたように言うものの、漂う雰囲気はまんざらでもない。一成は唇に笑みを刻んで、「えー、絶対かっこいいっしょ!」と力説しながら、作業台に向き直る。いつまでだって話していたいけれど、このままでは夕食にありつけそうにないとわかっていた。
ただ、天馬も一成も話したい気持ちは同じだった。話は途切れず、ささやかな話題を広げながら夕食の準備は進んでいく。
雑談が弾んで、準備はなかなか進まなかった。おかげで、夕食の時間は予定より遅くなってしまった。その分よけいに空腹が募ったのか、それとも味付けが気に入ったのか、天馬は予想外にきちんと野菜を食べていた。
思わずほめたたえると「子供じゃないんだぞ」と言っていたけれど、一成に褒められること自体は嬉しいらしい。隠しきれないふわふわとした雰囲気に、一成は心底「かわいいなぁ」と思っていた。
夕食後は風呂に入り、その後は自由時間だ。とはいえ、これといってやることがあるわけではない。
電波は入っているものの、一成はここへ来てからほとんどスマートフォンを触っていない。天馬はもともと、スマートフォンをチェックする習慣がないのでいつも通りとは言えるものの、一成の行動は充分特異な事態だろう。ただ、それが一成の覚悟でもあったし、天馬もそれは理解しているようで、何も言うことはなかった。
二人とも、夏組からのLIMEへ当たり障りのない返事をする以外は、特にスマートフォンを手に取ることもない。漫画や本、テレビといった娯楽の類もないし、山の中の家だ。ちょっと外へ出掛ける、なんてことができるような場所でもない。
何だかやけにゆっくりと時間が流れていく。二人は他愛ない話をしながら夜を過ごし、部屋から星を眺めた。
障子を開けて、電気を消した。窓の向こうには、こぼれそうな星空が広がっている。
人工的な光がないせいか、天鵞絨町より澄んだ空気のおかげか。星はいつもよりよく見えて、美しさに磨きをかける。まるで宝石をちりばめたよう、なんて陳腐なたとえはまさしくその通りだからこそ、ありふれた言葉になるのだと思い知る。
美しい星空の下で、他愛ない話をしていた。大好きな人と、きらきらとした輝きを目に映しながら時間を過ごす。幸せでぜいたくで、いつまでだって見ていられるような気がしたけれど、いい時間になったので眠ることにした。
明日には天鵞絨町に帰る予定なのだ。それなりに移動もするのだから、体調は万全に整えるべきだという判断だった。
昼間干した布団は太陽の熱をたっぷり吸い込んで、思ったよりも暖かい。ただ、暖房器具はストーブしかない部屋だ。エアコンもなく、寝る時には消してしまうし、新しいとは言えない家は断熱効果に優れているわけでもない。ストーブを消してしまえば、次第に寒さが忍び寄ってくる。
「やっぱこの辺ってちょっと寒いよね~。エアコンないっていうのもあるかもだけど」
布団に潜り込んだ一成は、天馬の方へ体を向けてそんなことを言う。暖房器具が稼働していないということもあるけれど、根本的に寒さの質が違うのだろうという気がしたのだ。
「寮でも、エアコンつけたままは寝ないけどこんなに寒くないからな。標高が高い分、寒いんだろう」
天井を見つめたまま、天馬がつぶやく。天馬や幸はエアコンがあまり得意ではないということもあり、201号室では就寝時にエアコンはつけていない、というのは一成も知っていた。
「その代わり、星がよく見えた」
顔を動かした天馬が、一成を真っ直ぐ見つめて言った。和室に灯る小さな豆電球でもわかるような、はつらつとした笑みを浮かべて。真正面から受け取った一成の心臓が、一際大きい音を立てる。
「空に近い所だし、空気も澄んでる。空いっぱいの星が見られて嬉しかった」
目を細めて天馬が笑うので、一成の胸はずっと落ち着かない。天馬と星を見るのは今日が初めてではない。それこそ夏組で一緒に星を見たことは何回だってある。天鵞絨町で過ごす時だってそうだし、合宿所でも空を見上げた。それに、夏組だけの旅行で星を見に行ったことだってある。
天馬にとっての初めてではないのに、光がこぼれるように天馬は笑うのだ。心からの喜びをたたえて、今ここで過ごす時間をこの上もない宝物だと伝えるように。
「――うん。オレも、嬉しい」
天馬の言葉へ答えるように、一成も言った。事実として、天馬と星を見られることが嬉しかった。だけれど、それ以外の気持ちもあった。
一成はずっと嬉しかった。天馬と一緒にいられること。同じ時間を過ごせること。ささやかな瞬間を、共に分かち合えること。天馬の隣を独り占めできること。みんな、みんな嬉しかった。
寮で過ごす時間も一成は大好きだし、心から大切だと思っている。カンパニーメンバーと重ねる思い出は、いつだってぴかぴかと光り輝いている。ただ、同時に思っていたことも本当だ。
他の誰かと一緒じゃなくて。みんなの内の誰か一人じゃなくて。テンテンと二人だけで過ごせたらいいのにな、なんて。
天馬は誰からも愛されてしかるべき人間だ。だからこそ、多くの人の中にいることが似合う。自分の隣にだけいてほしいなんて、そんなのは過ぎた望みだと思っていたのに。
今一成は、天馬と二人だけで同じ時間を過ごしている。二人だけの家で、一緒に料理をして、共に食事を囲んで、二人でささやかな話をして夜空を見上げた。誰かの内の一人ではなく、天馬は一成だけを見てくれた。
「テンテンと一緒で、嬉しい」
こぼれる心がそのまま形になったように、一成の唇から声が落ちた。ここにいられることが、隣にいられることが、天馬と一緒にいられることが、どうしようもなく嬉しかった。
天馬は一成の言葉に目を瞬かせたあと、照れくさそうな表情を浮かべる。薄明りでよくはわからなくても、漂う雰囲気を察することはできた。天馬のことならずっと見ていたのだ。他でもない一成が、わからないはずがなかった。
きっとオレは、暗闇だってテンテンのこと見つけちゃうんだろうな、と思っていると小さな声が響いた。ぶっきらぼうとも言える響きで、だけれど奥底にやわらかな心を隠した声で天馬は言う。
「その、オレも……一成とここにいられて、嬉しい」
小さな声だ。恥ずかしそうに告げられた言葉だ。だけれど、そこに隠された心はちゃんと届く。一成向かって届けられる確かな気持ち。一成は「うん」とつぶやいて、天馬を見つめた。
和室に灯る、小さな豆電球。暗闇をどうにか照らすくらいの明かりでも、天馬の浮かべる表情は一成に届く。目を細めて、うっすらと頬を染めて、いつもの力強いまばゆさよりもやわらかい表情を浮かべている。
ああ、テンテンが好きだな、と一成は思う。いつだって力強くて、自分たちを引っ張っていってくれる天馬も、こんな風にやさしく全てを抱きしめるような天馬も、どんな姿も大好きだと思う自分の気持ちを、一成はあらためて自覚する。
だって天馬は、心から言ってくれた。天馬はおためごかしで心にもない言葉を口にするような人間ではない。自分の意志ははっきり告げるから、「嬉しい」と言ってくれたら、本心で嬉しいと思ってくれているのだ。
何も言わず山奥まで連れてきた。快適な場所かと言われれば、首を振るしかない環境だ。離れは狭いし年季も入っている。高級ホテルはもちろん、一般的なホテルともずいぶん勝手は違っているのだ。
古くて狭い家は、暖房器具もストーブ一つきり。布団を抜け出せば寒さが忍び寄るに違いない。トイレだって暗い廊下を通った先にあるから、天馬がびくびくしていることは一成だって気づいている。
寮では見られない大きな虫だって出るので、天馬は大騒ぎしていた。何か欲しいものがあったとしても、すぐに買いに行ける環境ではないから、我慢だってしなくてはならない。
MANKAI寮で過ごす内に、だいぶ一般的な生活に慣れ親しんだとはいえ、天馬は本来裕福な環境で生きている。気温も湿度も完璧に整えられた部屋や、隅々まで掃除の行き届いた清潔な環境で、快適に過ごすことができる。
利便性を気にする必要もないくらい、望んだものは手に入る環境だったはずだ。もちろん天馬は、今ではそうでない生活だってちゃんと送れるとはわかっているけれど。
今のこの環境は、一般的な生活よりもずいぶん不便なものだ。
周りには人家もない。コンビニやスーパーへ行くには車を出さなくてはならないし、それなりの距離がある。敷地内で採れたものを食べるのが基本だから、野菜や卵がメインで、嗜好品はもちろん肉だって貴重だから、好きなだけ口にはできない。
人間より自然が主役のような場所では、植物が旺盛に茂り昆虫が盛大に飛び回る。外灯だってないから、すぐに暗くなって外で活動はできない。暗闇の中を、びくびくしながら移動する必要がある。
自身で望んだ結果としての生活ならまだしも、事前の許可なく一成は勝手に天馬をここへ連れてきた。文句を言われたって仕方がないし、むしろそれは天馬の当然の権利だとさえ思っていた。
それなのに、天馬は言うのだ。心からの気持ちで、抱きしめるようなやわらかさで、一成とここにいられることが嬉しいと。
その事実に、一成の胸はどうしようもなく震える。天馬にとっては不便な場所で、決して居心地がいいとは言えない環境でも、天馬は嬉しいと言ってくれる。一成と一緒にいる、その事実が何て大事なことなのかと心から思ってくれている。
天馬の気持ちの意味なら、充分わかっている。だって天馬は特別な気持ちで一成を想っていると告げてくれた。だからこそ、一成と一緒にいられることが嬉しいと天馬は言うのだ。それを理解すればするほど、嬉しくて幸せで、同じくらいに泣きたかった。
愛されているのだと一成は思う。うぬぼれで傲慢な答えなのかもしれないけれど、ただの事実のように、すんなりと一成は思った。
夏組以外の特別な位置に自分を置いていてくれるからこそ、こんな風に天馬は言ってくれる。やさしい表情で一成を見つめてくれるし、二人だけの特別な時間を過ごすことができる。
理解している一成は、同じくらいに自覚していた。天馬に愛されている。それ以上に、一成だって天馬のことを愛したい。心から、自分の全てで愛をそそぎたい。
天馬のことならずっと見てきた。自信家で尊大なオレサマも天馬の一面ではあるけれど、誰より誠実で真面目な努力家だと知っている。高い目標に向かって、どこまでだって進んでいこうとする強さを持つ誇り高い人。愛情が深くて、心の全てを傾けて人を大切にできる、かけがえのないやさしさを持っている。
強くてやさしくて、きらきら輝く、大好きな人だ。天馬に想いを告げられるずっと前から、一成は思っている。大好き。テンテンのことが好き。
近くで共に時間を重ねる内に、息をするように自然に一成は天馬を好きになっていた。そんなのは当然だと一成は思う。
怖くて言えなかった本音を受け止めて、新しい世界を見せてくれた人だ。失敗しても力強く肯定して、一成の気持ちを誰より尊重してくれた。立ち止まった時には隣に立って、背中を叩いて一成の強さを信じてくれた。一成の生きる瞬間を、今この時の自分を、いつだって見守って、未来への道を共に歩こうとしてくれた。
好きになるなんて当然だった。自覚してから、ずっと一成は思っている。テンテンを大事にしたい。テンテンのことを、誰より一番大切にしたい。
天馬の力になりたかったし、怯むことがあるなら寄り添いたかった。笑顔だけをあげたかったし、涙なんて知らないでいてほしかった。もしも泣いてしまう夜があるなら、天馬のことを抱きしめて怖いことなんてないよと言ってあげたかった。ただ幸せだけを、呆れるくらいにあげたいとずっと思っていた。
「一成? 寝たか」
ずっと黙り込んでいたからだろう。うかがうように、天馬が声を掛けた。一成ははっとした顔で、「まだだよん!」と明るく答える。眠ったフリをしてもよかったのかもしれないけれど、天馬の呼びかけにはほとんど反射で答えてしまうのだ。
あまりにも明るい声だったからだろう。天馬は「寝るつもりあるのか」と言って面白そうに笑った。
「んー、何かまだ寝たくないっていうか、テンテンと話してたいっていうか!」
「さんざん話しただろ」
「テンテンと話すのめっちゃ楽しいからねん」
しんみりとした空気を悟らせないよう、うきうきとした調子で言えば、天馬は「まあな」と軽やかに答えてくれる。ああ、好きだな、と一成は思う。テンテンのことが好きだ。
「でも、明日も早いからさっさと寝た方がいいだろ」
「まあねん」
うなずいたあとは、少し沈黙が流れる。ちょうどよく風が吹いて、ガタガタと窓を揺らした。存外強い風ったので部屋全体が大きくきしんで、天馬がびくりと肩を震わせる。
「テンテン、トイレ行きたくなったら起こしていいからね」
冗談めいた口調で言ったのは、天馬の気持ちをやわらげるためだ。風で揺れる日本家屋というのはなかなかホラー要素がある。ただでさえ、トイレへ行くのにびくびくしていたし、まして夜中風があるともなれば怖がりにはこたえるだろう、と思ったのだ。
天馬は「子供じゃないんだから平気に決まってるだろ」と言うけれど、強がりであることはわかっていた。
「え~。そこはうんって言ってくんないと、オレがトイレ行く時起こしづらいじゃん?」
「お前が起こす側かよ。……いや、お前ホラー別に平気だろ」
「和風系はそうでもない的な?」
軽口で続けたのは、天馬が気遣いしなくていいようにと思っての言葉だ。もしも何かあるなら、気兼ねなく起こしてほしかった。一方的な提案ではなく、双方利害関係が一致したのだと思ってもらいたかったのだ。
案の定天馬は「まあ、それなら考えておいてやる」と言うので、一成は「やった~!」と明るく笑った。
ぱっと笑みを浮かべて心底嬉しそうに。はっきりと見えなくても、雰囲気は伝わる。だからこその表情ではあったけれど、まったくの嘘でもなかった。少なくとも一成は安堵していたのだ。
天馬の幸せを願っている。怖い思いもさせたくないし、心を煩わせることもしたくない。ここで過ごす時間は掛け替えのないものではあるけれど、同時に天馬に不便を強いることであるのもわかっていた。一緒にいられて嬉しい、というのは紛れもない本心だろう。だけれど、天馬はたくさんの我慢をしてここにいてくれるのも事実だ。
申し訳ないと思ったし、天馬には心のままでいてほしいというのが一成の望みなのだ。だから、わずかとは言え怖い気持ちを軽減する手伝いができるかもしれない、という事実が一成を安堵させていた。
面倒なことも不便なことも乗り越えて、こうしてここにいてくれる。その事実が一成には申し訳なくて、だけれど同じくらいに嬉しい。そう思うからこそ、一成は自分にできることは何だってしたかった。
天馬を大切にするのは、一成にとっての心からの願いで望みだ。大好きで大事な人だからこそ、天馬にしたいことやあげたいものはたくさんある。だからそれを間違えないようにしなくちゃ、と一成はそっと決意を握りしめている。
後編へ続く