終末エスケープ 後編




前編の続き




 帰る日の朝が来た。結局昨日は遅くまで話し込んでしまったから、起きる時間は少し遅くなってしまった。天馬にしては珍しかったけれど、「こういうこともあるだろ」とさして気にはしていないようだ。
 今朝も天馬は鶏小屋へ行って、ちゃんと卵を持ってきてくれた。道中で大きな虫が飛んで来て驚かされた、とぼやくので一成は「見たかった~」と笑った。天馬にとってはかっこわるい場面なのだろうとは思うけれど、そんなところも一成にはかわいくて仕方ないのだ。
 鶏小屋ではちょうど先輩に会ったようで、自家製パンももらってきていた。パンも作っていると言っていたので、驚くことではなかったのだけれど、先輩は思いの外天馬のことを気に入っているのだろう、と一成は察した。薪割りの件以外に、鶏小屋での行動にも思うことがあったのかもしれない。
 一成はしみじみ「テンテン、気に入れられてんね」と言ったものの、同時にそんなのは当然のことだと思っていた。天馬はいろんな人に愛される存在だ。たくさんの人に大事にされてしかるべきで、多くの人から大切に思われるのが当然だ。
 誠実で真面目な努力家。揺るぎない意志と強い決意で、目標へ向かっていく。トラウマと向き合って、立ち上がる強さを持った人。広くて深い愛情が体中に詰まっている。弱さも傷も知りながら、やさしさと強さを決して失わなかった。恐れも痛みも抱えて、なおまばゆい光を放っている。
 好きになるなんて当然だった。一成の一番になるなんて、特別になるなんて、当たり前の結論だったのだ。
 朝ご飯にしよっか、と言えば天馬は自然に一成の隣に立った。その近さが、そばにある温もりが、嬉しくて仕方ない。高鳴る鼓動を感じながら、一成は天馬へ返す答えを見つけている。


 少し遅い朝食を取ったあと、一成は「ちょっと出掛けよ!」と言って天馬を外へ連れ出した。よく晴れていて、青空が広がっている。天気の崩れはなさそうで、出掛けるにはちょうどいいと言えた。
 寮には今日帰ると言ってある。夕方にはここを出る必要があるけれど、それまではまだもう少し時間はあるので、少しくらい出掛けるのなら問題はなかった。
 どこに行くのかと尋ねる天馬に、一成は「いいところだよん」と答えて山中を歩く。深くまで分け入るつもりはなく、本格的な山登りというレベルではなかった。積雪もしておらず、ルートも設定されたハイキングコースは、散歩の延長といった具合だ。
 ただ、そこはあくまで山の中である。平坦な街中とは違っているので、それなりに運動にはなる。汗をかくほどはないにしろ、すっかり寒さを感じなくなった頃、目的地に辿り着いた。

「じゃーん! この辺で有名な湖だって! 観光地図にも載ってるよん!」

 大きく両手を広げた一成が示すのは、静かな水面をたたえる湖だった。ぐるりと周囲を取り囲む山々は、立ち枯れた木々でセピア色に染まっている。ただ、ところどころに常緑樹の緑もあった。全体的に落ち着いた色を宿した、冬山の景色だ。
 その中心には、吸い込まれるような深い青色をたたえる湖。空は水気を含んだような澄んだ青で、色合いの違う二つの青色が、目の前に広がっている。
 こぢんまりとした湖だ。ゆるやかな傾斜のついた岸辺には、特に柵などは設けられていない。木製のベンチが置かれているものの、それ以外に人工物の類はなかった。他に訪れる人もおらず、見晴らしのいい風景に二人以外の人影はなかった。

「一応観光スポットだけど、シーズン中にたまーに人が来るかもってくらいで、ほとんど誰も来ないらしいけどねん」

 言いながら、一成は傾斜を下っていく。そのまま木製ベンチに腰掛けるので、天馬も後に続いて隣に座った。
 湖は波も立てずただおだやかだ。時折鳥の鳴く声がする程度で、時間が止まったような静けさだった。しばらく沈黙を流したあと、一成はゆっくり口を開く。

「せっかくだし、ちょっと観光っぽいこともしよっかなって、先輩に聞いてみたんだよねん。そしたらここ教えてくれてさ。頂上まで行くのは装備足りないけど、湖くらいなら大丈夫だって」
「まあ、登山って感じではなかったからな。コースも整備されてたし」
「でしょ。あんまり山道って感じしなかったよねん」
「それは思った。三角に連れられた抜け道の方が、よっぽど足場悪かったぞ……」

 遠い目をして言う天馬の言葉に、一成は笑い声を弾けさせる。三角の知っている抜け道は、ときどき道なのかどうか疑わしくなることが多々あるのだ。

「むっくんも意外と抜け道いっぱい知ってるけど、ちゃんと道っぽいところ通ってくれるよ」
「三角は例外なんだ。まあ、九門は楽しそう!って付き合ってるらしいが」
「くもぴらしい~! ゆっきーはそもそも、抜け道拒否るよね~」

 夏組のことを思い浮かべて、あれこれと軽口を交わした。ここにはいない、二人にとって大切な人たち。こんな風に離れることは初めてではないし、今日には寮へ戻る予定だ。またすぐに会えるのだから、何てことない雑談のはずだ。
 しかし、夏組のメンバーについて話をしている一成はどこか遠いまなざしを浮かべていた。懐かしい思い出を語るような、長い別離を予感しているような。しんとした表情で天馬を見つめると、一成は静かに言った。

「今日帰るって言ったけど、先輩はもっといてもいいって。誰かが来るような場所でもないから、いくらでも泊まってもいいって言ってくれた。仕事はしなくちゃだけど」

 うっすらと笑みを浮かべた一成は、淡々とした調子で続けた。普段の明るさもハイテンションも全てが嘘みたいに、凪いだような表情で。

「ずっとここにいることもできるよ。このまま帰らないんだ。オレたちがここにいるなんて、誰もわからないよ。電車までは追えるかもしれないけど、車に乗ったらもうわからない」

 もしも二人が行方をくらませたら、カンパニーや家族、友人など、誰もがあらゆる手段を使って行き先を探すだろう。目撃情報や防犯カメラの映像から、最寄り駅まで辿ることはできるとしても、そこから先は先輩の車を使っている。駅に寄ることはほとんどないらしいので、タクシーならまだしも、一般人の車に辿り着くまでは時間もかかるはずだ。

「ここなら誰に会わなくても、きっと生活できる。ちょっとした買い出しくらいは必要かもだけど、それくらいなら顔知られてないオレができるし。先輩もよけいなこと言わないし、頼んだらオレたちのこと知らないって言ってくれると思うよ」

 じっと天馬を見つめて、一成は言う。唇には薄い笑みが浮かんでいて、冗談を言っているのだと言うこともできたけれど天馬は理解している。これは軽口でも何でもない、一成の本心だ。
「駆け落ちをしてほしい」と一成は言った。あの時から、ずっとずっと一成は真剣だったし、ここまでの全ては思いつきの行動ではないのだ。天馬がイエスと言ったなら、それを叶える手立てをきちんと用意して、ここまでやってきた。
 だからきっと、一成の言葉は真実なのだと天馬は思った。
 足取りを追えないことも、先輩が口を閉ざしてくれることも、恐らく単なる願望ではなく、実現性の高い事実に裏打ちされている。わかってしまったからこそ、簡単に答えを返すことはしていけない気がして、天馬は口をつぐんだ。
 天馬の沈黙の意味を、一成は理解している。自分の本気をきちんと受け取ったくれたのだ。一つだって蔑ろにすることもなく、全ての気持ちを受け止めたから、簡単に答えることではないと、真剣に考えてくれる。
 そんな天馬が好きだと思えば、気持ちは簡単にあふれていく。しんとしたまなざしで、それなのに猛る感情に引きずられて、心がこぼれだすように、一成は言った。

「ねえ、テンテン。このまま二人で、ずっとここで過ごそうか」

 駆け落ちをしてほしい、と連れ出した。何も言わずについてきてくれた。今日には帰ると言ってあるけれど、帰らない選択だってある。それはきっと、この上もない幸せだと一成は思う。天馬が自分だけを見つめて、二人だけの世界で生きられるのは、陶酔するような甘美な現実だ。
 一成の言葉に天馬は真っ直ぐ一成へ視線をそそぐ。揺るぎない、力強い光。それを見つめる一成は、魅入られたような気持ちで言葉を続けた。きれいだな。ずっとこの目を見ていたいな。酩酊にも似た気持ちのまま、するりと唇からは声がこぼれる。

「――この湖って、心中伝説があるらしいよ」

 脈絡のない言葉に、天馬が眉を跳ね上げた。いきなり何を言っているのか、と思ったのかもしれないし、一成の理性も突然ここで話題にすることではないと言っている。場違いだということはわかっていたのに、同じくらいにふさわしい話のような気もしていた。
 一成は天馬から視線を動かし、目の前の湖を見つめた。おだやかな湖面は、美しい青をたたえて一面に広がっている。この色を出すには、どの絵の具がいいだろうか、なんて思いながら、聞いた話を口にする。

「結ばれない二人が、来世ではせめて添い遂げたいって願って、一緒に死ぬことを選んで湖に身を投げたっていう伝説があるらしいよ」

 もしも今この世界で結ばれないなら、次の世ではせめて――と願って命を散らした二人。馬鹿な話なのかもしれないし、生きていればこそじゃないかと正論を言うことだってできる。常識と理性はそう言うし、一成だってうなずける。
 だけど、思ってしまったのだ。観光情報の一つとして伝説を聞いた時に。
 ああ、もしも来世で結ばれるなら。来世では、今の自分たちとはまるで違う二人で巡り会って、何の障害もなかったなら。そうしたらきっと、もっと簡単に二人で生きていくことはできたかもしれないのに。たとえば今知ってしまった、二人きりで過ごす日々みたいに。

「一成。お前も、そうしたいって思うのか」

 湖を見つめる一成に、天馬が言った。その声があまりにも強くて、一成ははっとした顔で天馬へ視線を向けた。
 揺るぎない光を宿した目。いっそ怒り出すような表情で、天馬は一成を見ている。馬鹿なこと言うなとか、縁起でもない話をするなとか。生きることを否定するような言葉を不快に思ったのかもしれない、と一成は一瞬思った。だけれど、すぐに違うのだと察した。
 天馬はいつだって、まばゆい光を抱きしめている。つまずいて転んでも、恐れや苦しみを体験して、光を覆う暗闇も知って、それでも衰えない確かな明かりを持っている人だ。だから、心中なんて結論は理解できないのだと言うこともできたのに。真っ直ぐ一成を見つめる目に、怒り出すような表情に、違うのだと理解する。
 テンテンはいつだって生きようとするから、この結論は簡単に選ばない。他の道を探して絶対諦めない。それでも、オレが望んだなら。本当に本当に、心の底からオレが望んだら、「わかった」と言う覚悟をしてくれる。
 言葉や理屈ではない、もっと深い場所でどうしようもなく理解してしまった。同時に、ぎゅう、と胸が締めつけられる。そののまま心があふれて、大声で泣き出してしまいそうだった。
 だって、ずっと前からそうだった。最初からそうだった。駆け落ちをしてほしいと言った時から、ここまでついてきてくれた時から、ずっと天馬は一成の気持ちを心の全てで受け止めてくれる。
 テンテンが好き。大好き。特別な一人なんて、ずっと前から決まっている。オレの特別はずっと前からテンテンだ。テンテンが好き。好きなんだ。
 荒れ狂うような気持ちで思う一成は、天馬に想いを告げられた時のことを思い出していた。
 夜の中庭。辺りを覆う寒さも、二人でいれば気にならなかった。にらみつけるような強さで一成を見つめて、天馬は想いを告げた。一成が好きだと、特別な一人なのだと言ってくれた。
 あの時の喜びを、どんな言葉で表せばいいのか一成にはわからない。きっとこの先、一生わからない。
 心からの言葉を告げられた時、一成は本当に嬉しかった。だってずっと前から、一成は天馬のことが好きだった。天馬に想いを打ち明けられるよりずっと前から天馬のことが特別で、他の誰とも違うたった一人だった。
 だから天馬の言葉が嬉しくて仕方なくて、あふれる喜びに圧倒されていた。嬉しくて嬉しくて、何だってできるような気がして、天馬に思い切り抱きついて「オレも、テンテンが大好き」と言いたいと思った。
 だけれど、一成は必死で自分を抑えた。嬉しくて仕方なくて、こんな喜びはきっともう二度とないと思うのと同じくらい、うなずいてはいけないと知っていたからだ。

 ――だって、テンテンがオレを選んだら、失うものが大きすぎる。

 それは単なる事実でしかないと、一成は理解している。天馬は子供の頃から名前を知られた、超がつくほどの有名人だ。確かな実力と華々しい経歴で、芸能界のトップで活躍している。そんな天馬が、同性を恋人に選んだら一体どんなことになるのか。
 最近では、真正面から否定されたり蔑まれたりすることもなくなってきた。理解は広まっているのだろうけれど、全ての人が受け入れてくれるわけはない。有名人であるがゆえ、集まる注目が多くなれば、その分天馬を否定する人間も増えるだろう。
 異性の恋人であれば気にする必要のないことが棘になり、心無い言葉を投げつけられる。悪意にさらされる機会がとたんに増えて、天馬の名前に傷がつく。
 簡単に予想できる未来だ。オレを選んだら、テンテンの未来には要らない困難やハードルが立ちふさがる。輝かしい未来に影を差してしまう。それを理解しているから、一成は天馬の答えに簡単にうなずけなかった。

「……テンテン……」

 天馬の問いにずっと黙り込んでいるわけにはいかないと、一成は口を開く。しかし、上手く言葉が出てこなくて名前を呼ぶしかできない。これじゃテンテンを困らせちゃう、とどうにか声を絞り出そうとしたのだけれど。真っ直ぐ一成を見つめるまなざしに、思わず口をつぐんだ。
 静かな目。それでいて、奥底に宿る光はあざやかで力強く、同じくらいに今にも泣き出しそうだった。凛とした意志と、こぼれていく心の内。二つを宿した天馬の瞳に、一成は理解する。言葉よりもっと強く、天馬の気持ちが真っ直ぐ飛び込んでくる。
 一成の想いなんて、天馬はとっくに理解していたのだと、すとんと悟る。答えがほしいと言っていたのは、一成の決断を尊重したいと思っているからで、天馬は一成の答えなんて言われなくたってとっくに気づいていた。
 肝心な時は絶対間違えない、本当はとても鋭い人だからこそ。天馬の未来を覆う影になってしまうと、天馬の言葉にうなずけなかった。天馬はいつだって一成の気持ちを見つけ出してくれる人だから、一成が考えていることなんてお見通しだったのだと、そのまなざしで理解する。
 ただの一般人ではない、有名人の皇天馬であるからこそ選べない答えがある。天馬の未来を思えば、その手を取ってはいけないことなんて明白だ。
 そういう気持ちを、天馬はきちんと理解していた。だから、ここまで一緒に来てくれた。二人で進むのは茨の道で、大多数から間違いだと言われる選択なのだと、一成が思っているからこそ、ここまで一緒に逃げてくれた。何もかもを捨てようとするみたいな逃避行に。
 その事実を握りしめるような気持ちで、一成は思う。――ああ、テンテンのことが好きだな。
 今日までの日々で何度だって思ったことを、一成は心の中で何度も繰り返す。当たり前の事実をなぞるみたいに、呼吸をするくらい自然に。テンテンが好き。大好きなんだ。
 いつだって真っ直ぐ向き合ってくれる。決して衰えない光で、何度も一成を照らしていく。一成の世界を生まれ変わらせて、新しい世界に連れ出してくれた。
 一成にとって特別な、たった一人はこの人なのだと、疑いなく言えた。だから、天馬が幸せになるなら何だってしたかった。自分がその邪魔をしたくない。自分にできることがあるなら、何を犠牲にしたってよかった。

「――オレが全部我慢すればいいんだって、思ったんだよねん」

 目を細めて、笑顔みたいな表情を浮かべて一成はつぶやいた。
 天馬に想いを告げられた時、取るべき選択肢はいくつも思いついた。その中で、理性はすぐに正しい答えを導き出した。天馬のことは友達としての好きなのだと言えばいい。そうすれば天馬には、誰からも指を差されることのない未来が開ける。それが正解で、天馬のための選択だ。
 だから、自分の心を殺してしまえばいいと思った。どうしようもなく特別だと叫ぶ心なんかなかったことして、友達の顔をして、誰かと人生を共にする天馬を祝福すればいい。自分のできる精一杯で距離を取って、天馬への気持ちは丁寧に葬っていくのだ。

「友達の顔してさ。オレの気持ちなんてなかったことにすればいいって思ったんだけど――テンテンにはバレちゃうんだろうなってのもわかってたんだよね」

 天馬は今まで何度だって、一成の気持ちを見つけてくれた。一成の本音を、心から思うことを拾い上げて、肯定して、全力で認めてくれた。そんな天馬だからこそ、一成が自分の心を殺していることなんて、きっとすぐに気づいてしまうだろう。

「……まあ、だからっていうのは言い訳なんだけどねん。単純にさ、オレも諦められなかっただけだよ」

 ベンチに座る天馬に、そっと言う。何の話かなんて、天馬は聞かなかった。明確な言葉にしたわけでもないし、答えを形にしたわけでもない。それでも、今こうして二人きりで逃避行をしていることや、一成の気持ちをいつだって受け止めてくれる天馬だから、言わなくたって理解していることはわかっていた。

「全部捨てちゃうのも考えた。生まれ変わるって、どんな感じだろうね。今と全然違うオレたちとして出会ったら、もっと簡単に二人で生きていけるのかなって思ったら、ちょっとうらやましかったよ」

 そう言って、一成は青い湖へ目を向けた。
 目の前の青い湖。波一つ立たない滑らかな湖面だ。この湖に残るのは、来世では結ばれることを願って命を落とした二人の伝説だ。果たしてその願いは叶えられたのだろうか、と一成は思う。
 次の世で巡り会って、今度はちゃんと手を取り合って、結ばれることはできただろうか。そうだったらいい。そうであってほしい。思いながら、一成は視線を動かす。天馬を見つめて、言葉を続けた。

「積極的に死のうって思ってたわけじゃないんだ。だけど、いろんなことを捨てようかって思った。今までのオレたちのこと、みんな捨てちゃうんだ」

 目を細めて、やわらかな声で一成は言う。おだやかで、いっそ慈しむような表情なのに、懺悔にも似た響きで一成は声を重ねていく。天馬はただ心の全てを受け止めようとするように、遮ることなく話を聞いていた。

「芸能人じゃないテンテンと、ウルトラマルチクリエイターじゃないオレで。お芝居もしないで、誰もオレたちを知らないところで、二人で生きていくっていうのも考えたんだよねん」

 そんなことはできないと、実現するはずがないと言われるかもしれない。だけれど、絶対に叶えられない話ではなかった。
 困難はあっても、そういう生活を送ることはきっとできる。何もかもを捨てて、今までの生活を全部なかったことにするのだと決めてしまえば。どんな苦難も乗り越えるのだと、愛おしいものたちと別れを告げるのだと、本気で覚悟をすれば。
 苦しく険しい道だとしても、必ず成し遂げると決意すれば、身を隠すようにして、二人で生きていくという未来を実現できる可能性はゼロではない。

「周りに誰も住んでない、こういう山奥でさ。虫とか多いからテンテン慣れるまで大変かもだけど! 筋肉ばっちりあるし、ちゃんと仕事してくれるし、意外と山暮らしも向いてるかも?」

 わざとらしいまでの明るい笑い声を響かせて、一成は言う。
 人と関わることのない山の中で、二人で毎日を過ごす。朝は鶏小屋から卵をもらってきて、二人でご飯を作ろうか。昼は畑の世話をしたり薪割りをしたりしよう。掃除も洗濯も、二人でやればすぐに終わるよ。 
 空いた時間には絵を描くから、テンテンはモデルになってね。夜になったら二人で星を見ようか。二人で見る夜空は、いつだってすごくきれいだよね。眠るまで、たくさんたくさん話をしよう。そしてまた、二人で新しい一日を迎えるんだ。