「いただきます」のその前に



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 発端は、談話室でのささいな会話だ。
 ソファで雑談をしていた時、太一が「明日は用事があるから、お昼は一緒できないんスよね~」と言った。ただ、天馬も「別に子供じゃないんだから問題ない」と返した。
 確かに、太一とは行動を共にすることは多いけれど、何も常に一緒にいるわけではない。天馬とて、一人で過ごすことができないわけではないのだ。主に方向音痴的な心配が周囲にはあるけれど、それはそれとして。
 太一もそれはわかっているので、若干不安そうな顔はしたもの、最終的に「そーッスよね!」とうなずいていた。ただ、そこで「そういえば」という顔をした。

「明日から学食使えないよね。天チャン、どうするんスか?」
「ああ。連絡来てたが、明日からだったか」

 緊急の設備点検のため二日ほど学食が閉鎖される、という連絡は大学内で広く周知されている。そういえばそうだったな、と天馬もうなずいた。同時に、確かに昼食をどうするか、と考え込む。
 太一はそもそも用事のため学外へ出ているので、大学の食堂が使えなくても問題はない。ただ、天馬は大学で昼食を取る予定だった。時間割の関係上そうならざるを得ないのだ。
 もっとも、周囲にはコンビニもあるし飲食店も数多い。食事の調達自体は、そう不可能なことではない。しかし、皇天馬という超有名人であることを考慮すると、選択肢は狭まると言わざるを得ない。

「大学のコンビニは大丈夫だと思うけど、お店入ったら騒ぎになりそうッス」

 心配そうな太一の言葉に、天馬は「まあな」とうなずく。自惚れでも何でもなく、純然たる事実だ。以前、大学近くの飲食店に入って騒ぎになったことは二人ともよく覚えていた。

「何かを買って持っていくっていうのが、一番妥当かもな。騒ぎになって授業に遅れると困る」
「それもそうっスね~。あ、それかお弁当作るのはどう? 高校の時、作ってもらって嬉しかったッスよね!」

 ぱっと顔を輝かせて、太一が言う。
 高校時代に持参していたお弁当は、寮の誰かが作ってくれることが多かったのだ。臣や監督が用意してくれたお弁当を開く時の、わくわくした気持ちやくすぐったさは、確かに天馬も覚えている。
 だから、まあ確かにそれもいいかもな、なんて思ったのだ。もっとも、料理の腕に自信はないので、夕食の残りと白米を詰めていくことになるだろうけれど。
 幸い、まだ日は高く本日の買い出しまでは時間もある。夕食当番に事情を話せば、弁当分の食材を上乗せすることにもうなずいてくれるだろう。思った天馬は、太一の提案に「そうだな」とうなずいて、言葉を足した。

「たまには弁当も悪くないかもしれない」
「え、テンテン、明日お弁当なん?」

 太一へ答えを返すのと同時に、明るい声が飛び込む。誰か、なんて思う暇もない。独特の呼び名や明るい雰囲気。こんな風に天馬に声を掛ける人間は一人しかいないし、間違えるはずもなかった。
 案の定、目を向ければキッチンに立っていた一成が、嬉しそうな表情でソファへ近づいてくる。自然な動作で天馬の隣に座ると、ぴかぴかした笑顔を浮かべて、弾んだ声で言った。

「ねね、テンテン、それならオレにお弁当作らせてよ!」

 ぐいっと顔を近づけた一成は、きらきらとした表情で天馬へ告げる。
 大きな瞳いっぱいに、輝きを宿して。とてもすてきなことを思いついた、という顔で。天馬はじっと一成を見つめてから、不思議そうな表情を浮かべる。

「一成が作るのか?」
「そそ。この前ガイガイの話聞いてから、お弁当作りたいなって思ってたんだよね~」

 楽しそうに言うのは、ガイがバーの客から依頼されてお弁当を作った時のことだ。天馬は一成に呼び出されて、ガイへの情報提供を頼まれた。ロケ弁いっぱい食べてるっしょ!という理由らしい。
 役に立ったのかは不明だが、ガイが作った弁当はインステでもかなりの評価を得ていたし、一成の刺激になったのかもしれない、と天馬は思った。

「たいっちゃんもガイガイのお弁当見たっしょ? あれ、マジですごくね!?」
「すごかったッス! やっぱり料理できる男って憧れッスよね~」

 天馬を挟んだ状態で、一成は太一に声を掛ける。太一は弾んだ答えを返して、二人は楽しげにお弁当についてのあれこれを話している。
 天馬は身動きも取れず、きゃっきゃっと交わされる会話を何の気なしに聞いているしかない。

「――ってわけだから、テンテンのお弁当作らせて!」

 一体何がどうなって「ってわけだから」なのか、話を聞いていてもさっぱりわからなかったけれど。一成はやたらと嬉しそうだし、太一もなぜか乗り気で「カズくんのお弁当ゲットのチャンスッスよ、天チャン!」なんて言っている。
 それに、天馬だって一成にお弁当を作ってもらうのが嫌なわけではないのだ。むしろ、自分で作らなくてもいいのだから、ありがたいとさえ言える。ただ、気がかりはあった。

「オレは構わないが、お前そんな暇あるのか」
「大丈夫だよん! 今そんな忙しくないし、お弁当作りで試したいこといろいろあるから、むしろ息抜き的な!?」

 テンション高めの言葉は、心底楽しそうに発せられる。天馬はじっと、その顔を見つめた。
 一成は以前と比べて本音を言うようになったけれど、自分の不調に関しては口を濁しがちだ。それがもどかしくて、どうしたらいいかわからずに戸惑うこともあった。ただ、今ではちゃんと踏み込んで力になってやるのだ、と天馬は決めている。
 それに、共に時間を過ごす内、板の上で心を広げて、二人だけの瞬間を分かちあってから、笑顔の裏に隠されたものを少しずつ見つけられるようになった、と天馬は思っている。
 その上で、目の前の一成が浮かべる笑顔を見れば心からのものだとわかる。天馬に弁当を作ることにわくわくして、楽しくて仕方ない、という表情。頑張りすぎているだとか笑顔に何かを隠しているとか、そういう翳りも見られないので、天馬は「無理はしていなさそうだ」と判断する。

「せっかく作るなら、誰かに食べてほしいんだよねん。だから、テンテンが食べてくれると嬉しいな~的な」

 少しだけ声のトーンを落として、うかがうような表情を浮かべて一成が言った。天馬の沈黙をどう受け取ったのか、何だか少し弁解するような口調で。

「オレ、テンテンのために美味しいお弁当作るし!」

 だから心配しなくていいよ、とでも言いたげな様子に天馬は小さく笑った。
 一成のことだ。誰かを喜ばせることが好きな人間だから、本気で天馬のためにお弁当を作ってくれるだろうことを、天馬は当たり前のように信じている。だから、答えなんて一つしかない。
 天馬は真っ直ぐ一成を見つめて、きっぱりと言った。

「それなら、頼んでもいいか」

 一成が本気でやりたいと思っていて、無理をしているわけではないなら、断る理由は特になかった。それに、「美味しいお弁当を作る」と言う一成がどんなお弁当を作ってくれるのか、という興味もあった。
 なので「頼む」と言えば、一成はぱっと華やぐ笑みを咲かせた。きらきらと、大きな瞳が星をちりばめたように輝いている。心底嬉しそうで、心からの喜びを抱きしめるような、そういう顔だ。
 あんまりまぶしくきらきらと笑う様子に、天馬は思わず一成を見つめる。若草色の瞳が生き生きと輝いていて、「相変わらずこいつは目が大きいな」と、何だか感心した気持ちで思っていた。




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