夏と神様 04話
大学のミーティングスペースに場所を移して、一成は天馬に対して基本的な説明を行った。
天鵞絨美術大学の簡単な紹介、それぞれの学科や専攻のこと。日本画専攻のカリキュラムや、学年別の授業内容、具体的な課題について。さらに、日本画そのものの歴史や技法なども、Webページや資料を使っておおまかに説明する。
大学構内には、来客対応のためのミーティングスペースが用意されている。外部とのやり取りが多い美大ならではだろう。事前に予約を取ることが可能なので、一成は日程が確定した段階で部屋を押さえていた。必要な機材や資料の手配、プレゼンテーションの流れなど準備は万端だった。
一成は人と話すことが好きだし、知っていることを整理して人に教えるのも好きな性分だ。
くわえて、天馬は自分なりにきちんと下調べはしてきてくれていたし、何より「知りたい」という気持ちが前面に出ている。わからないながらも、自分なりに一成の話を咀嚼した上で質問してくれるので、一成としても説明のし甲斐のある相手だった。
気のない相手でも、いかに楽しく興味を惹かせるか、と燃えるタイプではあるのだけれど。ちゃんと話を聞いてもらえるのは、当然それはそれで嬉しいのだ。
「――って感じなんだけど、結構一気に話しちゃったから、一旦休憩しよっか!」
一成の話をノートへメモしている天馬に向けてそう言うと、はっとした表情で「ああ、そうだな」とうなずく。ちらり、と壁の時計に視線を向けると驚いたように目を瞬かせるので、思っていたよりも時間が経っていたのかもしれない。
そうだったらいいな。時間を忘れるくらい没頭してくれてたらいいな。一成はそう思いつつ、明るい笑顔で告げた。
「んじゃ、オレちょっと出てくんね。テンテンもいがっちも、適当に休憩してねん。トイレとか自販機の場所、わかんなかったら教えるけど!」
最初に説明はしたし、地図もあるから大丈夫だろう、と思いつつ冗談めかして言ってみる。井川が「お気遣いありがとうございます」と言うし、天馬も「大丈夫だ」と言うので、一成は「おけまる~!」と言ってミーティングスペースを出た。
一成は一つ息を吐くと、ちらり、と背後へ目をやった。扉の小窓越しに、天馬と井川が何やら話をしている様子が視界に入る。今後のことについて確認をしているのかな、と思う。それが狙いだったので、ある程度時間が経ってから戻るつもりだった。
一成がいては込み入った話もできないだろう、というわけで一成はわざわざ部屋を出てきたのだ。とはいえ、やることがあったのも事実だ。一成はスマートフォンを取り出して、慣れた調子で操作する。
(教授にもちゃんと連絡しておかないとねん)
ドラマの役作りに協力してほしい、という依頼は教授を経由してのものだった。もっとも、直接師事している日本画の教授ではない。
他学科の舞台芸術関係の教授で、授業自体はあまり受けたことはないものの、何だかんだで顔見知りになっていた。何でもない雑談も気軽にできる関係である。その教授から、「今度のドラマで美大が舞台になるものがあり、日本画専攻の学生を演じるための役作りに協力してもらえないか」と相談を持ち掛けられたのだ。
一成は好奇心旺盛な性質だし、日本画をアピールできるチャンスでもある、ということで一も二もなくうなずいた。
もちろん、楽しむだけではなく仕事はきちんと行っている。教授も一成なら任せられる、と思って声を掛けたのだろうし、ちゃんと報告する義務がある、と一成は教授へメッセージを送信した。説明内容の概略と天馬の様子を伝えたのだ。
すると、そのタイミングで新しいメッセージを受信する。教授からの即レスかと思えば違っていて、友人からのものだった。
(ロミー、めっちゃ写真送ってくれるじゃん。野外スケッチ楽しんでるかな~)
見慣れたウサギのアイコンは、高校時代からの友人のものだ。自然と顔が頭に浮かんで、一成は友人について思いをはせる。
一成がロミーと呼ぶのは、因幡皓望という同級生だ。
小柄で色白。色素の薄い癖毛に金色の瞳。かわらしい容姿をしているけれど、その実やたらと気が強い。愛想もよくて明るいので、マスコット的扱いをされるものの、かなりはっきりした性格をしている。
高校一年生で同じクラスになり、それから三年間一緒だった。二人とも天鵞絨美術大学に進学し、日本画を専攻していることから、大学四年生の今では、もう七年の付き合いになる。
美大受験の時は互いを励ましあい、入学後も切磋琢磨して作品に磨きをかけ続けた。皓望と出会わなかった日々が思い出せないほど、二人で過ごした時間は充実していて一成にとって大切な思い出である。
そんな皓望が連投しているのは、青空や芝生、大きな木に季節の花、噴水や人工池などの写真だ。ゼミの有志による、野外スケッチのために赴いている公園のものである。
本来なら一成も一緒に行く予定だったけれど、役作りの一件で日程を調整した結果どうしても参加できなかった。何回か催されているイベントなので、一回くらいは見送ってもいいだろう、ということで今回は不参加だ。代わりに写真を撮ってきてほしい、と言ったからこそ、こうして張り切って送ってきてくれたのだろう。
一成は感謝のスタンプを連打してから、「めっちゃ晴れてるし、いい景色ばっかりだねん!」とメッセージを送った。すぐに既読がついて、返事がある。
――描きたいものたくさんだよ。カズも来られたらよかったのに!
――用事重なっちゃったんだよね~。ロミーが代わりに写真送ってくれるから、マジ助かってるよん!
――カズのためならこれくらい当たり前でしょ
言葉とともに続いたのは、胸を張るウサギのスタンプ。皓望自作のイラストで、一成にとってもなじみ深い。見慣れたスタンプに一成は笑みをこぼして、「感激」と目を潤ませるネコのスタンプを送った。
それから何度かやり取りをしていると、皓望の「そういえば」というメッセージから流れが変わった。
――飲み会の日程、来月の七日でオッケーだって。みんな集まれそう
――マ!? 七夕の日に会えるとか、何かロマンチックじゃね!?
――一年に一回とか嫌じゃない?まあ、僕はカズといつでも会えるからいいけど
――ロミーってばオレのこと大好きじゃん☆
――そうだよ。知らなかった?
――知ってた~!
冗談みたいな会話を繰り広げたあと、「ラブラブ」のスタンプを送ると、大量のハートを降らせるウサギが返ってくる。テンポのいいやり取りが心地いい。それに、飲み会の日程が確定したことも嬉しかった。
――高校のみんなに会えるの、久しぶりだからマジで楽しみ!
――高校から天美来たの、カズと僕だけだもんね
しみじみとした様子の言葉に、一成も感慨深い気持ちになる。
高校生活から大学までの日々。中学生のひとりぼっちだった時代からでは、とても考えられないくらいの充実した毎日だった。その中心にいたのは皓望だったのだとわかっている。
高校デビューをして、他人との距離の測り方を考えながら過ごしていた。ひとりぼっちになることが怖くて、いつだって他人の言葉にうなずくばかり。自分の意見なんて、とても言えなかった。
そのままなら、きっといずれ破綻していたのかもしれない。だけれど、そんな日々で真正面から一成と向き合ってくれたのが皓望だった。
一成の気持ちを問いかけて、取り出した本音を肯定した。どんな言葉も否定せずに受け止めてくれた。それがどれほど、一成の心を助けたか。
本音を言ってもいいのだと思えたからこそ、一成は高校時代の友人とも、腹を割って話せるようになった。そうでなければ、きっと今もまだ、常に他人の顔色をうかがった毎日を過ごしていただろう。
高校時代の友人との飲み会だって、こんなに晴れやかな気持ちで待っていられたかはわからない。楽しいとは思えただろうけれど、どこかで線を引いてしまっていたはずだ。
(ロミーのおかげだよねん)
ささやかなやり取りを交わす、スマートフォンの向こうの相手。
こんな風に心のままに言葉を返せることはもちろん、現在一成が日本画家としての道を歩き出そうとしていることにも、少なからず皓望の存在が影響していることを一成は自覚している。
一成はあまり賞の類に興味がなくて、積極的に応募するつもりはなかった。ただ、皓望は「そんなのもったいない!」と力説して、一成が応募するのにぴったりだとあれこれ情報を集めてくれた。
テーマ性のある絵を描くことも面白かったし、せっかくなら、という気持ちで賞へ応募したのは、大学一年生の時だ。
初めての応募にもかかわらず、一成の絵は高く評価された。その一件から、一成は界隈でずいぶん注目を集める存在になった。
学年が上がっても、それは変わらなかった。むしろ、ますます絵の腕に磨きをかけることでいくつも大賞を獲得することになったのだ。この結果自体は、当然一成の実力である。ただ、皓望の存在が大きかったことはよくわかっていた。
応募する賞にしても、皓望は一成よっぽど速く情報をつかんでくる。新設された賞にも詳しくて、まるで一成のためのようだなんて内容のものを見つけてくることも多々あった。
さらに、入手困難なモチーフを調達したり、ずっと使ってみたかったけれど廃番になった絵の具を「偶然見つけたんだ」なんて言ってプレゼントしてくれたり、皓望は一成の絵を積極的にサポートしてくれた。
結果として一成は、思うままに自身の作品を高めていくことができた。
順調に結果を出し続けたことから、卒業を控えた大学四年生の時点で、スポンサー契約の話も出ているくらいだ。日本画家として、この上もないほど順調な滑り出しが約束されている言っていい。
そのきっかけがどこかと言えば、皓望が積極的に賞への道を開いたことだ、と一成は思っている。皓望本人は「カズの実力だよ」と言うのもわかっていたけれど、皓望の存在はずいぶん大きい。
(だから、ドラマの役作りとかの依頼も来たっぽいし)
件の教授が一成へ頼んだのは、顔見知りであるとかコミュニケーション能力を買ってくれた、ということもある。ただ、一成が確かな実力を持っていることや、学外向けの広報にも慣れている、という点も関係しているのだろうと推測していた。
一成は在学中から取材を多く受けているし、密着取材によって大学のアピールにも貢献している。マスメディアとの付き合いも心得ているので、ドラマ関係の仕事も安心して任せられると判断したのだろう、と思っていた。
(面白そうって思ったから受けたけど、ラッキーだったかも)
一成は、ちらり、と扉の小窓へ視線を向けた。井川は手帳を確認しているし、天馬はノートへ視線を走らせていて、二人の間にやり取りはない。話したいことは全て終えたのだろう、と一成は判断する。あまり長い間部屋を空けていても不自然だし、そろそろ頃合いだ、と一成は部屋へと戻った。
「質問とかあったら、どしどししてねん! テンテンの役に立てたら嬉しいし!」
明るい笑顔の一成は、さっきと同じように天馬の前に座って、そう言った。天馬は微笑を浮かべて「ありがとう。助かる」と答える。
最初こそ天馬は、年下だし協力を依頼した側だし、というわけで敬語だったのだけれど、堅苦しいからタメ語でいいよん、と一成は言っていた。状況によってはもちろんきちんとした言葉遣いをするけれど、今はそんな場面ではないと思ったのだ。
気軽に話せる方が話も弾むし、という気持ちは当然あった。だけれど、一番は恐らく、天馬と壁を作りたくない、と一成が思ったからだ。
今回、ドラマの役作りに協力してほしい、と言われた時あまり詳細は聞かなかった。美大を舞台にしたドラマで日本画専攻の学生役、という時点で興味津々だったので出演者が誰でも構わなかったのだ。
具体的なやり取りとして、井川と連絡を取った時も「皇事務所か~」とは思ったものの、まさか皇天馬本人だとは思っていなかった。皇事務所に所属する役者は、もちろん皇天馬以外もいるのだから。
今日講堂で天馬を見つけた時も、すぐには気づかなかった。帽子にサングラスという出で立ちは、天馬のオレンジの髪や紫色の目を隠してしまって、ピンと来なかったのだ。
だから、ただ純粋に自分の絵を見てくれている人がいるな、と思って声を掛けた。
真正面から、じっと絵を見つめる人。全身で描いた絵を受け取ってくれるような様子が、一成は嬉しかった。だから、感謝の気持ちを込めて声を掛けたのだ。この絵はオレが描いたのだと、しっかり受け止めてくれてありがとう、と言いたくて。
しかし、その前に天馬が口を開いた。熱を宿したまなざしで、心をそのまま取り出す真摯さで告げたのは、一成の絵をどれほど真っ直ぐ受け取ってくれたのか、という言葉だった。
思い描いた夏の風景。まるで夏そのものみたいだと、筆に込めた光をすくい取ってくれた。高く、高く、澄み切った空を、どこまでだって飛べそうだと言ってくれた。心まるごと傾けるように、好きだと告げてくれた。
ああ、この人はオレの絵を心に置いてくれたんだ、と一成は思った。抱きしめるみたいに、やわらかな場所へ、心の奥に、一成の絵を迎え入れてくれた。その事実に一成は震えるような気持ちになったのだ。
ただ、その時も天馬のことには気づいていなかった。何か見たことあるかも、と思うだけで決定打はなかったのだ。しかし、井川が現れて「天馬くん」と呼んだ瞬間、何もかもを理解した。
井川が皇事務所の人間だということは知っている。そんな彼が「天馬くん」と呼ぶ人間なんて一人しかいるはずがない。
それに、皇天馬だと認識してしまえば、確かに目の前の人間はメディアでよく知る姿だった。オレンジの髪も紫の瞳も見えなくても、漂うオーラや形作られる雰囲気が「皇天馬」で違いなかった。
日本国内で知らない者はないない、超有名人である。一瞬でテンションが上がったし、「あの皇天馬と対面とかすごくね!?」と興奮したのも事実だ。ミーハーな気持ちで、「ばっちり役にたななきゃねん!」と思ったことも否定できない。
ただ、今の一成はただ純粋に天馬の役に立ちたかったし、もっと距離を縮めたかった。芸能人皇天馬だからというわけではない。一成の絵を見つめるあの横顔が、強く焼きついて離れなかったからだ。
あんなにも真っ直ぐ、オレの絵を受け取ってくれた。心の全てで抱き止めるみたいに、オレの描いた世界を心に残してくれた。そんな人、大事にしたいのは当然じゃんね。
すんなりと一成は思ったし、ミーティングスペースでの説明を始めればその気持ちはより強くなった。
なにせ、天馬はとても真面目に一成の話を聞くし、絵は専門外だと言いながら真摯に向き合ってくれるのだ。こんなの好意的になるに決まってんじゃん、と思うからこそ、天馬に対してできることがあるなら何でもしたかった。
「やってほしいこととかも、思いついたら言ってねん! オレ、めっちゃ協力するし!」
にこにこと笑みを浮かべて、心からの言葉を告げる。美大や日本画専攻のことを教えることはもちろん、それ以外に一成にできることはないだろうか、という気持ちだった。
天馬は自身が記したメモ書きに目を走らせて、何やら考え込んでいる。天馬のことなので、きっと何か考えていたことがあったんだろうな、と一成は察する。
「一度だけで全てを吸収しきれるとは思っていない。何回かこういう時間を取ってもらいたい、というのがこっちの要望だったんだが、聞いてるか?」
「聞いてるよん! オレ、今そんなに学校の課題はないから、時間なら取れるし。むしろ、テンテンの方が忙しそうじゃね」
しばらくの沈黙のあと天馬が告げた言葉に、一成はあっけらかんと答える。事前の要望はちゃんと聞いているし、その上で諾の返事をしているのだ。対応できる余地はきちんとある、と伝える。天馬は面白そうに、唇の端に笑みを刻んだ。
「それなら問題ない。付け焼刃じゃ浅い演技にしかならないし、日本画を学ぶ機会は貴重だからな。これから先も活かせるだろうってことで、時間はある程度取ってるんだ」
そう言って、天馬はちらりと井川へ視線を向ける。井川が心得た、というようにうなずくと、天馬は一成を見つめた。射抜くように強い瞳。紫色の奥底に炎が揺らめくようだ。天馬は迷いのない声で、きっぱりと言った。
「今日もちゃんと時間はある。だから、三好が絵を描いているところが見たい」
告げられた言葉は、どこまでも真摯な響きをしている。心から望んでいるのだ、と理解した一成は「もちろん!」と明るく答えた。