第二章:神様と日常
夏と神様 06話
かんぱーい!と明るい声が弾ける。誰もが晴れやかな笑顔を浮かべていて、久しぶりの再会を喜んでいる。思い思いにドリンクを飲んだあとは、それぞれの近況報告が始まった。がやがやとうるさい居酒屋でも、声はよく響く。
「三好はマジで画家になるのか」
「まあ、昔から絵上手かったもんねぇ」
「ベリサン!」
高校時代のクラスメイトたちは、就職や進学など歩む道は様々だ。その中で、一成の将来に話が及ぶと集まったメンバーはわっと沸き立った。
日本画家というのが、なろうと思って簡単になれるものでないことはよくわかっている。実力と運を兼ね備えた、選ばれし存在とでも言える職業なのだ。
自分たちの仲間からそんなレアな存在が出るとは、という意味で何だかみんなテンションが高い。
「何だっけ、絵の塾みたいなとこ行き始めた時はびっくりしたけど」
「付き合い悪くなったから、オレらと遊ぶの嫌になったのかと思ったよな」
高校時代のことを思い返して、クラスメイトがあれこれと言い合う。一成が少しドキリ、としたのはそれが本音を言えなかった時代のことを指しているからだ。
本心を言うのが怖くて、踏み込まないよう距離を取っていた。そんな状態で画塾へ通い始め、今まで通りの付き合いができなくなった。結果としてクラスメイトとは、少しずつ溝ができていった。
「まあ、その辺は皓望にいろいろ言われたけどね!」
「そうそう。“カズが本気でやりたいことやってるだけだし、応援するのは当然でしょ”とか熱かったな~」
にやにやと笑いながら視線を向けたのは、ビールのジョッキを傾けている皓望である。子供っぽい外見とはなかなかギャップがあるものの、全員すでに慣れた光景だった。
皓望は高校時代、一成の本音を受け止めた。皓望とのやり取りで、一成は絵を描きたいという気持ちを自覚して画塾へ通い始めたものの、クラスメイトにはまだ本心を打ち明けることができなかった。だから、何だかギクシャクし始めたのだけれど、そこで動いたのが皓望だった。
一成にはクラスメイトにも本音を言えるよう働きかけ、クラスメイトたちには一成がみんなを蔑ろにしているわけではないから、もう少し待っていてほしいと伝えた。
最終的に、一成は絵に対する情熱をクラスメイトへ話して、それを受け止めたメンバーは快く一成を応援してくれるようになったのだ。
「別に大したことしてないよ。まあ、カズがのびのび絵描けるようになったからいいのかな」
ごくり、と喉を鳴らしてビールを飲んだ皓望は面白そうに言った。高校時代に周囲の応援を得られたことは、一成の絵の才能を伸ばすことにいっそう磨きをかけたはずだ、と皓望は言う。
「大学入ったらもっともっと絵もよくなったし。周りもちゃんと取り上げるようになったしね」
しみじみとした調子で皓望が言えば、周囲から「だよね~」「わかる」といった声が上がり、テンション高く言葉は続く。
「テレビとかもめっちゃ出てるよね。私、これ高校の友達!って自慢しちゃった」
「オレもオレも! 今三好の絵買ったら、将来すげー高く売れそうじゃね?」
「売るの前提なのかよ」
「一成くん、こいつには売っちゃだめだよ。もっと大事にしてくれる人にしな」
「あはは、だいじょぶだよん! そういうこと言って、一回買ったら大事にしてくれるタイプっしょ!」
「三好~! オレのことよくわかってる~!」
感動の声とともにがばり、と抱き着かれて一成は声を上げて笑った。高校時代もこんな風に、みんなで馬鹿な話をしていたのだ。何だかまるで、放課後の教室に戻ったようだった。
「でも、ほんとにすごいよねぇ。賞とかもいっぱい取ってて、密着取材とかも受けてたよね」
「新進気鋭の日本画家!って大々的に宣伝されてるよな」
「あくまで学生だけどねん。まだ日本画家名乗ってるわけじゃないし!」
「まあ、卒業したら本格的に活動開始って感じだからね。スポンサー契約の話もいろいろ来てるし」
胸を張って皓望が言って、有名企業からのオファーがいくつも来ているのだと告げる。具体的な名前は出さないものの、誰もが知る一流企業ばかりだ。一成の絵がほしいという点だけではなく、一成の制作環境への援助も含まれているという。
「カズの絵が高く評価されるなんて当然でしょ。スポンサーは、カズのためになることがどれだけできるかってことが大事なんだよ」
真剣な顔で皓望が言えば、集まったメンバーはそれぞれ笑みを浮かべる。懐かしさと感心がないまぜになったような、そういう笑顔だ。気づいた皓望が首をかしげる。
「なに?」
「皓望くん、全然変わんないよねぇ」
「相変わらず三好ガチ勢やってんだな~と思ってさ」
感嘆した素振りで続くのは、高校時代の思い出だ。
皓望は高校の時から一成の絵のファンだった。学校行事で描かれる絵は一枚残らず全て収集していたし、デッサンやスケッチに必要とあらば、どこからともなくアイテムを入手してくる。
美術室近くで運動部が騒ごうものなら、即座に飛び出していって蹴散らすし、教師陣から一成への依頼では窓口となって、一成を制作へ集中させていた。
一成が絵を描くことを誰より尊重し、一成の描く絵を誰より大事にしていたのが皓望だったのだ。本人も絵を描くので嫉妬はしないのかと質問すれば、皓望は心底不思議そうに言ったのだ。――嫉妬って、カテゴリが近くないと発生しない感情だよね。
皓望にとって一成の絵は、ただ一つの存在だった。この世界に一つだけのカテゴリとして「三好一成の絵」がある。そこには自分の絵も他者の絵も存在しない。そもそも比較するという発想が生まれないので、嫉妬も芽生えようがない。
真顔でそんなことを言われて、クラスメイトたちは悟った。マジで三好ガチ勢。宗教じゃん。
一成本人にこの話はしていないので、皓望の気持ちを知っているかどうかはわからない。ただ、勘のいい人間なので薄々気づいてはいるのかもしれない。本人が言うまでは黙っていようというやさしさもあるので、知らない顔をしているとしても。
「因幡は画家とかじゃなくて、ギャラリーに内定してるんだっけ」
「そう。広告系行ってカズの絵の宣伝するのもいいかなって思ったんだけど、それならギャラリーでマーケティングも兼ねて展開した方がいいかなって」
にこにこと言った皓望は、一成の絵をどうやって世界に向けて発信するか、と熱く語る。その様子は心底楽しそうで、一成はくすぐったい気持ちになる。
初めは皓望があまりにも全力で協力してくれることに恐縮していたけれど、今ではこれが皓望の心からの望みなのだと理解している。
「カズって基本的に一人で何でもできちゃうからさ。あんまりサポートできなかったけど、仕事で関われるようになったら、いっぱい援助できるよね!」
「待って待って、オレめっちゃロミーには世話になってるよ!?」
「そうかな~? 座学とかも自分でどうにかするし、スケジュール管理とかもばっちりでしょ」
「まあ、その辺は得意だかんね。でもほら、アイデア浮かばない~って時とか、いろいろこれはどう?って出してくれるじゃん。ああいうの、マジ助かるし!」
「そう? でも、トレンドとかはカズの方が詳しいし……」
「えー、でも、ロミーあんまり甘いの好きじゃないのに、流行りスイーツとか調べてくれたっしょ。めっちゃテンアゲだったよん!」
心からそう言えば、皓望は嬉しそうににこにこしている。一成の気持ちが弾むための手伝いができるなら本望だ、と顔いっぱいに書いてあるので、周囲はほほえましい気持ちでやり取りを眺めていた。
一成は、皓望からもらったものはちゃんとあるのだと言いたくて、さらに言葉を募る。
「夏のスイーツモチーフでさ、流行りのかき氷とかアイスとかゼリーとかでミニ作品できたし。あれ、評判よかったっしょ」
「あ、見た見た。何かさ、デザイナーさんとかも反応してたよね」
「アニメ監督もええなつけてた!」
SNSでの反応をあれこれ言い合って、「もしかしてテレビ出演オファーとか来ちゃう!?」とわくわくした様子で言っている。ここが話題の出し時だ、と判断した一成は、うきうきした声で「実は」と話を切り出す。
「オレが出るってわけじゃないけど、今ドラマの役作り協力してるんだよねん!」
ドラマ撮影に協力していることは口外していい、と事前に言われている。具体的な内容に触れるわけではないし、ドラマの存在が事前に口コミで広まるのはドラマ側としても望ましい事態だからだ。
一成の言葉に周囲は「おお~」「日本画家が出るドラマってこと?」なんて盛り上がる。一成は「美大が舞台のドラマだって!」と答えた。
「美大ってことは、皓望くんも協力してるの?」
もしかして、といった顔でクラスメイトの一人が尋ねると、皓望は肩をすくめた。串に刺さった焼き鳥を食べてから、「僕は全然知らないよ」と答える。
「僕の知らないところで勝手に決めちゃってさ。ちゃんと教えてほしいよね」
唇を尖らせて、不服そうに頬を膨らませる。確かに今回の一件は、皓望に詳細を話していなかった。ちょっと教授から頼まれごとされてるんだよねん、とは言ったもののそれだけだ。当時皓望は課題が立て込んでいたし、わざわざ言わなくていいだろうという判断だった。
「めんご~。ロミー何か忙しそうだったしさ……でもやっぱり、ちゃんと言えばよかったねん」
両手を合わせて一成は言う。皓望を蔑ろにしたつもりはなかったけれど、そう思わせてしまったのかもしれない、と思えば謝るのは当然だった。
皓望はぱちり、と目を瞬かせたあと「別にいいよ」と笑った。一成はほっと息を吐き出すし、周りも一件落着の雰囲気を感じ取ったのだろう。わいわいとした調子で一成へ質問を投げる。
「ドラマの協力ってどんなことすんの?」
「役作りってことは、誰か役者に指導するとか?」
尋ねられた言葉は、疑問としてもっともなものだろう。一成ははちきれんばかりの笑みを浮かべた。とっておきの秘密を打ち明ける素振りで、きっぱりと言う。
「日本画専攻の学生が出るんだけど、その役っていうのが皇天馬で。オレ、皇天馬に会ったんだよねん!」
胸を張って言えば、途端に周囲からどよめきが起こる。
あらゆるメディアで毎日顔を見るのが皇天馬だ。超有名人とも言える人物と直接対面した、というのだから話題性抜群だった。「生皇天馬!」「どんな感じなの?」と矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
「めっちゃ格好良かったよん! オーラもばりばりだし、黙ってても絵になるし、スケッチしちゃった!」
嬉々とした調子で、一成は当時のことを語る。天馬が出演することは、取り立てて隠すようなことではない、と天馬本人に言われている。今後も美大に出入りする予定なのだし、いくら変装しているとは言っても完全に隠し通すことも難しいのだ。
話題に上ることは見越しているので、別に話しても構わない、というのは事前に天馬や事務所側からは伝えられている。そうでなければ、こんな風に口にするつもりはなかった。
「あと、めちゃんこ真面目でさ。勉強熱心で、オレの話とかすげー真剣に聞いてくれるんだよねん」
目を細めた一成は、天馬との時間を思い出す。あれから天馬は、時間を取って美大を訪れている。そのたび、天馬は真剣に一成の話を聞いてくれたし、日本画の小品を描いてみよう、ということで筆を握る時も真面目にキャンバスと向き合っているのだ。
クラスメイトたちは「へえ~」「そういうイメージあんまりないかも」と感想を漏らす。天馬は生い立ちも環境も派手な人間なので、あまり「真面目」といったイメージは持たれにくいのだろう。
そんなのもったいないよねん、というわけで、一成はあれこれと天馬のエピソードを語る。ひたむきで情熱的な、いつだって演技に全力投球する真面目な青年の姿だ。皇天馬のイメージとは違っているだろうけれど、そんな天馬の姿を知ってほしかった。
「だからさ、テンテンって本当はすごく素直なんじゃないかな~って思うんだよねん」
「つーか、テンテンって呼んでんの?」
「うん。かわいくね?」
「かわいいっていうか、皇天馬にも三好節は変わらないというか」
「仲良しだねぇ」
面白そうに掛けられる言葉に、一成はピースサインで「めっちゃ仲良しだよん!」と答える。実際、まるでずっと昔からの知り合いのような空気が流れているのは事実だ。長い間一緒にいたんじゃないか、と錯覚を覚えてしまうくらい。
最初に出会ったあの日。一緒にいることが当然みたいに、二人で時間を過ごした。別れ際に教えてもらったLIMEへメッセージを送れば、天馬からはすぐに返事があった。そこからほとんど毎日、ささやかなやり取りをするようになった。
それを示せば、クラスメイトたちはほほえましいと思ってくれるだろう。ただ、念のため一成はこの件を伏せておくことにした。
天馬は恐らく、「別に言ってもいいぞ」と答えてくれるだろうと予想はしていたけれど、うかつなことは言わない方がいいと判断した。もっとも一成は、これが単なる言い訳だとも理解していた。
天馬とささやかなやり取りができること。プライベートな連絡先を教えてもらって、何でもない話を毎日している。その中で知っていった、天馬の素顔。
芸能人として活躍する姿とは違った顔が見られることが、一成は嬉しかった。オーラもあって堂々とした振る舞いが板についている芸能界のサラブレッド。それは間違いではないのだろうけれど、やり取りを続けていく内に一成はもっと別の顔を知っていった。
たとえば天馬は意外と子供っぽい。ニンジンが嫌いでどうにかして避けようとしている。方向音痴でよく道に迷う。お化けが苦手で、ホラー作品には相当の気合いが要る。そういうものを知るたび、一成は天馬のことをかわいいなぁと思っている。
そんな風に知っていった天馬のことを、一成は誰にも話したくなかった。とっておきの秘密として、そっと抱えていたかった。たくさんの人に、大々的に話すことではない。手のひらで包むように大切にしたくて、一成は何も言わないことを選んだのだ。
交わした言葉を思い出せば、一成の唇は自然とほころぶ。胸の奥があたたかくなって、くすぐったい。その様子に気づいたクラスメイトが「どうした?」なんて声を掛けるので。一成は「なんでもないよん!」と答えて、いつもの明るい笑顔を浮かべた。