夏と神様 07話
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居酒屋を出た面々は、道路の端っこで「二次会どこにしようか?」と言い合っている。明日用事があるということで、ここで解散のメンバーもいるけれど、大半は二次会コースである。一成も皓望も例外ではない。
クラスメイトたちは、「いい店知らない?」「こことか、メニューが凝ってて面白いかも」なんてやり取りをしながら、次の店を探している。わいわいとした輪の中心から外れた一成は、スマートフォンを取り出すと手早く操作する。LIMEにメッセージを返しているのだ。
思わず浮かんだ笑みに、きらきらとしたまなざし。メッセージを送る姿を見つめていた皓望は、小さな声で尋ねた。やけに硬質な響きで。
「皇天馬?」
皓望は、一成が天馬と個人的なやり取りをしていることを知っている唯一の人物だ。一成の行動から察して「もしかして」と尋ねれば、「誰にも言っちゃだめだよん」と言いつつ教えてくれた。
皓望に隠し通すことは無理だと思ったのかもしれないし、皓望なら口外はしないと信頼しているからかもしれない。
一成は皓望の言葉に、弾かれたようにスマートフォンから顔を上げる。それから「そだよん」と朗らかに答えた。浮かんだ笑みはそのままで、メッセージのやり取りが楽しくてたまらない、と顔中に描かれているようだった。
いつもテンションが高いのが一成という人間である。ただ、いつにも増して楽しそうで嬉しそうで、浮かれた様子であることを皓望は察していた。
皇天馬とのやり取りに、胸が弾んで仕方ないのだ。もしも尻尾でもあったら、千切れそうに振っているに違いない。
わかっているから、皓望は眉をひそめて言った。重々しい響きで、きっぱりと。
「皇天馬は芸能人なんだから、適度な付き合いにしときなよ」
自分たちとは違う世界で生きている人間なのだ。少し近づくくらいなら面白いと思えるかもしれないけれど、長く付き合うような相手ではない。深入りすべきではないのだ。あまりに住む世界が違う相手と接し続けることは、思いがけない事態を招く可能性がある。
一成はその言葉に、大きな目をぱちくりと瞬かせる。しかし、すぐに笑みを浮かべた。にやりと唇の端を持ち上げて、からかうような雰囲気が漂う。
皓望の言葉の意味。純粋な忠告という面も確かにあるのだろう。芸能人と一般人では住む世界が違うということも事実だし、価値観が異なればよけいな衝突を生むかもしれない。それを避けるべきだ、というのは真っ当なアドバイスでもある。
ただ、一成は皓望の言葉の意味を正しく察していた。なので、冗談めいた調子で答えるのだ。
「拗ねてる?」
「拗ねてないし」
ぴしゃり、と皓望は言うけれど一成は気づいている。忠告が嘘というわけではないものの、どちらかと言えばこれは、一成が急速に天馬と仲を深めていることが面白くないのだ。昔からときどき、皓望はそういうところがあった。
居酒屋で、ドラマ協力の話を聞いていなかったことに不服そうだったのも、これが理由だったのかもしれない、と一成は思う。聞かされていなかったことだけではなく、そもそも一成と仲良くなっている天馬案件だから、という意味で。
「もー、素直じゃないな~」
茶化すような素振りで言い募ると、皓望は頬を膨らませる。そんな態度は幼子のようで、かわいらしい容姿にもよく似合っている。しかし、一成は知っている。
子供みたいな外見で、その実大人びた考え方ができる。行動力があって、自分で考えて判断できる。そんな皓望の存在にどれだけ助けられたのか、一成はよく知っている。
「ほんとにさ、拗ねなくていいのに。だってロミーはロミーだよ。ずっと特別だもん」
心からの言葉を、一成は告げる。その声は、夜の喧騒にも紛れることなく皓望に届いた。皓望は不満げな態度を解いて、真っ直ぐ一成を見つめた。
「ロミーはずっと、オレの特別じゃん。高校の時からずっと」
やさしい笑みで一成が言うのは、高校時代の出来事だ。
画塾の一件でフォローしてくれて、クラスメイトたちとの橋渡しをしてくれた。おかげで、生まれていた溝は解消されて、周囲は心から応援してくれるようになった。隠し事をせず親密な関係を結ぶことができるようになった。
その一番大きなきっかけは、一成の本音を皓望が受け止めてくれたことだ。
相手に合わせた言葉を口にするのがたった一つの正解で、一成にとっての処世術だった。だけれど、皓望はそんな一成に本心を問いかけた。
誰かのための答えじゃない。他でもない一成がどう思うかを、ちゃんと聞いてくれた。正解の答えではなく、一成自身が考えたことを聞かせてほしいのだと、真剣に告げた。その上で口にした言葉を肯定して受け入れてくれた。
「オレの本音を受け止めてくれた時から、新しい世界が開けたんだよ」
それまでの自分が変わった瞬間を挙げるとすれば、きっとそれはあの時だ、と一成は思っている。本音を口にして、それを受け入れられた。今まで知ることのなかった感情が芽生えた瞬間だった。あの時のことを、一成はきっとずっと覚えている。
だから、そんな皓望は一成にとっての特別だ。天馬と仲良くなっているのは事実だけれど、それを不満に思う必要は一つだってない。一成の特別は、いつだって皓望なのだから。
いつもと違うやわらかな笑みで告げられて、皓望は「そっか」とつぶやいた。そっけないとも言える返事だったけれど、声には喜びがあふれているし、顔いっぱいに笑みが浮かんでいる。それを認めた一成は軽やかに言った。
「機嫌直った?」
「別に機嫌悪くないし!」
「拗ねてたじゃん」
「拗ねてないもん」
交わされる会話は口喧嘩のような軽口だ。お互いのことをよく知っているからこそ、気兼ねなくできるやり取りだということはわかっていた。だから遠慮せずに言い合っていると、不意に前方から声が掛かる。
「三好、この店知ってるか? お前詳しそうなジャンルなんだけど!」
「なになに~?」
店選びをしていたクラスメイトに声を掛けられて、一成は明るく返事をする。皓望に視線で「ちょっといってくんね」と告げると、にぎやかな輪に走り寄った。皓望はその背を見送ってから、大きく息を吐き出す。
居酒屋を出た道路の端。二次会へ赴くメンバーや駅へ向かう人、千鳥足の酔っ払い。たくさんの人が行き交っている。繁華街の一角ともあって、夜が更けるにつれいっそうにぎわいは増していく。
しかし、そんな中にあって、皓望の周囲だけはしんと静まり返っていた。
皓望だけが周りから切り取られたように。別の世界から周囲を見つめているように。皓望だけがここではない場所に存在しているように、喧騒と切り離されていた。
皓望は数メートル前にいる、クラスメイトたちの輪を見つめる。その中の一人、一成へじっと視線を向けて、さっきまでのやり取りを思い出すと笑みを刻んだ。
(特別だって)
うきうきした表情で、一成から告げられた言葉を反すうする。何度なぞっても、「特別」という言葉は皓望の心を浮き立たせた。一成には素直に言わなかったけれど、指摘された通り機嫌はだいぶよくなっていた。
(いい気持ちだな。久しぶりにちゃんとお酒も飲んだし、今日は幸運を奮発しちゃお)
思うのと同時に、皓望の金色の目がぴかりと光る。一瞬のうちに消えてしまったから、誰にも気づかれない。ただ、この場にいた人たち全ての上に、金色の光は隈なく降りそそいでいた。
(好きな夢が見られるとか、おまけでデザートがつくとか、なくしたものが見つかるとか、そういうささやかなやつだけど。ギフトにはちょうどいいでしょ)
弾んだ気持ちで思った皓望は、一歩足を踏み出した。途端に、周りを覆っていた静けさが掻き消える。喧騒が皓望を包み、世界が接続される。そのまま、クラスメイトたちの輪に合流しようとさらに足を進めたのだけれど。
(あ、前から面倒なのが来る感じ。酔っぱらうのはいいけど、カズたちに迷惑かけないでほしいよね)
店を選ぶ一成たちのグループの数メートル先から、泥酔した会社員たちの集団が歩いてきていた。このまま真っ直ぐ進めば、数十秒後にはかち合うだろう。
何事もなく過ぎればいいけれど、千鳥足の酔っ払いたちは足元がおぼつかない。すれ違う時に体勢を崩してぶつかってきて、ちょっとしたいざこざになるルートが脳裏に浮かぶ。
(せっかくの夜だもん。邪魔されたくないよね)
もめごとは、いい気分を台無しにすること確実だ。皓望はぱちり、と瞬きをした。金色の瞳が一瞬妖しく光るのと同時に、酔っ払いの集団は突如方向転換をして、路地裏へと入っていった。道を変えたことで、こちらのグループとすれ違うこともないだろう。
皓望は一瞬で空気を切り替えると、一成たちに合流した。一成に抱き着くと、明るく声を掛ける。
「お店決まった?」
「うん、こことかいいんじゃね?って。期間限定スイーツが有名なんだよねん。あ、もちおつまみ系も美味しいし!」
あまり甘いものを好まない皓望なので、そう付け加えることも忘れない。しっかり気遣いをしてくれる一成に、皓望は嬉しそうに「よさそうだね」と答えた。
皓望も乗り気のようだ、ということでグループは店を目指して移動を始める。少し歩くらしいけれど、みんなでわいわい騒いでいけば、大した距離ではない。
「でも、ちょっと遅めだからお目当てのスイーツ売り切れちゃってるかも」
「大丈夫じゃない? どうにかなるって」
「ロミーがいるから平気かな? 強運だもんねん」
「任せて!」
「頼もしい~!」
店へ向かいながら、そんなやり取りを交わす。一成は冗談のつもりだけれど、皓望はただ事実を述べただけだ。
目当てのスイーツは全員分きちんと用意できるだろう。だって、皓望がそうなるよう望んだなら叶えられるのが世界の道理だ。ここはそういう場所だったし、皓望はそういう存在だ。
(ほんとは、カズの望みなら全部叶えられるけど、そういうの好きじゃないだろうし。カズの力は本物だから、そういうの要らないもんね)
嬉しそうに限定スイーツの話をする一成を見つめつつ、皓望はそっと胸中で言葉を落とす。皓望は何もかもを自分の思う通りにできるけれど、一成の絵に関しては一つだって力を使ったことはなかった。
一成がそういうことを好まないから、という理由もあるけれど。一番は、一成の実力なら皓望がよく知っているからだ。
皓望が何をしなくても、一成は自分の力で結果を勝ち取る。一成はそういうことのできる人間だ。自分という異分子を紛れ込ませるなんてことする必要はない。余計なことはしなくていいし、したくもなかった。だから、皓望は何一つ一成の絵に干渉したことはないけれど、結果は案の定だ。
「ねね、色んなお肉の盛り合わせセットとかあるんだって!」
スマートフォンでメニューを表示させた一成は、皓望が好きそうなものを見せてくれる。皓望に喜んでほしいと思ってのことだ。その気持ちが嬉しくて、じわじわとにじみだす愛おしさを抱えながら、皓望は一成の掲げるスマートフォンをのぞきこむ。