夏と神様 09話
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井川の車で、皇邸へ向かっている。今日は燦飛も天馬の家へ泊まる予定だ。子供の頃からそういう機会は多々あったので、井川も慣れたものである。
後部座席に並んで座った二人は、今日の食事会についてあれこれと話していた。白澤監督とは話も弾んだし、天馬や燦飛にも興味津々といった様子だった。次回作のオーディションにはぜひ参加してほしいとの言葉ももらっている。
白澤監督はお世辞を言うタイプではないし、何より表情は真剣だった。だから、いずれ遠くない未来にオーディションへ参加できるはずだ。絶対に勝ち取って出演したい、と二人はしばらく盛り上がっていた。
ただ、話が一段落すれば車内は落ち着いた空気が流れる。天馬も燦飛も常にテンションの高いタイプではないし、沈黙が気になるような間柄でもない。会話は途絶えて、燦飛はぼんやりと車窓を眺めているし、天馬はスマートフォンを取り出してメッセージを確認している。
静かに車は進む。お互い話をすることもなく、かといって険悪なわけでもない。おだやかな沈黙を流す二人を乗せて、車はただ目的地へとひた走る。
その途中で、燦飛は車窓から天馬へ視線を移動させた。特別な理由があるわけではなく、ほんの気まぐれといった素振り。
ただ、天馬の姿を視界へとらえると、ぱちりと目を瞬かせた。意外そうな表情は、スマートフォンを操作する天馬が、あふれんばかりの笑みを浮かべていたからだ。わくわくした雰囲気が全身から漂う。理由を察した燦飛は、そっと口を開く。
「役作りの学生さんとやり取りしてるのかな」
天馬はここ最近、役作りのため美大へ通っている。八月から撮影の始まる連続ドラマのため、リアリティを追求したいと井川に頼んだらしい。役作りの詳細や相手のことなどは聞いていないけれど、ずいぶん意気投合したということは天馬の態度から察した。
暇さあれば楽しそうにスマートフォンでやり取りしているし、件の相手から連絡があるとわかりやすく顔を輝かせるのだ。天馬がこれまでにやり取りをしていた相手とは、明らかに態度が違っている。
天馬は燦飛の言葉に、嬉しそうに「ああ、そうだ」とうなずく。「オレとは全然タイプが違ってて面白いし、意外と話が合うんだ」と続いた言葉は心底楽しそうだった。きらきらとした表情に、無邪気な笑顔に、燦飛は少し強い声で言った。
「ちゃんと自制したやり取りをするんだよ。浮かれすぎると足をすくわれる」
天馬が件の学生と親密になっていることは、傍から見ていてもよくわかった。嬉しそうに連絡を取り合っていることもそうだし、口に出す話題だって影響されているくらいだ。
たとえば、絵の話が増えたことはもちろん、流行りのスイーツにやたらと詳しくなっているのだ。天馬自身、そこまで甘いものが好きなわけではないから、流行りになんて大して気にしていなかったはずだ。
しかし、最近の天馬は話題のスイーツのことは大体知っている。「人に聞いた」と言っていたし、タイミングから考えても、相手は恐らくその学生なのだろうと察しがついた。
天馬は燦飛の言葉に、怪訝な表情を浮かべた。一体何を言ってるんだ、という顔をしているので燦飛はさらに言葉を継ぐ。
「天馬は気づいてないかもしれないけど、相手にずいぶん夢中になっているだろうなってわかるんだよ」
そう言った燦飛は、今まで自分が見てきたものをつらつらと挙げていく。
やり取りする時は満面の笑みを浮かべているし、返事がないかとそわそわとスマートフォンを気にするようになった。選ぶ話題も相手に影響されているし、美大の話をする時はうきうきとした様子が一切隠れていない。どれほど相手とのやり取りが楽しいのか、手に取るようにわかる。
指摘された天馬は、自覚がなかったので何とも言えない顔をするしかない。照れくさくていたたまれなくて、だけれどどこかくすぐったい。一成とのやり取りをすっかり心待ちにしているのは、紛れもない事実なのだから。
大学で別れてからすぐ、一成からLIMEが来た。こっちから送った方がいいんだろうか、でもあんまりすぐだとどうなんだ、とためらっていたから、天馬の気持ちは弾んだ。
さらに、そこから何度もやり取りを重ねていくうちに、一成からの連絡を待つようになった。LIMEの一番上には常に一成のアイコンが表示されるようになったし、受信の知らせにはいつも胸が高鳴った。
交わすのは何でもない話ばかりだ。だけれどそれが心地よかったし、一成の言葉はいつだって明るくてやわらかい。ハイテンションなノリの良さは最初の印象通りだけれど、やり取りをしていく内に、そっと渡されるやさしさに気づくようになった。
さらに、何度も言葉を交わしていけば、一成の新しい顔を知っていく。人のことをよく見ている。頭の回転が速い。細やかな気遣いが自然とできる。そんな風に、新しい一面を知っていけることが嬉しかった。
一成のことをもっと知りたいと思ったし、知らない顔を見つけるたび、宝物が増えていくような気持ちになった。交わす言葉一つ一つが大切で、一成とのやり取りは天馬の毎日の楽しみになっていた。
そんな気持ちが、どうやら燦飛には伝わっていたらしい。「浮かれている」なんて指摘される程度にはわかりやすかったのだろう。天馬が照れくさそうな表情を浮かべていると、燦飛は言葉を続けた。
「相手は俺たちと違うんだよ。芸能人同士ならともかく、一般人相手だ。夢中になりすぎて、気をつけるべきことを忘れないよう節度を持ちなさい」
忠告めいた言葉は、ある意味で正しい。芸能人として活動している天馬は、単なる一般人と同じ感覚でいるわけにはいかない場面も多々ある。夢中になって浮かれて、その辺りをすっかり忘れてしまう、なんてことになっては問題だから確かに気をつけるべきなのだろう。
ただ、一成が相手なら大した問題はない、という気持ちはあった。一成は自然な気遣いができる人間だし、芸能人としての天馬のこともよく理解している。天馬の不利になるようなことは決してしないだろうと思えた。
それに、何よりも。燦飛の言葉は確かに忠告ではあったのだけれど、含まれたものを天馬は正しく理解していたので、苦笑を浮かべて答えた。
「拗ねてると子供みたいだな」
燦飛は天馬に対して、釘を刺すように言った。嘘偽りのない言葉だったし、内容だって間違ってはいないだろう。ただ、これはどちらかと言えば、燦飛が何だか面白くなくてちょっと強めの態度に出ているだけだ、と察していた。
天馬が自分の知らない人間と急速に仲良くなっている、という事実が燦飛には不満なのだ。舞台で長く共演した役者と親密になった時だとか、燦飛はこんな風に遠回しに態度を硬化させることがある。
つまるところそれは、自分以上に天馬と誰かが仲良くなるのが面白くないからで、要するに拗ねている。
ただ、燦飛は認める気がないので「別に拗ねてないけど」と答えた。ふてくされたような態度はまるで説得力がなかった。天馬はその反応に、笑みを刻んで答える。苦笑というより、ほほえましさを感じて思わず笑ってしまったのだ。
「どうだかな。まったく、一緒に舞台へ立った時はあんなに頼もしかったのに」
いつだて、ずっと覚えている。怖くてたまらなかった舞台だ。照明に照らされた板の上で進むことすら怖かった天馬に、燦飛は手を差し出した。力強く手を引いて、明るい場所まで連れ出した。
観客の目にさらされて、声が出せなかった時も。固まった体がどうしても動かせなかった時も。燦飛はずっと、同じ舞台に立ち続けてくれた。
みっともなくても、失敗しても、それでも舞台には燦飛がいた。動けない天馬と芝居を続けて、フォローして物語を続けた。何度もそうして繰り返してくれたから、少しずつ天馬は大丈夫だと思えるようになったのだ。
失敗しても、みっともない姿をさらしても、ちゃんとつなげてくれる。どんな芝居をしても、芝居ができなくても、舞台はちゃんと続いていく。オレは一人で芝居をしてるんじゃない。二人で舞台に立ってるんだ。
隣に立つ燦飛の横顔を、見つめていた背中を、体中で演じる芝居を、天馬はずっと覚えている。
「――仕方ない兄貴分だな」
目を細めた天馬は、はにかんで言った。自分以外と仲良くなっているのが面白くない、なんて子供っぽいこと思わなくていいのだ。だってずっと、天馬にとって燦飛は特別だ。
当たり前みたいに一緒に舞台に立ってくれた。何度失敗しても、諦めることなく「それじゃ次だね」なんて言って、何度も二人で芝居をした。
どうしてそんなに一生懸命になってくれるのかと、天馬は聞いたことがある。当然の疑問のはずだけれど、燦飛は心底不思議そうだった。どうしてそんなことを聞かれるのかわからない、という顔で、それでも天馬の質問には答えてくれた。
たった一つの事実を語るみたいに。あっさりと、ごく自然な口調で。――「友達だからだよ」と。
友達、という言葉を天馬はあの時何度も胸中で繰り返した。
仕事の関係で、あまり学校には通えなかった。さらに、芸能一家のサラブレッドという境遇から、天馬は一線を引かれることが多かった。結果として天馬は、友達と呼べる存在が一人もいなかった。そんな中で、初めて告げられた「友達」という言葉。
家族でも仕事仲間でもない。今までの人生で初めて出会った相手。初めて友達と呼ばれた。その言葉がどれだけ特別で、大切なものだったか。天馬の胸に確かな明かりを灯したか。
あの日のことを、天馬はきっとずっと覚えている。
だから燦飛は拗ねる必要もないし、不満に思うことだってないのだ。「友達」と初めて言われた時から、天馬にとって燦飛はずっと特別なのだから。
天馬の言葉に込められたものを、燦飛はすぐに受け取ったのだろう。隠されていた刺々しさが消えて、にこにこと嬉しそうな表情を浮かべる。
「お兄ちゃんって呼んでくれて嬉しいよ」
「待て、そうは言ってないだろ」
「似たようなものだろう?」
燦飛は真っ直ぐした目できっぱり言って、天馬は呆れたように肩をすくめる。ただ、それはいつもの二人のやり取りだったから、すぐに顔を見合わせておかしそうに笑い出した。