夏と神様 16話
一成はきらきらとした表情で、かき氷へスプーンを入れた。まばゆい笑みでスプーンいっぱいのかき氷を見つめたあと、ぱくりと頬張る。数秒後、顔を輝かせて「おいし~!」と叫ぶ。
天馬もつられたようにかき氷を口に運び、「確かに美味いな」と感想をつぶやく。
「でしょ~! テンテンの、いちごめっちゃ入ってるし、見た目もかわいいよねん!」
ぱっと笑みを咲かせた一成が、嬉しそうに天馬のかき氷を示す。大きな皿に、山のように盛られた氷。いちごの果肉にいちごソースと特製牛乳がかけられていて、赤と白のコントラストは何だかおもちゃのようだった。
ずっと一成が気にしていた和風喫茶店へようやく訪れることができた。入り組んだ路地を通って辿り着いた店は、都心とは思えない落ち着いた雰囲気が漂う。
予約していたおかげですんなり席へ通されて、夕食に舌鼓を打つ。デザートとして出てきたのが、お待ちかねのかき氷である。
一成から写真はたくさん見せられていたので、どんなものかはわかっていた。それでも、いざ目の前にするとずいぶんボリュームがある。感心している間に、一成は張り切って写真を撮っていた。
手早く撮影を終えたあとは、さっそくスプーンを手に取ったのだ。
見た目は派手でも結局は氷なのだから、と天馬は淡泊な味わいを想像していた。しかし、いざ口に運んでみればいちごソースと特製牛乳は濃厚で、しっかりとした甘さがあった。
ただ、氷の爽やかさと果肉の酸味がちょうどよくて、しつこくなりすぎることはない。天馬は無言で食べ進めて、あっという間にかき氷の山は小さくなっていった。
一成はその様子を嬉しそうに眺めつつ、自分のかき氷を口に運んでいた。
「一成のも美味しそうだよな。きなこだったか」
「そそ! 黒蜜きなこ味! 求肥も入ってて、抹茶ソースで味も変えられるよん!」
にこにこ言った一成の皿に、かき氷はほとんどなかった。一成は意外とよく食べるし甘いものが好きということもあって、ほとんど完食間近である。もともと来たいと言っていた店だ。くわえて、想像以上に美味しかったようで、スプーンを運ぶ手が止まらなかったのだろう。
それは天馬も同じだった。話題のかき氷といっても、天馬はそこまで期待していなかった。けれど、いざ口にすれば氷はふわふわで、トッピングはどれも丹精を込めて作られたことがわかる味わいだ。
全てが絶妙に調和した、他のお菓子に引けを取らない立派なデザートだった。想像していた何倍以上も、美味しいと思った。
もっともそれは、純粋なかき氷だけの評価ではないのかもしれない、とも感じていた。
こんなに美味しく感じる理由。ずっと来たいと言っていた相手。心底嬉しそうに、きらきらとした笑顔で口に運ぶ。隣で一緒に、心の弾む時間を過ごせる。そういう全てがあるからこそ、想像の何倍も美味しく思うのかもしれない。
きっと一成も同じ気持ちでいる、と思いながら、天馬は残り少なくなったかき氷を口に運ぶ。
「本当に、一成には世話になった。美大のことや学生としての日常を教えてもらえたことはもちろん、実際に日本画を描けたのは大きかった。芝居にもっとリアリティが出る」
かき氷を食べ終えたところで、天馬は話を切り出した。
今日は夕方から天鵞絨美術大学を訪れて、恒例の絵画教室を行った。最後の着色を終えれば完成だ。一成の助けを借りて、天馬は向日葵の絵を描き上げた。
下準備から始めて、仕上げまでの一連の流れを体験できたことは、役作りに大いに役立ったと言える。話に聞くだけではなく、体に動きを覚え込ませることができた。これが日常なのだと、体中で理解したのだ。
ドラマはもうすぐ撮影が始まる。日本画専攻の学生として、一成から教えてもらったことを形にして芝居をする。頭で考えただけではない、体験に裏打ちされた演技ができるはずだった。
それもこれも、全ては一成の協力あってこそのことだ。だから、天馬は真正面から向き直ってあらためて礼を告げる。
「一成もいろいろ忙しかっただろ。それなのに、時間を取ってくれて、付き合ってくれてありがたかった。感謝してる」
確かな実力を持ち、将来を嘱望されているのだ。多くの作品を手掛けていて、時間はいくらあっても足りないだろう。にもかかわらず、一成は天馬のために時間を作ってくれた。定期的な絵画教室はもちろん、それ以外の時間だってそうだ。
ささやかな雑談から端を発して、二人で過ごした時間。「テンテンがやりたいって思ったことは、全部やってみたいし!」という言葉の通り、初めての体験をいくつもした。
今まで何度だって夏は巡ってきた。だけれど、今年の夏はまるで何もかもが新しく生まれ変わったようだった。その理由を、天馬はよく知っている。
「一成のおかげで、今まで知らなかったことをたくさん知った。何より、一緒に過ごした時間がすごく楽しかった」
一成と出会わなければ知らなかったことがたくさんあったのだと、天馬は何度も思い知った。ほんの一ヶ月と少し前まで、一成のことを知らずに生きていたのが嘘のようだ。出会えてよかった。知らないままじゃなくてよかった。
「ありがとな。本当に感謝してるんだ」
心からの言葉を告げると、一成は大きな目をまたたかせる。ただ、それもほんの数秒だ。すぐに顔いっぱいに笑みを広げると「オレもだよん」と答える。
「テンテンの初めてを一緒に体験できるの、めっちゃ楽しかったよん。オレにとっては普通のことでも、テンテンすごくわくわくしてくれるからさ。オレも新鮮だったし、めっちゃうきうきしちった」
一成はどんなことでも楽しみを見つけるのが上手い。たとえば、コンビニ一つ取っても、新しい商品はないだろうか、なんてわくわくしながら店を訪れる。とはいっても、コンビニ自体は行き慣れているからそこまで新鮮な気持ちにはならないのだけれど、天馬は違った。
コンビニに行く、それだけで某かのアトラクションへ臨むような面持ちをしていたし、ありふれた定番商品に目を輝かせる。
それを隣で見ているだけで、一成の胸も弾んでしまうくらい。いつもの日常は、天馬によって新しい彩りが添えられていくようだったのだ。
「テンテンが何でも喜んでくれるから、オレもめちゃくちゃ張り切ったし。やりたいこと、全力でできてめちゃんこ楽しかった!」
限定アイスを制覇したことだとか、カラオケにこもっていたこと、スイカ割りをしたこと。思い浮かぶ夏の景色を一つ一つ数え上げて、一成は嬉しそうに笑う。思い出せばそれだけで胸が弾む。そんな記憶を天馬と一緒に作れたことが嬉しかった。
「まだ夏は終わりじゃないし、お祭りも行きたいし――あ、あと、ちゃんと宿題提出してねん!」
はっとした顔で言ったのは、一成お手製の「夏休みの友」である。数学から古典、英語に化学や地理まで多岐に渡って問題が設定されているのでちゃんと解くように、というのが一つ。
それから、後半は夏の思い出を振り返る項目が並んでいるので、そちらもきちんと埋めて提出するように、という意味だ。
「わかんなかったら何でも聞いてねん! 通話しながら宿題終わらそ!」
「それはそれで楽しそうだな」
実際顔を合わせられなくても、通話しながら宿題をすれば「夏休みの宿題」気分はしっかり味わえるだろう。一成は嬉しそうにうなずいて、「全部終わったら、丸付けめっちゃがんばっちゃうし!」と張り切っていた。
天馬は当然、きちんと回答して提出するつもりなので「ああ、ちゃんと出してやる」と答える。天馬の性格的に課されたものを無視できない、ということもあるけれど。単純に、一成の力作であることはわかっているので、ちゃんと返してやりたかったのだ。
一般的に販売されていてもおかしくない出来栄えだった。片手間に制作できるものではないし、一成が労力をかけた作品のようなものだ。天馬の回答によって完成するとも言えるので、蔑ろにはしたくない。一成の気持ちにはきちんと答えたかった。
「本当に、よくあれ作ったよな」
一成が作った「夏休みの友」を思い浮かべた天馬は言う。自宅であらためて内容を見た天馬は、しみじみと感心したのだ。
表紙のデザインがよくあるドリル然としていることはもちろん、問題文の並べ方や言葉の選び方に至るまで、全てが一般書籍と比べて遜色がない。記憶にある小学生時代のドリルが再現されていて、これを一から作ったという事実に舌を巻いた。
「どうせ作るならこだわりたいじゃん!? めっちゃ楽しかった~!」
弾けんばかりの笑顔で答える一成は、そのままの調子で言葉を並べる。
「友達と夏休みの宿題をやってみたかった」という天馬の言葉に、最初はドリルを買ってこようかな、と思ったのだ。ただ、あれこれと物色していると「こういうデザインの方がいいな」「フォントもうちょっと違うのがいいかも」なんて思い始めた。
さらに、単なる課題じゃつまらないよね、と思ったのだ。天馬に渡すなら、もっと楽しいものがいい。夏の思い出をいつだって取り出せるような、そういう内容がいい。
そう思った一成が「それなら自分で作っちゃう!?」という結論に至るまで、時間はかからなかった。完成形ならしっかり頭に浮かんでいる。希望通りの既製品が売っているとはとうてい思えない。それなら、自分で作るのが一番だ。
「昔の参考書とか引っ張り出してきて、どんな風にデザインすればそれっぽくなるかな~って研究してさ。いつものオレの絵だと、ちょっとドリルっぽくないから、もうちょっとポップな画風がいかな~とか、デザイン目立ちすぎないよう調整してフォント並べたりとか!」
元来一成は研究熱心な性質である。どうすれば「いかにも」な見た目になるか、とあらゆる角度からデザインを追求して「夏休みの友」を完成させたらしい。
一成本来のセンスにのっとれば、日本画の風合いを生かしたものになるだろう。しかし、実際に渡されたのは課題として配布されていてもおかしくないドリルだった。日本画を連想させるような気配は、どこにもなかった。
「一番ドリルっぽくするにはどうしたらいいかな~っていうものあるけど、解きやすいように文章の配置とかもこだわったよん!」
「そういうところも含めて、本当にすごいと思う。実際に売っていてもおかしくないっていうのもそうだし、楽しんでできるのがすごいよな」
感嘆した調子で漏らしたのは、天馬の揺るぎない本心だ。出来栄えという意味でも当然すごいと思うけれど、一番は一成が全てを楽しんでいたことだろう。
何もかもが思い通りとはいかなくて、悩んだり試行錯誤したりした部分もあるだろうけれど。それでも、一成は全てを楽しんでいたんだろう、と天馬はすんなり思った。
一成は天馬の言葉に、虚をつかれたような顔をした。予想外の言葉をかけられたような、思いがけないところから声をかけられたような。そういう表情に、天馬の方も目をまたたかせた。どうしてそんな顔をしたのかわからなかったのだ。
一成は視線をうろうろとさまよわせる。何かを言おうとして止めるような、不思議な沈黙が流れる。天馬は自分が何か変なことを言っただろうか、と首をかしげた。一成はそんな気配を感じたのかもしれない。慌てたように口を開いた。
「オレ、デザインするのめっちゃ楽しかったんだよね」
何を言うのか、と思っていた天馬はわずかに拍子抜けした気分になる。ただ、言われたことには納得したので、素直に答えた。
「まあ、そうだろうな。乗り気じゃなかったら、あんなもの作れないだろ」
「うん。表紙用の絵を描いてほしいとかはたまに頼まれてたんだけど、一から自分でデザインするのは初めてでさ。装丁とか見るのも好きだったから、こういう風にしたらどうだろ?とかいっぱいアイデア湧いて面白かった」
目を細めて言うのは、制作中のあれこれだ。
表紙となる絵を描くのと、本を自分でデザインするのとではまるで勝手が違う。全体を見ながら必要なものを配置して、手に取る相手にとって一番のものを提供する。見やすいように、わかりやすいように、視覚的な見栄えを考慮しながら作っていくのは初めてで、心躍る経験だった。
そう告げた一成は、一度言葉を切る。唇を結んで、うかがうような視線を天馬に向けたあと、おずおず口を開いた。
「オレ、本当はデザインとかやってみたいんだよね」
薄々思ってはいたのだ。画集を見る時絵そのものはもちろん、装丁にだって心が惹かれた。美術館を訪れて、次の企画展のフライヤーを手にした時のわくわくは、一枚の紙から世界が広がっていくように思えたからだ。
自分だったらどんな風にフライヤーを作るだろうか、とか。どんな風に本をデザインするだろうか、とか。ときどき思っていたことを、いざ実践したのが天馬に渡したドリルだった。
「あ、別に絵が嫌になったとか止めたいとかじゃなくて。やってみたいことがたくさんあるんだよねん!」
急いで付け加えたのは、本当はデザインがやりたいのに絵を描いているわけではない、と言いたかったからだ。絵を描くことは好きだ。これから先だって、ずっとずっと描いていく。
ただ、それ以外にやってみたいことがある。絵も描きたいし、デザインだってやってみたいのだ、と一成は言うので。
「一成が手掛けたデザイン、見てみたいな。お前ならすごいものができそうだ」
素直な感想が声になってこぼれていった。
今回、天馬が渡された「夏休みの友」は、小学校の宿題として配布されてもおかしくない出来栄えだ。それでいて、ところどころに一成のセンスが光っていた。
ワンポイントのイラストだとか、文章の配置の仕方だとか。普段の絵を連想させるような日本画的な風合いはなくても、一成らしさはところどころに現れていた。
そんな本を作れる人間なのだ。他にもデザインを手掛けてみたら、一成の世界はもっともっと広がっていく。どんな風景が見られるか楽しみだった。
わくわくした面持ちでこぼれた、天馬の言葉。それを聞く一成は何だかほっとした空気を流すので、天馬は不思議そうな視線を向けた。すると、受け止めた一成はそっと言葉を落とす。
「――絵以外のことがやりたいって言うの、少し怖かったんだよねん」
ぽつり、ぽつり、と一成は心の内を形にしていく。唇は笑みを作っているけれど、まとう雰囲気は静かでどこか憂いを秘めていた。
「非難されるとか反対されるとかは思ってないし、きっと頑張ってって言ってくれる。だけど、オレの周りって、ずっと絵の道を応援してくれた人たちばっかりだからさ。違うことをやりたいって言うのは、応援してくれた気持ちを裏切っちゃうのかな~って」
困ったように眉を下げて笑う様子は、おおいに自嘲が含まれていた。
絵以外のことをやりたいと言ったところで、否定する人間なんて誰もいないとわかっているのに。心やさしい人たちが周りにいるのに。それでもためらって、怖いと思ってしまう己に、自嘲するしかなかったのだ。
「ずっと近くで見守ってきた人たちだから、よけい怖くなっちゃったのかも」
ずっと絵の道に邁進してきた。そのためのサポートをしてくれたのが周りの人たちだ。家族をはじめとして高校や大学の友人、先輩に後輩、教師や画塾の講師、大学の教授。
たくさんの人が一成を応援してくれたし、見守っていてくれた。わかっているからこそ、絵以外のことに目を向けたいなんて言うのは、裏切りのように思えてしまった。
「だけど、テンテンはオレが楽しんでるってわかってて、そんで、見たいって言ってくれたじゃん。それが嬉しかったんだよ」
自嘲の笑みを消した一成は、真っ直ぐ天馬を見つめて言った。
天馬と出会って、まだほんの一ヵ月と少ししか経っていない。まるでもっと前から知っていたように二人で過ごしてきたけれど、言葉にしてみれば些細な時間でしかないのだ。
事実として理解していたからこそ、天馬になら言えた。
出会ってまだ少し。積み重ねた時間がなかったから、何のしがらみもなかったから、天馬になら言葉にできた。まだまだ発展途上で、これから先いくらでも可能性が広がっている関係だとわかっていたからこそ。天馬なら大丈夫だと思えた。
事実として、天馬は一成の言葉を真っ直ぐ受け止めてくれた。デザインを手掛けて弾む心を、絵以外で作り出す世界を肯定してくれたことが、一成には嬉しかったのだ。
凛とした意志の宿るまなざしで、心からの気持ちを一成は伝える。だから、同じくらいの真摯さで天馬は答える。
「当たり前だろ。楽しいと思うことを全力でやるのが一成だし、お前はお前のやりたいことをやればいい」
一成の恐れを打ち消すように、きっぱりと天馬は言った。
ずっと絵の道を応援してもらったからそれ以外にやりたいことがある、と告げることをためらう。それは一成のやさしさに他ならないし、長所でもあると天馬は思う。実際口にしてみれば、きっと周囲の人たちは快く応援してくれる。一成自身もわかっていて、それでもためらってしまうのだ。
だから天馬には言えた。出会ってから日が浅いからこそ、関係が定まりきっていないからこそ。絵に対する真剣さは充分知っているけれど、天馬と一成の関係はこれからもっと未来へ広がっていく。
今の時点で完成されていないからこそ、天馬には新しい決意を口にできたのだ。
その事実が天馬には誇らしかった。まるでずっと前からお互いを知っていたように、隣にいることがなじんでいるけれど、実際にともにした年月はさしたるものではない。その事実に悔しく思ったことがなかったとは言わない。それすら、今この瞬間に報われたように思えた。