第四章:二人と未来
夏と神様 18話
目の前には、クリームソーダが二つ。
一つはラムネをベースにしてヨーグルトゼリーで白い雲を表現した、青空クリームソーダ。もう一つは、オレンジと黄色のグラデーションに輪切りのオレンジが添えられた、夕暮れクリームソーダだ。
どちらも空の風景をそのまま切り取って、グラスに閉じ込めたようだった。空が目の前にあるようで、飲んでしまうのが惜しくなる。一成はスマートフォンを構えて、「めっちゃきれい!」とテンション高く写真を撮っている。
きらきらと目を輝かせて頬を紅潮させる様子に、天馬の胸も弾んだ。一成がうきうきしていることも、夏の思い出がまた一つ増えることも嬉しかった。
「写真で見るよりめっちゃきれい! てか、近くで見ても本当に空みたいですごくね!?」
「ああ。加工とか一切なしでこれだからな」
「こんなにきれいなんだもん。加工とか要らないっしょ!」
力強く言い切った一成は、スマートフォンの写真を確認して満足そうにうなずく。それからすぐにポケットへしまったので、どうやら投稿はしていないらしい。
いつもならすぐ投稿するのに、と天馬が若干不思議そうな表情を流したのに気づいたのか、一成は苦笑を浮かべた。
「電波は一応入るけど、ちょっと弱めだからねん。画像アップはあとでいいかなって」
一成の言葉に「ああ」と天馬はうなずいた。
二人がいるのは、木々に囲まれた山の中だ。電車とバスを乗り継いで二時間ほどかけて、ここまでやってきた。さすがに圏外ではないとはいえ、電波状況がよくないのも確かだった。画像のアップロードは通信環境的に負担になると思ったのかもしれない。
「それに、せっかくならちゃんとクリームソーダ味わいたいし――テンテンと一緒の時間満喫したいじゃん?」
目を細めて、白い歯をこぼして一成は告げる。室内なのに光が降りそそいだ気がして、天馬は目をまたたかせる。気にすることなく、一成は続けた。
「テンテンよく時間取れたねっていうのもあるし、プラネタリウムも見られたしクリームソーダも飲めるし、写真撮るのもいいけど今を満喫しないと!」
軽やかに言った一成は、目の前の青空クリームソーダを引き寄せる。メニューをのぞきこんでどっちがいいかと話していた時、「テンテンはやっぱオレンジじゃね」というわけで夕暮れクリームソーダが天馬で、青空が一成になったのだ。
天馬も自身のグラスを引き寄せて、添えられたストローをくわえた。オレンジにレモンの風味が混じったソーダがしゅわしゅわと喉を滑り落ちていく。一成は「ラムネとアイスって合うよねん」と、うきうきスプーンを口に運んでいた。
その様子を見つめながら、天馬はぼんやりとここまでの道のりを思い返していた。
かき氷を食べに行った日、一成は「行きたいところがある」と言った。詳しく聞けば、山中にあるプラネタリウムに行ってみたいのだという。一成は天体が好きだということは知っていたので、プラネタリウムに行きたいという言葉自体には納得した。
ただ、二時間近くかけてわざわざ山中まで行きたい、というのはどういうことかと思ったのだ。もちろん一成はそんな天馬の疑問を理解していたから、きちんと答えてくれる。
一成が行きたいと言っているプラネタリウムは、個人が趣味の一環で運営しているという。もともと大学の施設だった天文台を改装して作られており、自作のプラネタリウムを上映している。
個人が作ったとは思えない出来栄えであることはもとより、プログラムは美しさを追求したものが基本となっていた。科学的な知見というより幻想的な天文ショーといった趣が強いと評判で、絶対一回見てみたいんだよねん、と一成は力説していた。
くわえて、そのプラネタリウムにはカフェスペースも併設されている。インステにて淡々と投稿される写真はどれも見た目を重視しており、数多くのええなを獲得しているのだ。特に空を閉じ込めたようなクリームソーダが評判だった。
この二つが合わさって、一部では非常に有名な場所になっているプラネタリウムだった。
「予約取れたのもだけど、そこにテンテンがスケジュール合せられたのもめっちゃラッキーだったじゃん!?」
うきうきとクリームソーダを飲んでいる一成の言葉に、天馬ははっと意識を引き戻す。一成は嬉しそうに「予約制だから貸し切りできるっていうのも、テンテン落ち着けていいよねん」と続けた。
プラネタリウムは二階建てになっている。二階部分でプログラムを上映し、一階がカフェスペースだ。
あまり広い空間ではないので、椅子と机のセットは二つしかない。一つに天馬と一成が座っており、もう一つは空っぽだ。こぢんまりとしたカウンターの奥では、プラネタリウムの運営者兼カフェのマスターである男性が黙々とグラスを磨いている。
確かに、ここが普通のカフェのようになっていて他に客がいたらそれなりに騒ぎになっていたかもしれない。マスターは天馬にさほど興味がないのか、天馬の顔を見てもいたって平静だった。おかげで天馬は、落ち着いてプラネタリウムに臨めたし、上映後の今現在もほっと一息つけている。
趣味で開いている場所ということもあり、多くの客を相手にすることは想定していないのだろう。Webからの予約のみ、という形態で淡々とプラネタリウムを運営しているらしい。
「てかマジで、テンテンよくスケジュール空けられたね」
「――まあな」
返す答えが何となくそっけなくなってしまったのは、若干の照れがあったからだ。ドラマ撮影が始まって慌ただしくなった中、一日空けてくれ、と必死で頼んだ結果が今日なのだから。
井川は面食らっていたものの、基本的にワガママを言わない天馬の望みということで、調整に動いてくれた。おかげで、今日天馬は一成と、朝から電車とバスを乗り継いで山の中までやってきた。
「予約は取れてたからさ。一人か、それとも誰か誘おうかなって思ってたんだけど! テンテンと来られて嬉しい」
ヨーグルトゼリーの雲を美味しそうに頬張った一成が、やさしく目を細めて言うので。天馬は多少の無理をしてでも今日を勝ち取ってよかった、と思う。
一成の心が弾む場面に立ち合えていることも、一成との思い出に新しい一ページが刻まれることも、何より自分と来たいという一成の願いを叶えられたことも、無理をしなければ実現しなかったのだから。
「前からここのことは知ってて、いつか行きたいって思ってたんだけど。クリームソーダって夏っぽいじゃん? 夏の思い出ならテンテンと作りたかったし、テンテンとなら絶対めっちゃ楽しいからさ。テンテンと一緒がよかったんだよねん」
そう告げる一成は、全身から隠しようもない喜びをあふれさせている。テンテンと一緒で嬉しい。一緒に来られて嬉しい。言葉はなくても、しっかり伝わる。
一成にとって、もとから知っていた店ではあった。いつか行きたい場所リストには入っていたし、予約には何回か挑戦して、八月に訪れることは決まっていた。ただ、誰と行くかまではあまり考えていなかった。友人なら多いので、行けそうな人を探すことは難しくないだろうと思っていたのだ。
ただ、天馬と出会ってともに過ごすうち、一緒に行けたらいいな、と思うようになった。機会があれば誘ってみようかとは思ったものの、ドラマ撮影が八月からと知って断念したのだ。忙しい天馬に、一緒に行きたいなんて言ったら迷惑になってしまうだろうと思った。
しかし、一成の誕生日を知った本人に、望みは何かと聞かれた。天馬と過ごす時間だけで、充分プレゼントにはなると本気で思っていた。それでも、もしも望んでいいなら――と思った時真っ先に浮かんだのがこの店だったのだ。
二人で過ごす時間は、いつだって一成の心を弾ませる。待ち遠しかったし、特別な時間だ。だから普段とは違う場所で、天馬ともっと特別な時間を過ごしたいと思った。それが叶えられているのだから、声が弾んでしまうのも心からの笑顔を浮かべてしまうのも仕方ない、と一成は思う。
「――オレも、来られて嬉しい」
ぽつり、と天馬は答える。あまりにも真っ直ぐ、一成が嬉しいという感情を表に出すので何だか照れてしまうけれど、同じ気持ちだと伝えたかった。
一成と一緒に過ごす時間は、天馬にとっても特別だ。こんな風に少し遠出できることも特別だったし、何より相手に天馬を選んでくれたことが嬉しかった。
一成はコミュニケーション能力が高く、友人が多い。声を掛ければ、一緒に出掛ける友人はすぐに見つかるだろう。親友と言っていいような皓望だっているのだ。天馬への対抗心を隠しもしない人間なのだから、一成が誘えば一も二もなく飛びつくに違いない。
甘いものが好きじゃないと言っていたので、今回は声を掛けていないかもしれないけれど、皓望の態度から察して好きじゃなくても一緒に行くと言いかねない。
そんな中で、一成は天馬と一緒がいいと言ってくれた。その事実が嬉しくて、ふわふわと気持ちは舞い上がっていた。弾んだ調子で、天馬はさらに言葉を重ねる。
「プラネタリウムなんて、ものすごく久しぶりに来たし、映像もきれいだった。一般的なプラネタリウムとは違って新鮮だったし、生まれた日の星空を見られると思ってなかった」
上映されるプログラムの一つとして、好きな日付の夜空を見ることができる、というものがあった。天馬は何も知らされていなかったけれど、映し出されたのは天馬が生まれた日の夜空だったのだ。
驚く天馬に、一成はいたずらっぽい笑みで告げた。「オレだけ誕生日祝ってもらっちゃったかんね!」なんて言っていて、誕生日プレゼントの一環のつもりなのだろう。
誕生日なら公表されているから調べることは難しくない。一成と出会った時、すでに誕生日は過ぎていたからタイミングもなくて、星空というプレゼントを用意したのだ。一成本人は、「これだけじゃ誕生日プレゼントにはならないかもだけど」なんて申し訳なさそうに言っていたけれど。
「夜空をプレゼントされたみたいで、嬉しかった。今まで一回ももらったことないしな」
「マ!? テンテンの印象に残っちゃった系?」
「それはそうだろ。オレが生まれた日にはこんな星が出てたんだな、なんて思う機会なかったからな。新鮮だったし面白かった」
心から告げれば、一成はぱあっと顔を輝かせる。天馬の心に残った、という事実が嬉しくてたまらないのだろう。その反応に、天馬の表情も明るくなる。浮かれるような気持ちで、続きの言葉を口にした。
「一成が生まれた日の夜空も見てみたいが、何か複雑な気持ちになりそうだ。この時、オレはまだ生まれてなかったって思い知らされるだろ」
「まあ、同じ空を見てたかもって可能性はゼロだよねん」
天馬と一成には明確な年の差があるのだ。一成の方が年上という事実は揺るぎないから、この世界に一成が生まれた日、天馬はどこを探したっていない。
お互い何も知らなくても、同じ空を見ていたかもしれない、と思える要素はかけらもない。どこかでつながっていたかもしれない、とすら思えない事実が、天馬には何だか悔しい。それを察している一成は、ゆっくりと言った。
「でもさ、ちゃんとオレら会ったじゃん。ちょっとだけテンテンはオレより遅くなったただけで、ちゃんと追いついたよ。そんで今は、一緒に星だって見られるし、クリームソーダだって飲めるし!」
だから平気だよ、と一成は言う。スタート地点は確かにズレていたかもしれないけれど。今の二人はちゃんと出会った。知らないままだったことが嘘みたいに、自然と隣にいる。二人で過ごす楽しさを知っている。出会わないままじゃなかった。二人はちゃんと出会って、同じものを見ていこうとしている。
力強い言葉に、天馬は「そうだな」と笑った。
出会えなかった可能性なんて、いくらでもある。天馬は有名人だしいずれ一成も名前を知られるようにはなるかもしれない。それでも、お互い名前を知っているだけで終わりになる可能性だってあった。
だけれど、二人はきちんと出会って、お互いのことを知っていった。ともに過ごす時間の特別さを心と体の全部で感じ取っている。
「一成と会わなかったから、ここの存在だって知らなかった。朝から電車に乗って、バスまで乗るとか絶対しなかったぞ」
「だよねん。でも電車とバスで来られるだけ、まだマシじゃね? 本数少ないけど、一応公共交通機関はあるわけだし」
「――まあな。自家用車以外、一切交通手段がないところでロケとかある」
今までのことを想像して言えば、一成が「でしょ~」と笑った。山中とはいえ、そこまでの秘境ではないのだ。駅からバスに乗っても、十分程度。さらにバス停からプラネタリウムまでは歩いて行けるし、奥深い山を分け入らなくてはならない、なんてことはないのだから。恐らく、天馬が体験したロケ地の方が過酷だろう。
「それくらいじゃないと、お客さんも来れないと思うしねん。まあ、車で来る人も結構いるっぽいけど」
インステを筆頭とした口コミ情報から、一成は訪れる客についてもおおむね把握しているのだろう。当然電車やバスでの来客も数多いけれど、自家用車で直接やって来る人も少なくはないようだ。
「今日もオレたちのあと、予約入ってるっぽいし。本当盛況だよねん。でも、わかっちゃうな~。山の中のプラネタリウムってシチュエーションもエモいし、プラネタリウムもめっちゃよかったし、美味しくてきれいなものも食べられるし!」
そう言った一成は嬉しそうにクリームソーダを指し示す。ただ、すぐに声の調子を変えて「テンテン、アイス溶けてね?」と心配そうに告げる。
確かに、アイスクリームはだいぶソーダに溶けていた。慌てたように天馬はスプーンを動かして、小さくなったアイスをすくう。
「……オレンジソーダとアイスクリームって意外と合うんだな」
一緒に食べる機会はなかったので、味の予想ができなかった。ただ、いざ口にしてみれば酸味と甘さのバランスがちょうどよくて、適度な冷たさもあわさってするすると口に入るのだ。一成は嬉しそうにうなずく。
「美味しくてきれいとか最高だよねん。きれいなものいっぱい集めたって場所だし、宝箱みたい」
目を細めた一成は、ゆっくりと周囲へ視線を向ける。
山中にぽつりと建つプラネタリウム。自作の星空を映し出し、丁寧に作られた食べ物を振る舞う。ここにある全ては、きっとマスターが心を動かされたものたちで形作られているのだろう、と自然と理解できた。
「――めっちゃすてきだって、感想とか言いたいんだけど、迷惑かなぁ」
ちらり、とカウンターへ視線を向けた一成はそっとつぶやく。マスターは決して無愛想というわけではなかったし、落ち着いた微笑を浮かべて相対してくれた。ただ、積極的な会話が展開するわけでもなかったので、コミュニケーションを好むかどうかはわからない。
一成はしばらくの間、逡巡する空気を流していたのだけれど。机に設置されていたメニューを手に取ると、「せっかくだもんね!」と晴れ晴れとした様子で言った。
どうやら吹っ切ったらしい、と察した天馬は小さく笑った。一成は思い悩んでも、自分できちんと答えを見つけ出せる。それも、とびきり明るい方向へ。
「すてきなものはすてきって言いたいし、伝えるだけ伝えてみよっかな。あと、小腹空いちゃったから何か食べよ」
答えを出した一成はメニューを開いて軽食ページを眺めている。青空クリームソーダは順調に減っていて、残りはほとんどない。
「このピザトースト気になってるんだよねん。テンテンも何か頼む?」
「オレはまだクリームソーダ残ってるからな。大丈夫だ」
せっかくなのでしっかり味わいたい、と思って答えると一成は「おけまる~」とうなずいた。
それから「すみません」と手を上げるとマスターが近づいてくる。一成は追加の注文をするついでに、ちょっといいですか、と話しかける。