夏と神様 21話









 電話が鳴っている。
 豪奢なマンションの一室で、燦飛はソファに座って台本を読んでいた。鳴り響く音に燦飛は顔を上げる。
 傍らのスマートフォンを手に取り、画面を見ずに通話ボタンを押した。誰なのかはわかっていた。耳にあてた途端、予想通りの声が流れてくる。

「久しぶりだね、兄弟」
「ああ、そうだな」

 淡々とした声に、燦飛も同じ調子で返した。笑顔を浮かべる必要もないし、感情を動かす意味もない相手だとわかっていた。長い間ずっと一緒にいた。まるで半身のような存在は、ほとんど自分自身と言ってよかった。

「ほころびが大きくなっている。どうにかしないといけない」

 単刀直入に切り出された言葉。何の話か、なんて燦飛は思わない。電話の主――皓望がわざわざ連絡を取る理由は一つしかないのだ。
 思い浮かぶのは、太陽みたいに笑うたった一人。今日は撮影で遅くなると言っていたな。しっかり夕食を食べているといいんだが――なんてことを思う。
 天馬のことを考える時だけ、燦飛の唇は小さく笑みを刻む。ただ、すぐ真顔になると皓望へ言葉を返す。

「この前のオフ以降、おかしいとは思ったんだ」

 つい先日、天馬がドラマ撮影の合間を縫ってオフを取った。クランクイン直後は、特に撮影へ集中したいと言う天馬にしては珍しい。不思議に思っていたし、帰宅した天馬を前にした燦飛はいっそう戸惑ったのだ。もちろん顔には出さないけれど。
 山の方まで行ってきた、という天馬は何だかやたらと嬉しそうだった。ロケではない遠出が思いの外楽しかったのだろうか、と思ったもののどう考えてもそれだけではない。きらきらした笑顔や、全身からあふれるような喜びのオーラは、燦飛が今まで見たことがないものだった。

「二人で出掛けたみたい。お前の加護あるせいで、そっちの動向がよくつかめない」

 淡々としていた声から一転して、苦々しげに皓望は言った。実際顔をしかめているのだろう。
 燦飛も皓望も、大概のことなら先まで見通すことができる。離れた場所にいる相手だって、どんな風に動いているかはわかるのだ。この世界を創造した存在なのだから、それくらい容易い。どこにいたって何をしていたってわかるはずだ。ただ一つの例外を除いては。
 天馬と一成。二人には、それぞれ神様の加護が授けられている。天馬には燦飛、一成には皓望。一番重要な項目だったから、そこだけはお互い譲らなかった。
 結果として、互いの力はそれぞれの加護対象に上手く作用しない。そうでなければ、きっとすぐにわかった。二人でどこかへ遠出しようとしているなんて。

「動向がわからないのはこっちも同じだ。知らない間に、ずいぶんと親しくなっている」
「親しくなるくらいならまだマシ。一成は自覚しちゃったよ」

 吐き捨てるように皓望は答えた。恐らく決定的なことがあったんだろう、と燦飛は察する。だからこうして電話を掛けてきた。今まで一切連絡を取ることはなかったのに。

「何かやたらと楽しそうでうきうきしててさ。いつもよりテンション高いから、どうしたのかなって思って聞いたら、好きな人ができたとか言われてみてよ」

 もちろん皓望は笑顔で「そうなんだ!」と相槌を打った。一成相手に不機嫌な顔を見せるなんてこと、皓望は決して選ばない。一成の心を決して傷つけないよう、細心の注意を払いながら質問を重ねる。どんな人? 僕も知ってる相手? きっとすてきな人なんだろうね!
 一成は皓望の言葉に、嬉しそうにうなずく。その顔は今まで見たことがないほど幸せそうで、きらきらと輝いていた。
 それから一成の恋の相手に尋ねていると、一成はためらいながら教えてくれたのだ。これはオレの片思いだかんね、と言って。誰にも言っちゃダメだよ、と秘密を打ち上ける素振りで。天馬の名前を教えてくれた。
 恐らく皓望だから、一成は名前を告げた。高校時代から一番仲が良くて、心の内側に入れてくれたからこそ。その事実が皓望は嬉しかったけれど、同じくらいに告げられる名前に絶望的な気分になっていた。

「一成は聡い子だから、自分の気持ちにもちゃんと気づいちゃった」
「天馬は恐らくまだだが――時間の問題だな」

 浮かれた調子の天馬に、燦飛は探りを入れた。すると、案外あっさりと一成と山奥のプラネタリウムに出掛けたことを教えてくれた。そこで見た星空の美しさや芸術的なクリームソーダ。バスに乗り遅れて駅まで歩いたのだと語る時。
 心からの幸福を抱きしめる様子で、天馬は過ごした時間を教えてくれた。一成と一緒に過ごすことがこの上もない喜びなのだと、言葉ではなく伝わる様子に、燦飛は天馬の恋心を察知した。
 ただ、天馬はそういった方面には疎い人間だ。なので、まだ自分の感情に恋という名前をつけていないようだった。しかし、それも時間の問題だろう。あえて気づかせることはしなかったけれど、遅かれ早かれ天馬は恋心を自覚する。

「だろうね。だから、出会わせちゃだめだったのに」
「俺たちの知らないところで、勝手に出会ってしまったんだ」

 悔恨を宿す声に、同じ響きで燦飛は返す。
 出会わないようずっと注意を払ってきた。MANKAIカンパニーという劇団が辿る道を知っていたから、同じルートを選ばないよう手をくわえた。天馬は早々に舞台へのトラウマを克服したし、一成は絵の道に邁進できるよう取り計らった。
 MANKAIカンパニーと出会わないで済むよう、二人が同じ劇団に所属しないよう、何度もルートを変更したのだ。だって、そうしなければ。

「出会ったら、惹かれ合ってしまう」
「また恋に落ちてしまう」

 少しだけ未来を見通せる力で、いくつものルートをシミュレートした。本来の流れ通りなら二人は惹かれ合って恋に落ちる。だから、出会うタイミングや場所を変えればただの友達でいてくれるだろうと思ったのに。
 どんなルートを辿っても、出会ってしまえば。二人が互いのことを知ってしまえば。距離を縮めて、初めてを分かち合って、特別な人になってしまう。どうしたって恋に落ちてしまう。
 天馬と一成の性格が少しでも違っていたら、もしかしたらただの友達であり続けるのかもしれない。世界そのものに介入できるのだ。ちょっとばかり、性格を変えてしまうことだって不可能ではない。だけれど、燦飛も皓望もあるがままの二人が大事だった。神様の力なんて一つだって介入させたくなかった。そのままの、何一つ変わることのない二人でいてほしかった。
 だから、出会わせてはいけなかった。互いを知ってしまえば、どうしたって特別な人になる。その未来を避けるためにできることは、二人がお互いの存在なんて知らずに生きることだった。

「だが、まだ間に合う。まだ気持ちを伝えていない」

 二人の心に、お互いが特別な相手として刻まれていることは確かだろう。ただ、まだ全ては終わりではない。天馬も一成も、お互いの気持ちを形にはしていないのだ。皓望は燦飛の言葉に、揺れる声で答えた。何かを確かめるような、すがりつくような響きで。

「結ばれちゃいけない。心が通じ合ってしまったら、僕たちの入る隙がなくなる」
「片割れであり、魂の番だ。満たされてしまったら、俺たちを必要としなくなる」

 燦飛も力強くうなずいた。避けなければいけないことは、ただ一つだ。天馬と一成の気持ちを通じ合わせないこと。それだけだ。
 出会って、恋をして、結ばれる。どうしたってそれだけは避けたかった。理由は簡単だ。だってもしも二人が恋人として結ばれてしまったら、何もかもが完成されてしまう。

「すべきことならわかっているだろう」
「当然。二人を引き離さなくちゃね」

 燦飛の言葉に、皓望は力強く答える。
 出会ってしまった。恋に落ちてしまった。それでもまだ、終わりじゃない。思いを通じ合わせる前に、できることはある。二人を引き離して、互いの存在を消し去っていく。だって、心を通い合わせてはならないのだ。
 数多の人が生きているこの世界で、出会うべくして出会うのが二人だ。出会ったなら必ずお互いを特別な人として思い定めてしまう。
 どうしてなのか。神様として人知を超えた力を持つからこそ理解している。魂の番。二人で一つ。求めた半身。二人の間に結ばれる、決して切れない強い糸。
 想いが通じ合えば、全てのピースがぴたりとはまる。欠けていたことにすら気づかなかった場所が満たされる。互いの心を分かち合って、全てが完成される。
 そうなることを、燦飛と皓望はずっと恐れている。
 だって、ほんの少しでも隙間があれば、わずかでも欠けた場所があれば、そこに居場所は作れるのに。神様を求める心は、どうしようもなく欠けた何かや、埋まらない隙間があるから生まれる。
 何もかもに満たされてしまったら、求めた半身と出会ってしまったら。自分自身ですら気づかないまま欠けていたピースがはまってしまったら。
 そうしたらきみは神様を必要としない。

「欠けていなきゃ、僕だけのきみにできない」
「隙間がなくては、俺だけのきみにできない」

 スマートフォン越しに、二つの声が重なった。まるで違う声質をしているのに、不思議なことにぴたりと重なる。まるで一つの声のように。
 誰に言うわけではない。ただ自分の心を確かめるため、燦飛も皓望も言葉を発する。「きみは」と口にする相手は、どちらも違っている。天馬を、一成を思い浮かべて、燦飛と皓望は言った。


「神様のいとし子だ」





◆ ◆

 思い出す光景がある。
 高台にあるさびれた神社。ずっとずっと昔、人の手で祀られた。最初こそは多くの人が訪れていたのに、次第に誰も来なくなった。近くに大きな神社ができたこともあり、みんなそちらに流れていった。
 太陽と月を祀る神社として、烏と兎の象徴が与えられていたからだろうか。信心が集まっていた時代に、二柱の神様はカラスとウサギの形を得て意識を持った。ただ、人が去っていくにつれて、意識はぼやけてほとんど霧散してしまう直前だった。あの時、手を合わせてくれる人が現れるまでは。

(いつもお世話になってます!)

 明るい声で言ったのは、月の光を集めたようにきれいな金髪の青年。両手を合わせて神社を拝んでいて、隣の青年も同じように手を合わせる。こちらは、太陽のまばゆさを感じさせるオレンジ色の髪をしていた。
 何に感謝されているのかよくわからなかった。ただ、手を合わせる気持ちはしかと受け取って、消えかかっていた意識が少しだけ形を取り戻す。さらに、どうやら二人は神社をきれいにしてくれていた。雑草を抜いてゴミを拾って、朽ちかけの社はそのままでも久方ぶりに空気が清浄になる。

(じゃーん、お供え!)
(寮でもらったお菓子か)

 二人はときどき神社を訪れる。そのたび手を合わせてくれるので、意識は次第にはっきりしてきた。
 周囲をきれいにしてくれるし、お供えだって持ってきてくれる。信仰というほどしっかりしたものではないのだろう。それでもよかった。もともと、素朴な信心から祀られた神様だ。ささやかでも、しかと向けられた心さえあれば充分だった。
 くわえて、二柱が太陽と月の化身であったことも上手く作用した。太陽も月も、昔と変わらず上空に輝いている。信心めいた気持ちを抱く存在もゼロではない。おおもとの自然信仰が途絶えていなかったこともあり、少しずつ神様としての形を取り戻していく。

――今日は何をしてるんだ?
――ずっとお話してるねぇ

 神社にやってくる二人を、神様たちはずっと見守っていた。
 二人の会話から、劇団というものに所属していることだとか、それぞれの名前を知っていく。太陽の青年は天馬。月の青年は一成。宿す色が自分に連なるようにも思えて、二柱はそれぞれに目を掛けるようになっていった。

――天馬は芝居が上手いな
――見てよ、一成の絵!

 神社へ訪れる二人を見ている内に、天馬はよく芝居をしていて、一成は絵を描いていることに気づいた。
 実体はない意識だけの存在で、神社のある空間は縄張りの範囲内だ。ふわふわと近くまで行って、芝居や絵を堪能した。その内に、それぞれの作品に夢中になっていた。二人のやり取りから、誠実でやさしい人柄を知って好意を持ったことも大きい。
 二柱の神様は、芝居と絵を心から楽しんで、大事に思うようになっていった。生み出される作品は、まるで心をそのまま取り出ししたようで。真っ直ぐ向けられる信心が形になったようで。天馬の芝居と一成の絵に、次第に魅せられていく。

――今日は来ないのかなぁ
――最近あまり訪れないな

 二人が来ない日は、そわそわと時間を過ごした。力を取り戻しつつあるとはいえ、神社から離れることはできない。二人がどこで何をしているかは知る由もなかったから、ただ訪れるのを待つしかできなかった。本当はずっとここにいてほしい。どこへもいなくならないでほしい。
 そう思っても、二人はどこかへ行ってしまうのだ。だから、ただそれまでの時間を思い出すしかできない。
 訪れた時に見た芝居や絵。お供えとして置いてくれた飲み物やお菓子。手を合わせて願ってくれたこと。今までのことを思い浮かべて、何度も何度も取り出していくうちに、二柱の気持ちは一つに固まっていく。

――あ、来た!
――ようやくだ

 いつもみたいにやって来て、辺りをきれいにして手を合わせる。楽しそうに言葉を交わして、芝居を始めて、絵を描く。
 二人の行動を噛みしめながら、二柱は自然と思う。そうすることが当たり前みたいに。ずっと前から知っていたことを答え合わせするみたいに。

――ああ、この子がほしい

 だってずっと願っていた。ずっとずっと待っていた。手を合わせてほしい。祈ってほしい。神様のために心を向けてほしい。手を合わせてくれる人がほしい。
 そんな時に現れた。まばゆい光を持った、自分自身に連なるような人の子。
 これはきっと、自分のために用意されたのだと思った。二柱はほとんど同一の存在だから、同じことを考えているのはよくわかっていた。どう動けばいいのかも、何をすればいいのかも。
 だから、ただ淡々と力を蓄えた。天馬と一成。二人が互いに心を向け合っていることはわかっていたから、その前に自分のもとに連れてこなくてはならない。思いを通じ合わせてしまったら、自分たちの入る隙間がなくなってしまう。
 二人の信仰のおかげで、力は順調に強くなっていた。くわえて、夏という季節だ。何もかもが生命力を増していく季節なのだ。神様だって例外ではない。それに、夏祭りの日は全ての境界があいまいになる。幽世も現世も、神様も人の子も、何もかもが同じ世界で生きることを許される。
 そんな日であるなら、力を発揮できる。
 二人が変わらず手を合わせて、お供えものまでしてくれた。夏。祭りの夜。お供え。手を合わせてくれる。全ての条件がそろった。だから。

――こちらへおいで

 あの夜、神様はいとし子を自分の世界に連れ去った。