夏と神様 22話




 事務所で作業をしていると、マネージメント部の部長に呼び出された。一体何かと思いながら、部長の部屋へと入る。ソファに座るよう言われ、天馬は腰を落ち着けた。
 今日は珍しく井川が別の仕事ということで、電車を乗り継いで事務所にやってきた。くわえて、部長からの呼び出しである。話をしたことは何回もあるけれど、こんな風に呼び出された記憶はなかった。何だか今日は珍しいことが重なるな、と天馬は思う。
 マネージメント部の部長は、天馬の両親が不在の場合に事務所を取り仕切っている。何か事務所に関わる話だろうか、と思うもののなかなか話を切り出さない。テーブルを挟んだ向かいのソファで難しい顔をしている。

「それで――」
「遅くなりました」

 一体何の用か、と口を開きかけたところで部屋の扉が開いた。燦飛が入ってくる。部長はほっとしたように息を吐き出し、燦飛は当たり前のように天馬の左隣に座る。

「天馬くんに見てもらいたいものがあるんだ」

 どうやら燦飛がやってくるのを待っていたようで、部長は口を開いた。難しい顔は変わらず、重々しい口調。
 何だろう、と思いつつうなずけば、部長は一旦立ち上がる。デスクの引き出しから数枚の紙を持ってくると、再びソファに座り直した。紙を天馬の方へ押しやり、硬い声で言った。

「明日発売の週刊誌に掲載される記事だ」

 白黒で印刷された紙。粗い写真とともに踊る文字は、天馬と女性アイドルの密会現場をとらえた、というものだった。記事には天馬とアイドルが熱愛中であり、人目を忍んで逢瀬を重ねていると書かれている。連写の写真は、変装した二人が並んで歩く姿で肩を寄せ合っているように見えた。
 天馬が思わず顔をしかめたのは、まったく身に覚えがないからに他ならない。ときどきこんな風に、根も葉もないスキャンダルが報道されることがある。それが週刊誌の仕事だ、と言われたところで納得できるわけがない。勝手な捏造記事には不快感が募るし、ふつふつとした怒りが湧き上がる。
 熱愛中とされている女性アイドルのことは、当然知っている。この前クランクインしたばかりの、美大を舞台にしたドラマでの共演者なのだ。
 恐らく、顔合わせの帰りか何かで一緒になったところを撮影されたのだろうと察しはついた。
 駐車場に向かうのは同じルートだから、連れ立って歩いて見えてもおかしくはない。狭い場所だったから、多少体は近づいただろう。周りには他のスタッフもいたはずだけれど、二人きりに見える瞬間を狙って撮ったに違いない。

「恐らく顔合わせの帰りです。二人で会ったことなんて一度もないですし、この時のことなら井川に聞けばわかるはずです」

 後ろ暗いことなど一つもないのだ。真っ直ぐ部長を見つめて、きっぱりと言った。事実無根なのだから、誰に何を聞かれても問題はない。井川なら一番事情を熟知しているから最適だと思っての言葉だった。しかし、部長は何だか言いにくそうに口を開く。

「そのことなんだが、井川はしばらく別件を任せることになったんだ。だから、今日もそっちに行っていて、しばらくかかりきりになるはずだ。マネージャー業務は別の人間を手配している」

 井川は天馬の仕事から外れる、という形になるらしい。だから、天馬の件は業務外の扱いとして対応はできない、という。その言葉に、天馬は首をかしげる。
 あまりにも突然すぎる。井川なら一言くらい、天馬に何かを言うはずだけれどそれすらないということは、恐らくそんな猶予もないほど急な話だったのだろう。こんなに突然異動が行われるなんて、聞いたことはなかった。
 それに、いくら異動したと言っても詳細を聞けないわけはないだろう。業務引き継ぎの一環だと言えるのだから。
 違和感を覚えて考え込みかけていると、部長は「そういわうけで」と言葉を続けた。さも当然のような響きで。

「念のため個人のやり取りを制限させてもらいたい。天馬くん、プライベート用のスマートフォンを渡してくれるかな」
「は!?」

 思わずすっとんきょうな声が出た。何を言っているのかわからなかった。
 天馬に後ろ暗いところは一つもないのだ。件の女性アイドルの連絡先すら知らない。プライベートでやり取りを交わすことなんてできるわけもない。それなのに、スマートフォンを渡したところでどんな意味があるのか。何が「そういうわけで」なのか、まるでわからなかった。

「オレは何もしてません。連絡先だって知らないんです。どうして渡さなくちゃいけないんですか」

 強い声で言うと、部長は申し訳なさそうに体を縮こまらせる。ただ、結論を変える気はないようだった。恐縮しながら、それでも言葉を続ける。

「ご両親がいない間に、こんな話が出たのは事実だ。せめて反省しているという姿勢を見せてほしい。だから、スマートフォンを預かりたい」

 事実であるかどうかは関係ないのだ、と天馬は察する。この記事が出回る、それだけで天馬の行動を制限する理由になると言うのだ。
 確かに両親がいない間に起きたスキャンダルだ。反省しているということを示すためにスマートフォンを預けるというのは、選択肢としては有効なのかもしれない。
 そう思ったけれど、素直にうなずけなかった。確かに天馬がうかつだった点はあるだろう。ただ、実際に逢引をしていたわけでもない。事務所に隠れて付き合っていて全てが露見したというなら、処分という意味で連絡手段を取り上げる、というのはまだ理解はできる。納得するかは置いておいて。
 しかし、天馬は清廉潔白である。不在の両親へのアピールのためだけに、連絡手段を奪われるなんて我慢がならなかった。
 胸ポケットのスマートフォン。肌身離さず持っているし、連絡があったらできるだけすぐ答えられるようにしている。今これを取り上げられたなら。遠く離れていたって、言葉を伝える手段がなくなってしまう。
 渡すことはできない、ともう一度ノーを伝えようとした。しかし、その前に横合いから手が伸びてくる。流れるように自然な動作で、燦飛が胸ポケットのスマートフォンを抜き取った。

「燦飛!?」
「俺もスキャンダルが出たらこうするよ。プロ意識の高い天馬だってそうだろう」

 落ち着いた表情で、こうすることが当然といった素振りで言った。燦飛は手の中のスマートフォンをじっと見つめてから、部長に向かって「これは俺が預かっておきますね」と告げる。
 部長が「ああ、そうしてくれ」とうなずく様子に、天馬は眉根を寄せる。何の不思議もない顔で燦飛の言葉にうなずくけれど、この場合スマートフォンを預かるのは事務所の人間だろう、と思ったのだ。
 何かがおかしい、と天馬の全てが訴えていた。
 今までだって、皇事務所の所属タレントにスキャンダルが出たことはある。天馬だって、根も葉もない記事を世に出されることは初めてではない。しかし、そのいずれでもこんな風に個人の通信手段を取り上げることはなかった。両親が不在の時だって、スマートフォンを没収するなんて聞いたことはない。
 社長の息子だから、より厳しい手段を取った? しかし、今までだって熱愛だとか騒がれたことはあっても、同じ処遇には遭っていないのだ。どういうわけか、今回はやたらと強硬な対応を取っている。
 それに、明日発売の週刊誌というのも気に掛かった。
 大体この手の情報は、もっと事前につかんでいることが多い。週刊誌側から打診があるのが常だし、場合によっては話し合いや金銭で解決することだってある。今回は、スキャンダルとはいえ法に触れるような類ではないし、そこまでのダメージはないと発売されることになったのかもしれないけれど。
 何にせよ、もっと前に本人へ確認が向かうのが常だ。明日発売される記事をこの段階で知らせるなんて、まるで降って湧いたようだった。
 何より、どうして燦飛の言葉をあっさり受け入れているのかがわからなかった。
 そもそも、今回の記事に関係しているわけではないのに、同席しているのもおかしな話だ。天馬と懇意にしているだけで、事務所の経営に関わっているわけでもない。確かに燦飛は皇事務所でも売れっ子で、影響力を持っているとは言えるかもしれないけれど、単なる所属タレントでしかないのだから。
 それなのに、部長は燦飛が来るのを待って話を始めた。スマートフォンを預かるのは、まるで燦飛の役目だというようにうなずいた。事務所の経営に携わる人間のように。この場を取り仕切っているのは、燦飛なのだと示すように。
 違和感がむくむくと広がっていく。何かがおかしい。自分の知らない場所で勝手に何かが進んでいるような。具体的なことはわからない。それでも、何かが変だと全身が訴えていた。

「それじゃ、俺は行くよ。仕事があるんだ」

 違和感の正体を探ろうとしていると、涼やかな声で燦飛が言った。立ち上がると、すたすた扉へ歩いていく。このままスマートフォンを渡したままにするわけにはいかない、と天馬も立ち上がる。あとを追おうと、一歩足を踏み出したところで。

「天馬くん」

 部長に呼ばれて動きが止まる。性格上、天馬は人を無視するなんてできない人間だ。ほとんど反射で部長へ向き直った。

「明日にはこの記事が出るから、ファンのフォローはお願いしたい。事務所でも当然対応はするけれど、実際に顔を合わせるのは天馬くんだ」

 対外的な部分は事務所が引き受けるとしても、天馬とて何もしないわけにはいかない。ロケに出ればファンと相対する場面もあるだろう。そんな時の対処が必要なのは事実だ。とっさに、どんな対応をすべきかといくつものシミュレーションが頭を駆け巡る。
 状況によって使い分けなくては、と考えている間に燦飛は部屋を出ていってしまった。追いかけなくては、と思うものの部長はさらに言葉を続ける。

「天馬くんに恋人がいる、と思ってショックを受けるファンもいるだろう。上手く対応してほしい」

 告げられた言葉に、ぎくりと体がこわばる。恋人。そうだ、週刊誌の記事は天馬に恋人がいると報じるものなのだ。
 取り巻く違和感に気を取られて、記事の中身が頭から抜け落ちていた。いくら根も葉もない話だとしてもスキャンダルに違いはないのだ。恋人がいると誤解されてしまう可能性は否定できない。あらためて状況を理解すると同時に、天馬は強烈に思った。
 一成に誤解されたくない。
 スキャンダルは一成の目に入るだろうか。女性アイドルとの熱愛記事なんて笑い飛ばしてくれるだろうか。そうだったらいい。さすがテンテン、芸能人だねん、なんて冗談にしてくれるならいい。だけれどもしも万が一、天馬には恋人がいるなんて思われたら。
 そんなのは嫌だ、と天馬は思った。誤解されたくない。違うんだ。恋人なんかじゃない。オレは誰とも付き合ってない。だって、オレが好きなのは。
 流れるように自然と言葉が形になって、天馬の心臓が大きく跳ねた。この言葉の行き着く先は。他の誰でもない一成に誤解されたくないなんて思う理由は。
 ぶわり、と天馬の顔が赤く染まった。顔中に熱が集まっていく。ドキドキと鳴る心臓の音がうるさい。
 一成と一緒に過ごす時間が特別だった。ささいな話も、くだらない会話も、一成となら何だって輝いて見えた。これから先も、一緒にいたいと思った。一成と二人なら、何だってできる。未来はずっと輝いている。
 今までずっと抱いていた気持ちは、友情の一つなのだと思っていた。だけれど、さすがに天馬は自覚した。恋人だと思われたくないなんて。誤解されたくないなんて。恋人だと言いたい相手は一人だけなんて。思ってしまったら、答えは一つしかない。
 オレは一成に恋をしている。
 理解した天馬は、真っ赤な顔で固まっていた。