夏と神様 23話




 電車に揺られながら、一成はスマートフォンを操作する。流れるように天馬の話題を検索すれば、瞬く間に情報が集まる。
 すると、最近一番の話題である天馬の熱愛報道が目に入って一成は急いで画面をスクロールさせる。視界から消してしまいたかったのだ。
 スキャンダルの一報に、一成は自分でもわかりやすくショックを受けた。好きな相手の熱愛報道である。ショックを受けるのは当然だと思えたから、「だよね~」と納得はしている。ただ、受け入れられるかどうかは別問題である。
 今までの天馬の言動から考えて、恐らくこの報道は真実ではないだろうとは思っていた。仕事だけの関係ならいざ知らず、天馬はずいぶん心を許してくれている、と一成は思っている。もしも付き合っている相手がいるなら、それとなく話題に出してくれるだろう、と信じられるくらい。
 大体、天馬の多忙さはよくわかっている。プライベートの時間は、LIMEでのやり取りも含めて一成とのものが大半だ。恋人がいたとしたら、一成よりもだいぶ優先順位を下げているということになるし、天馬がそんなことをする人間とは思えなかった。
 だからきっと、熱愛報道は飛ばし記事の類なのだろうと思えた。しかし、そうは言ってもやはりショックはショックだった。好きな相手に恋人がいる、なんて嘘でも見たくはない。
 ただ、一成の一番の気がかりは天馬からの連絡が途絶えていることだ。
 毎日やり取りを繰り返していたLIMEには、何の返事もない。それどころか既読すらつかなくなった。今までそんなことは一切なかった。多少時間は空いたとしても、一日以内に必ず反応はあったのに。一日経ち、二日経っても天馬からは何の音沙汰もなかった。
 もしかして天馬に何かあったのではないか、と一成は気が気ではなかった。体調を崩したとか事故に遭ったとか、何か不慮の事態に見舞われているのではないかと心配だったのだ。
 天馬のことなので情報規制が敷かれて、報道には一切出てこないだけで実は、なんてこともあり得る。スタッフが担当しているSNSにも更新はないので、動向はつかめない。
 関係者ではないから、何があっても知らされることがないという現実が歯がゆくて仕方なかった。
 それでも、何もしないままではいたくないと一成は積極的に情報を集めた。天馬の目撃情報があれば、少なくとも元気でいるのだという確認はできる。SNSやファンの掲示板を渡り歩いて、情報収集に努めていた一成は、そこでロケ撮影の目撃情報を目にする。
 制作の休憩中に、スマートフォンをチェックしていた。投稿時間はたった今。場所は都内の公園だ。テンテンはちゃんと元気みたいだ、と一成はほっと息を吐く。
 とはいえ、Webだけの情報ではいささか不安がともなう。できれば自分の目で確認したい、と思った一成はすぐに動いていた。
 ロケ現場の公園は、大学から電車で行ける距離だ。大学は夏休み中で、授業はない。ただ、今日は学内展示会の打ち合わせが入っているから、時間までに戻って来なくてはならない。時計を見る。今すぐ出れば充分間に合う。即決した一成は、電車に飛び乗った。

(――ロケしてるのは間違いないっぽいよねん)

 念のため、再度情報を確かめればあちこちで目撃情報が投稿されている。さすがテンテン、目立つよねん、なんて思う。これだけの数があれば、情報が間違っていることはないだろう。わざわざ一成が確認しなくても、天馬は無事なのだと言うことはできる。こうしてロケ現場に向かう必要はない。充分わかっていたけれど。

(テンテンに会いたい)

 天馬の無事を確かめたいという気持ちは本当だ。自分の目で見れば、きっと安心できる。だからロケ現場に向かってはいるのだけれど。結局のところ、一成は天馬に会いたいのだ。どんなに短い時間でも、ささやかな瞬間でもいい。ほんの少し顔を見られるだけでいい。
 衝動的に飛び出して電車に飛び乗ってしまうくらい、一成は天馬に会いたくて仕方なかった。






 ロケ現場の公園はそれなりの広さがある。しかし、目的地まで迷うことはなかった。事前に情報を収集していた、ということが一つ。それから、同じことを考えている人間は多数いたので、人のいる方へ歩いていけば自然と撮影現場へ辿り着くことができた。
 大勢の人だかりの向こうには、カメラやマイクを持ったスタッフたち。さらにその奥に、撮影中の役者という布陣である。見物人を想定しているのか、慣れているのか、スタッフが「ここから入らないでください」やら「撮影中はお静かに」といった声を掛けている。
 一成は人込みに混じって、スタッフの向こうへ視線をやった。何のシーンなのかはわからない。秋物の装いをした天馬と、年配の男性役者が向かいあって意見を交わしている。これからの撮影に関して打ち合わせをしているのかもしれない。

「本物の天馬くん、かっこいい~!」
「顔ちっちゃいしスタイルいいね!」

 近くにいた女性たちが上ずった声で言って、一成は内心で同意する。わかる。テンテン、めっちゃかっこいい。
 いつもと違う分け方の前髪は、大人っぽくて新鮮だ。黒のカットソーと細身のジャケットにパンツという装いは、スタイルの良さを際立たせる。惚れた欲目だろうか。久しぶりに直接顔を見たからだろうか。一成の目に映る天馬はきらきらと輝いていて、どうにもかっこよくて仕方なかった。
 ここにいる人たちの大半は、天馬に熱い視線を送っている。だから一成も、同じように天馬を見つめていた。今なら、思う存分天馬へ熱を込めてもいい。かっこいい。めちゃくちゃ好き。世界で一番かっこいい。
 もっとも、天馬は一成の視線に気づくことはない。距離もあるし、大勢の人に紛れ込んでいるのだ。もしも一成が事前に訪れることを伝えていれば探してくれたかもしれないけれど、そんなこともしていない。天馬は一成に気づくことなく、共演者とやり取りをしている。
 それを見つめる一成は、不思議な気持ちになっていた。隔たる距離を、あらためて感じ取ったからだ。
 今まで一成は、天馬と近い距離で話すことがほとんどだった。大学のミーティングスペースで、外のベンチで。一緒に出掛けた店や並んで歩いた道。手を伸ばしたら届く距離で、天馬と会話を交わすことがほとんどだったけれど、今の二人はずいぶん遠い。
 これが普通なのだ、と一成は自覚している。
 天馬は超がつくほどの有名人で、名前を知らない人を探す方が難しい。一成は将来を嘱望されているとはいえ、まだ本格的にデビューを果たしたわけではない。画家の卵でしかなくて、本来であれば天馬は一成の存在すら知らなかったはずだ。たまたま二人の世界は交わっただけで、別の世界で生きていくのが自然だろう。
 一緒に過ごした時間が夢みたいだな、と一成は思った。親しげに話をして、特別な呼び名を許されて。やりたいことを教えてくれて、一緒に初めてを分かち合った。隣同士で笑って、広がる未来を一緒に思い描いた。そんな全ては、まるで夢のようだ。
 本当なら、こんな風に隔てられた場所で見ているしかできない関係だったのだ。芸能人の皇天馬と相対するなんて、ロケ現場をたまたま目撃できた幸運でしか叶えられない。直接言葉を交わすなんてとんだ夢物語でしかない。
 だけれど、全ては確かな現実だ。今まで過ごした時間なら、何もかも覚えている。天馬の笑みも、力強い輝きも、はつらつとした声も、やわらかなまなざしも、何もかも。確かに天馬と同じ世界を生きていたのだ、と知っている。
 だからこそ、こんなにも胸が締めつけられる。天馬の顔を見ているだけで、心が動いて何だか泣きたくて、同じくらいに幸せになる。天馬のかわいいところややさしいところ、尊敬しているところ。いろんな天馬を知っていったから、「好きだなぁ」とあらためて思うのだ。
 熱のこもった視線に切なさを交えて、一成は天馬を見つめる。スタッフが慌ただしく動き出して、そろそろ撮影が始まるのだろうかと思う。まだ時間はあるから、撮影中の姿も見られるはずだ。そう思っていると、不意に背後から声を掛けられた。

「三好一成くん」

 呼ばれた名前に、反射的に振り返った。体が固まる。目の前には、燦飛が立っていた。
 夏だというのに、黒いタートルネックに黒いジャケット、黒いパンツという出で立ち。暑さをまるで感じさせない顔で、燦飛は一歩前へ出た。一成に近づく。静かな声で、それでいて強い声で告げた。

「これ以上天馬に関わらないでもらおう」

 冷たい声だった。明確な拒絶。決して声を荒げているわけではないのに、喉元に刃を突きつけられるようだった。一成はごくりとつばを飲む。

「きみの役目は終わっただろう」

 言いながら、さらに燦飛は近づいた。じっと一成の目を見据えて、淡々と続ける。
 ドラマの役作りに協力していただけだ。もう撮影は始まった。きみに用はない。天馬に近づくな。落ち着いた顔で、一成に対する拒絶の意志を示して。ためらわず刃をふるう冷淡さで。燦飛は言う。

「きみも思い知っただろう。天馬とは生きる世界が違う。きみではとうてい、天馬と同じ世界にはいられない。天馬の隣に立つ権利もない」

 一成から視線を動かさず、無表情に燦飛は告げる。天馬の生きる場所ときみの世界は別々だ。これ以上、天馬に近づくのは天馬の迷惑になるだけだ。わかっているだろう。きみは自分の世界で生きればいい。天馬にきみは要らない。
 燦飛の言葉に思い浮かぶのは、天馬を遠くから見つめるしかない自分自身だった。大勢の人の中の一部。ただ視線を送るだけ。天馬に何かがあったとして、知らされることはない。一緒に過ごした時間の方が夢のような関係。生きている世界が違うのだと、現実は否応なく思い知らせる。
 思わず黙り込んだ一成を、燦飛は見つめる。ただ冷淡で、どんな感情も宿らない。嫌悪すらもなかった。ただ明確な事実として、一成の存在を拒んでいる。要らないものを切り捨てるのだと、正しささえ感じさせる声音で燦飛は告げる。

「天馬も、きみとはもう会いたくないと言っている」

 きっぱりとした言葉に、一成の体がびくりと震える。会いたくない。テンテンはオレに会いたくない。音としては理解できるけれど、言葉が上手く染み込まない。会いたくないなんて、そんなことテンテンが言うわけない。

「天馬と連絡がつかなくなっただろう。それが何よりの答えだ。きみとの関係を断ち切ることを望んでいる」

 絶対の事実を告げるような言葉に、一成の血の気が引く。会いたくない、なんて言葉は信じられない。そんなことを言うわけがない。思うのに、連絡が途絶えているという事実が一成にささやきかける。
 会いたいと思っているなら、連絡くらいできるはずだ。反応がないのは、会いたくないという意志表示なんじゃないか?
 違う、と言いたかった。天馬ならきっと、会いたくないなら素直にそう言う。こんな回りくどいことはしない。確かに思うのに、あまりにも堂々とした様子に一成の心が揺らぐ。
 だって、テンテンとオレの世界が違うのは事実だ。会おうとしなければ会えない。連絡を絶ってしまえば会えない。混乱と戸惑いが駆け抜ける。

「きみは天馬に必要ないんだ」

 断罪のような響きの言葉。何かを言いたくて、何を言えばいいかわからない。それでも無反応でいるわけにはいかないと、燦飛の目を見つめ返した。怯む心を奮い立たせて、金色の瞳を見据えた瞬間。強烈な違和感が、一成の背中を貫いた。
 おかしい。何かが変だ。一体何が。わからない。それなのに、絶対に間違っているという確信が頭を埋める。
 混乱しながら事態の把握に努めようとして、そこでようやく一成は気づいた。自分がいる場所、置かれた状況。
 ここは天馬のロケ撮影現場だ。周囲にはスタッフだけでなく、一目天馬を見ようと大勢の人たちが集まっている。誰もいない路地裏や二人きりの部屋じゃない。たくさんの人がこの場所にいる。
 それなのに、誰も燦飛に目を向けていない。
 八高燦飛は名前の知られた芸能人だ。天馬と対の存在としてメディアにもよく取り上げられるし、至る所にファンがいる。ひとたび姿を現せば、瞬く間に人に取り囲まれるだろう。
 それなのに、公園にいる人たちは誰一人騒がない。撮影を心待ちにして、天馬たち役者を見ているだけで、誰も燦飛に目を向けない。いつ撮影が始まるんだろう、なんて他愛ない話をしているのに。燦飛の存在に、誰も気づかない。
 まるでここだけ別の空間になってしまったみたいに。誰の目にも映っていないみたいに。
 思って、一成はぞくりとする。おかしい。どこが、とか、何か、なんてわからない。それでも、こんなことは絶対におかしい。誰一人、八高燦飛に気づかないなんて。こんなに近くにいるのに。隠れもせず立っているのに。まるでオレにしか見えていないみたいなんて。

「きみと天馬は、別々に生きることが正しい」

 一成の混乱に構うことなく燦飛は告げる。淡々として落ち着いた声は、やけに力強い。周囲の喧騒にも紛れず、一成の耳にしかと届く。
 ただの事実を告げるように。一成の間違いを正すように。何も言えず、一成はただ燦飛の目を見つめていた。ゆらりと動いて、妖しく光る。からめとられたように動けずにいる。
 しかし、突然スマートフォンが受信音を鳴らした。一成は我に返る。固まっていた体が動いて、スマートフォンをチェックすると皓望からのメッセージを受信していた。内容を見れば「どこにいるの? 教授が探してたよ!」と記されている。
 慌てて飛び出してきたから、誰にも何も言っていなかった。学内にいると思って探したのに見当たらなかったから、連絡を寄越したのだと察しがついた。外に出ていることを知らせなくちゃ、と指を動かそうとして、一成は顔を上げる。画面から視線を外して前を向くと、燦飛はどこにもいなかった。
 広い公園だ。身を隠すようなところもないし、数秒目を離していただけでしかない。それなのに、燦飛はどこを見渡してもいなかった。その事実に、さっき感じた強烈な違和感がよみがえる。
 誰も燦飛に気づいていなかった。一瞬の内に、煙のように掻き消えてしまった。
 何かがおかしい。しかし、一体何ができるのか、どうしたらいいのかもわからない。一成はスマートフォンを握りしめて、ただ立ち尽くしている。