夏と神様 26話




  やるべきことが山積みだった。
 ドラマの撮影は昼夜続き、それ以外にコマーシャルの撮影が入り、ドキュメンタリーの取材もあった。舞台のオーディションに臨んで、映画の顔合わせに、映像化作品の宣伝でイベントをはしごする。
 さらに、懇意にしている海外プロデューサーから、新しいオファーの話も舞い込んでいた。もともと天馬は多忙な人間であるけれど、最近はいっそう忙しさに拍車がかかっている。
 くわえて、井川と違って慣れないマネージャーとのやり取りは、地味に負担になっていた。井川一人でこなしていたはずの仕事を回しきれない、ということで二人体制になったのはいい。しかし、互いに上手く連携が取れていないようで、仕事の情報が回って来るのがどうにも遅い。
 さすがに前日にいきなり、なんてことはないし、スケジュールのバッティングはしていない。しかし、このままではいずれ重大なミスにつながるのではないか、と天馬は危惧している。
 だから、その辺りのことを事務所に訴えて井川を戻してほしいと働きかけてはいるのだけれど、結果はどうにも思わしくない。何か意図でもあるのか、井川を天馬のもとへ戻すことをためらっているような素振りがあるのだ。
 いくつもの仕事をこなすことなら慣れている。疲れは溜まっても、充実した日々だと言うこともできる。ただ、スケジュールが上手く回らないだとか、知りたい情報が必要な時に知らされないだとか、そういうものはどうにも苛立ちが募ってしまう。
 天馬はいつだって、万全の状態で作品に臨みたい。ドラマでも映画でも舞台でも、コマーシャルでもイベントでも変わらない。まだ見ぬ誰かにとって、どの瞬間が天馬との初めての出会いになるかわからないのだ。いつだって万全に、最も魅力的な皇天馬でいられるよう努めていた。
 だから、スケジュールがきちちんと管理されていない今の状況は、なかなかこたえるものがある。苛立ちが募る場面が増えて、天馬はどうにか自分を律して己を落ち着かせている。
 こんな時だからこそ、いっそう丁寧に芝居へ取り組む。日課の筋トレやストレッチを入念に行う。それから、一成の絵を思い出す。
 一成の手ほどきを受けて描いた向日葵の絵は、天馬の自室に飾ってある。一成に描いてもらった絵も同様だ。家にいる時はよく眺めているし、外へ出ている時に苛立ちが募りそうなら、頭に思い浮かべるようにしていた。
 きっと一成なら、こんな場面だって笑顔でいようとする。楽しいことを見つけようとする。そう思えば気持ちがやわらいで、心を落ち着かせることができたのだ。
 とはいえ、物事には限度がある。確かに一成の絵は力になったし、天馬にとって重要なアイテムだ。それでも、どうしたって気持ちは募る。一成の絵を思い浮かべる時。一緒に行ったコンビニの看板。アイスクリームやクリームソーダ。一成がくれた夏休みの宿題。
 思い出すたび、天馬の胸は焦燥に駆られる。
 きらきらと笑う顔が見たい。大きな目でオレを見てほしい。明るい声で名前を呼んでくれ。一番近くで、幸せそうに笑ってほしい。何でもない話をしよう。ささやかな時間さえ、二人なら喜びに変わっていくと知っている。
 思えば思うほど、天馬の思慕は募る。一成に会いたかった。話がしたかった。声が聞きたかった。何度も会いに行こうと思ったけれど、とてもそんな時間は取れなかった。
 全身を焦がすような気持ちを抱えたまま、天馬は日々を過ごしていた。

「――打ち合わせのあとは、コマーシャルの撮影になります。少し時間が押してまして……すみません」
「多少の遅れは取り戻せる。安全運転で頼む」

 恐縮したようなマネージャーの言葉に、きっぱりと答える。「わかりました」という答えのあと、車はゆるやかに動き出した。番組の打ち合わせのため別のテレビ局に向かうのだ。
 後部座席のシートに体を沈めた天馬は、ふう、と息を吐き出す。
 今までなら一成へLIMEの返事をしていたけれど、相変わらず天馬の手元にスマートフォンは戻ってきていない。両親が帰国するまでは返却されないのでは、なんて可能性も頭をよぎっている。さすがにそれを待っているわけにはいかないので、何か対処しなくては、と天馬は思う。
 一成に連絡が取りたかったし、ささやかなやり取りがしたかった。日常生活に一成が寄り添ってくれるような、あの瞬間が好きだったのだ。

「あの、すみません。お伝えしていたかわからないことがありまして……お時間よろしいでしょうか」

 そういえば、といった調子でマネージャーが声を掛ける。連絡が細切れなのはいつものことだ。溜め息を吐きたい気持ちをこらえて「言ってくれ」と答えた。マネージャーは、おずおずとした様子で、明日収録予定の情報番組の名前を挙げた。

「テーマが夏祭りだそうですので、もしかしたらそういった話を振られるかもしれません。一応、考えておいていただければと思いまして……」
「そういうことはもっと早く言ってくれ」

 臨機応変に対応はできるけれど、テーマがあるなら事前に言ってほしかった。収録を伝えた時点でどうして言わないのか、とも思うけれど問い詰めても意味がないことは、今までのやり取りからわかっていた。
 溜め息をぐっと飲み込んで、天馬は「夏祭り」と思う。テーマを考えなくては、とあれこれ頭に思い浮かべた。撮影での経験しかないけれど、屋台には何度か挑戦もしている。だから、その辺りから話を膨らまそう、と思ったのだけれど。
 自然と思考が一つになる。思い出すのは、今まで体験した夏祭りの風景ではない。
 通い慣れたミーティングスペース。隣には一成が座っている。何でもない話をしていた。ささやかで他愛ない話が、何よりもきらきらしていた。あの時交わした会話。「夏祭り」という言葉から辿り着く答えなんて、一つだけだ。
 やり残したことはないかと聞かれた。天馬は「祭りに行きたい」と言った。だから二人で約束をした。それなら、天馬がすべきことなんて。
 少しだけ思案したあと、天馬は「スケジュールのことで相談がある」と口を開く。