夏と神様 27話
滑り台とブランコ、それから砂場があるだけの小さな公園だ。一成は滑り台の近くで、所在なげに立っている。
浴衣姿の少女たちが、笑いながら公園を駆け抜けていく。きっと目的地は一成と同じだろう。高台にある神社で、今日は夏祭りが行われている。耳を澄ませば、かすかに祭囃子が聞こえてくる。
オレも夏祭りっぽい格好したらよかったかな、と一瞬だけ思った。一成はいつも通り、青と水玉の半袖シャツにハーフズボンという格好だ。あまり夏祭りらしくはないかも、と思ったものの、すぐに首を振った。
きっと今日は、いつものオレがいい。すぐに見つけられるよう、いつも通りの格好が一番いい。
一成はスマートフォンを取り出して、時間を確認した。十八時四十五分。待ち合わせは十八時半だ。すでに十五分が経過している。何度もLIMEを確認したけれど、連絡は一つもない。一成はじっとスマートフォンの画面を見つめている。
普段の一成は、くるくると表情が変わる。しかし、今はそれが嘘のような無表情で、ただスマートフォンに視線をそそいでいた。
公園に人影はない。一成はたった一人で、じっと立ち尽くしている。
かすかな祭囃子の音。虫の声。木々が揺れる。少しずつ暗くなっていく公園で、一成はただスマートフォンを見つめている。画面に表示された時計が、四十六分へと変わった。その時だ。
「一成!」
弾かれたように顔を上げる。瞬間、一成の表情がやわらかく溶けていく。それまでの無機質だった面影は一つもない。あざやかに色づいて、喜びがあふれだす。そのままの声で、一成は言った。
「テンテン」
走ってきた天馬が、一成の前に立つ。変装用のサングラスと帽子。紺色の半袖シャツに、黒のアンクルパンツ。いつも通りの格好は何度も見てきた姿だけれど、やけに新鮮に映る。
一成は嬉しそうに笑って、天馬を見つめた。呼吸を整えた天馬も、笑みを浮かべて一成へ視線を向ける。二つのまなざしが混じり合う。しばらくの間、何もかもを焼きつけるようにお互いを見つめていた。
どれくらいそうしていたのか。しばらくして、天馬はバツが悪そうな表情を浮かべて言った。待ち合わせ時刻は覚えていたのだ。
「遅くなって悪い」
「ううん。ちゃんと来てくれたからいいよ」
何てことのない調子で告げられた言葉は、一成の本心だ。遅れてきたなんて、些細なことなのだ。もしかしたら来ないかもしれない、と思っていたことは明白だった。だから、天馬はきっぱり言った。力強い笑みを浮かべて。
「約束しただろ」
夏祭りに行こうと言った。時間と場所を決めて、二人で約束をしたのだ。守るなんて当たり前だ。何があっても、必ず果たすと決めていた。
天馬の決意を、一成はきちんと受け取る。もともと、「来ないかもしれない」と思っていたのは仕事の関係で、という意味であって約束を蔑ろにするとはつゆとも思っていなかったのだ。やっぱりテンテンは約束を大事にしてくれた、と確認した一成は唇をほころばせる。
その笑みを認めた天馬は、同じように表情をやわらげた。一成が目の前で笑っている、という事実が嬉しかった。ただ、天馬はすぐにはっとした表情を浮かべる。言うべきことを思い出したのだ。
「一成、その、オレの記事は見たか。熱愛とか言ってる――あれは本当に何でもないからな! 顔合わせの帰りをたまたま撮られただけで、周りには他にも人がいたんだ。恋人とかじゃないからな!」
これだけは何が何でも誤解されたくない、と必死の面持ちで叫ぶ。一成は数秒呆気に取られたあと、面白そうに笑い出した。記事の内容を信じてはいなかったものの、天馬の様子から本当に事実無根なんだな、と思ったからだ。
「おけまるだよん」
弾んだ声で、一成は答える。天馬の懸命さが嬉しかったし、恋人じゃないと明言されたことも一成の気持ちを明るくさせた。そっか、本当に恋人じゃないんだ、と噛みしめる。
天馬もほっとした空気を流したのは、一成がすんなり受け取ってくれたこと理解したからだ。誤解はされていなかったようだ、と察して安堵の息を吐く。
一成もにこにこ嬉しそうで、二人の間の空気は軽やかだ。まるで昨日まで一緒にいたような自然さで、すぐに空気はなじむ。今まで一切連絡を取り合っていなかったことが嘘のようだ。
二人とも、燦飛や皓望に告げられた言葉を忘れていたわけではない。信じてはいなかったけれど、もしかしたら会いたくないと思っているかもしれない、という可能性は頭をよぎっていた。だけれどそんなもの、互いの顔を見た瞬間吹き飛んだ。
嬉しそうに笑ってくれる。お互いを見つけた瞬間の喜び。言葉はなくても確かに伝わる。それが答えだ。これだけが全てだ。浮かべる笑顔を信じるのだと決めたことを、はっきりと思い出した。
あらためて自分の気持ちを確認しあと、天馬は口を開く。言わなければいけないことは、まだあるのだ。
「ただ、スキャンダルはスキャンダルだからって、スマートフォンは没収された」
「マ!? 皇事務所やばくね!?」
「普段はこんなことないんだが……今もまだ、返ってきてない」
「え、そんじゃテンテン、よくここまで来られたね? ナビとかないっしょ」
一成は方向音痴の天馬のため、公園までのナビをつけてメッセージを送っている。タップすればルート案内を開始するから、従っていけばいいのだ。ただ、スマートフォンがなければナビも何もない。天馬は一成の言葉に、決まり悪げな表情を浮かべた。
「事前にちゃんと調べた。地図見て、こっち方だなって目印とかも確認した」
ぼそぼそと言う天馬は、ちゃんと事前準備をして今日に臨んだらしい。しかし、案の定予想外の方向に出てしまい、どうにか軌道修正をしながら辿り着いたというのが現状のようだ。その言葉に、一成の胸はふわりと温かくなる。
「時間前に着くよう出たはずなんだが、悪い」
「ううん、全然いいよん!」
心から一成は答える。天馬は忙しいから、多少時間に遅れるのも仕方ないと思っていた。結果として天馬は遅刻してきたけれど、それは仕事のためではなかったのだ。
間に合うように、時間通りに来ようとしてくれた。見事に発揮された方向音痴のおかげで、時間には間に合わなかったけれど。一成との約束を守ろうとしてくれたことが嬉しかった。
「連絡が取れなかったのも悪かった。スマートフォンが手元になかったから、LIMEも電話もできなかった。電話番号くらい控えておけばよかったな」
真っ直ぐ一成を見つめた天馬は、「悪かった」と告げる。連絡が取れなかったことで、一成を不安にさせたはずだ。心からの謝罪を込めて、天馬は言葉を継ぐ。
「本当は大学まで会いにいこうと思ったんだ。それ以外にも、きっと探せば連絡取れる手段はあったはずなのに、何もできなかった。結局オレも、お前に甘えてたのかもしれない」
「え、なんで!? ならオレだって、テンテンに頑張って会いに行けばよかったって話じゃん!?」
「お前は簡単にオレには会えないだろ。だからオレが努力すべきだったし、そうすれば一成を不安にさせることもなかったはずだ」
「待って待って、テンテンに無理させる方が嫌だよ!?」
苦渋に満ちた表情の天馬へ、一成は慌てたように言った。
何だかものすごく後悔しているけれど、一成としては天馬に無理をさせたくない。忙しい合間を縫ってわざわざ大学へ来るとか、ましてや他の連絡手段を探すなんてこと、しなくてよかったのだ。天馬からの連絡がなくて不安だったし寂しい思いはしたけれど、天馬に負担を強いる方がよっぽど嫌だった。
「それにさ、ちゃんと会えたじゃん。連絡とかできなくたって、また会えた。それで充分だよ」
はにかむ笑みで、一成は天馬へ告げる。
祭りに行こうと言った。二人で時間と場所を決めて約束をした。しかし、それは雑談の一つと言ってもよかった。日時は決めたものの、それ以降話題にしたわけでもない。日々のやり取りの中で「もうすぐお祭りだねん」なんて言ったわけでもないし、忘れ去っていてもおかしくない。
それに、約束の日時はLIMEのメッセージに記されているだけだ。スマートフォンを見られなかった天馬は、思い違いをしている可能性だってあった。もしも思い浮かべる日付や時間が違っていれば、二人は今日ここで出会えなかった。
「テンテン、めっちゃ忙しいだろうしさ。無理かもな~って思ってたんだよねん」
「もともと、今日はオフにできるはずの日だったからな」
思いの外仕事が増えたおかげで、オフにできるか怪しくはなっていた。ただ、絶対に諦めたくなかったので、半ばむりやりオフをもぎ取ったのだ。新しいマネージャー二人は、天馬に迷惑を掛けていることは承知していたので、あまり強く出られないこともわかっていた。
結果として、こうして約束を叶えられた。いつもの天馬なら仕事を優先させていたかもしれないけれど、今日だけは譲れなかったのだ。
「ずっと楽しみにしてた。必ず来るに決まってる」
「うん。オレも、めっちゃ楽しみだったよ」
天馬の言葉に、一成も心からの同意を返した。今ここに、二人がいること。その意味を、お互い強く感じている。
連絡は途絶えていた。顔を合わせることも声を聞くこともできなかった。もしかしたら、約束は無効なのかもしれない、という可能性は頭をよぎった。だって何も確認はできなかった。
それでも、二人はここへ来た。約束を信じて、二人で交わした言葉一つを抱えて。どちらかが忘れていれば、思い違いをしていれば、出会うことはできなかった。だけれど、天馬が、一成が、待っていると信じたから二人はここで再会を果たした。
その事実を握りしめるような気持ちで、一成は口を開いた。
「テンテン、お祭り行こ!」
弾ける笑みを浮かべて一歩踏み出す。天馬が嬉しそうに「ああ」とうなずいて、隣に並ぶ。軽やかに歩き出して、祭囃子が聞こえる方へ向かっていく。